【ボツ】(仮題)天使が街にやってきた(後編).text

「……家に戻るのが嫌で仕方ねえな」


 オールドハイト東地区、サイの住むアパート前。普段は使わない喫茶店に入り、窓際──ガラスの壁で道路と隔てた席で、コーヒーとサンドイッチをつまみながら、ドモンとサイは見慣れたアパートを見上げていた。窓にはブラインドが降りていて、中の様子は伺いしれない。


「ともかく、奴さんは君を最終的には殺すつもりでしょう」


 ドモンは端末に来たメールをサイに見せながら言った。殺し屋というのは大なり小なり情報が知れ渡っているものだ。そして、ドモンのような闇で生きる殺し屋達は、そうした情報を引き出す術を身に着けている。メールの送り主はそうした情報屋らしかった。


「通称ストーク。本名と外見は不詳ですが──殺しの共通点として、三日の間相手の彼女として振る舞うんだそうです」


「……もう二日経ってるぞ。おい、俺の寿命今日までかよ」


「そういうことになりますね。ツイてるのかツイてないのか……ストークは、三日の間理想の彼女を演じて、満足できたら相手を自殺に見せかけて殺すんだそうです」


「……満足しなかったら?」


「惨たらしく苦しませて殺すって書いてありますね。ウワッこれはキツイ。二年前には、両手両足に首まで切断されて、ゴミ袋に突っ込まれて捨てられてたみたいですよ」


 あ然とする他なかった。確かにあの手斧は妙に使い込まれていたし、ふとしたことで激昂した彼女の勢いは尋常ではなかった。事実を整理するとさらに恐ろしく感じて、サイはぬるいコーヒーを流し込んだ。


「とにかく、君このまま家に帰ったら殺されますよ。僕がなんとかしますから、まずは──」


 窓際の席に、誰かの影が伸びている。ドモンは反射的にバットケースを引き寄せた。サイは影の伸びてきた先を見てしまった──即ち、長身の、茶髪のゴワゴワした髪をツインテールにまとめた女が、その長い手指の先の爪を、せわしなく口元で齧っているその姿を。


「マジかよ」


「離れてください!」


 ドモンはサイの襟首を引っ張る。直後女は左手で手斧を握ると、それをガラス壁に叩きつけた。

 飛び散る破片。響き渡る悲鳴。


「どおして逃げるの、だありん……ねェェェ!」


 ストークの金属が擦れる音にも似た叫びが響き渡る。逃げなければ。ドモンはサイの手を引き、そのまま裏口の扉を蹴り破ると、裏通りへ飛び出した。東地区は道路沿いに同じようなビルが立ち並び、アパートや飲食店がテナントとして入っていることが多い地区だ。だからこそ、裏口に入ると入り組んでいて逃げやすい。


「どこまで逃げるんだ?」


「逃げられませんよ。ストークって名前は伊達じゃない。どこにいても見つけ出す執念深い女……らしいです。とはいえ、真正面からやりあって勝ち目があるかどうかわかりませんからね……まあ、ついてきてください」


 大通りに出て、地下鉄の入り口に入り、階段を降りる。今日は平日。時刻は昼を過ぎており、駅の中は比較的空いている。


「ドモン! お前……地下鉄に乗るつもりか?」


「北と南、どっちがお好みです?まー、この場合南がいいかもしれませんね」


 ドモンはそう言うと、指を向けて南地区行きの乗り場へ向かった。サイは連れ立って階段を降りる。駅のホームの客はまばらだったが、人が居ないわけではない。このままストークが降りてきたら? あの鉈を振り回したら?エラいことになる。大事件だ。


「話聞けよ! お前……地下鉄に乗るんだろ。ヤツがついてきたらどうする気なんだ!」


「どうするもこうするもないでしょ。狭い所ならこっちも戦いやすいですし、人がいるなら──」


「いるなら?」


「盾になってもらえばいいでしょう。隙を突けるかもしれません」


 ああ、コイツはこういう奴だった。ドモンは殺し屋だ。人殺ししか能がないので仕方なくやってる、とか言ってはいるが、それは裏返せば『人殺しが大得意』なのだ。


「まあ、君の命は保証しますよ。それに君、他人の命がどうとか気にしてる場合ですか?」

ドモンの暗い目が、一際どろりと濁ったように見えた。ともかく、命は守ると言ってくれているが、それで罪のない人が死ぬのはサイの本意ではなかった。


「ドモン。俺は他人が巻き込まれるのはゴメンだぞ」


「じゃあなんです。君も乗客も両方守れ、そういうことですか?」


「……お前ならできるだろ、ドモン。『そういう依頼なら』、お前はこなせる。違うか?」


 サイの言葉を聞きながら、目を伏せるようにして頭を掻いた。そうして、彼は背を向けて言った。


「先に行ってもらえますか。……駅のホームなら、客に迷惑はかかんないでしょ」


 発車のアナウンスがホームに鳴り響く。ドモンは手にバットケースを持ったまま動かない。

とにかく言うとおりにしよう。今生き残る可能性があるとすれば、それしかない。

 電車のドアが閉まる。少しずつ背景が流れていく。ドモンの目の前に影──ストークの姿が揺らぐ。彼女がホームを蹴り、佁をドモンのケースに叩きつける。

 バットケースが裂けたのを見て、ドモンは中の柄をとり、刃を抜き払った。中に入っていたのは日本刀──殺し屋ドモンの得物である。

 ストークは直後斧を掴んだまま、刃ごとドモンに蹴りを入れた。彼の身体がぶっ飛び、走る電車の窓に叩きつけられた。さらに、彼女は跳躍し──彼の身体に向かってドロップキック!

 強化ガラスで出来ているはずの窓が一気に砕け、ドモンが車内に放り込まれる。乗客が悲鳴をあげて、別の車両になだれこんでいく。


「マジかよ」


 日本刀を握ったままのドモンが、鼻血を出しながら床にボロ雑巾のように転がった。そんなバカな。こんなにあっけなく──。


「だありん、家に帰りましょう?」


 ストークの手から血が流れる。持ったままの斧からも血がしたたっているというのに、その顔は笑顔。


「私ケーキを作ったの。ワンホールのショートケーキ。イチゴもたくさん載せたのよ。中にもいっぱいイチゴを入れたの。好きだったわよね」


 電車が揺れる音。血が滴る音──そして奥に居る倒れたままの友人の指が少しだけ動いたのを見てから──サイは笑った。死んでしまったかと思った。しかしこいつが生きているなら、勝機はある。


「勘違いすんなよ。……俺はガトーショコラのほうが好きなんだ。思いっきりビターなやつ。生クリームは全然ダメだ」


 ストークの呼吸が荒くなる。左手の爪を、指を噛み出す。溢れるように指から血が流れる。裏切りに対する怒りなのは、間違いなかった。


「だありんはそんなこと言わないわ」


「……だろうな。俺はあんたの『だありん』なんかじゃない!」


 振りかぶられた斧が、ライトに照らされて赤く輝いた。もはやストークの目にはサイは映っていない。サイは理想のだありんではなかった。ならば、もはや生かしておく意味はないのだろう。

 血しぶきがぼたぼたと壁にラインを作った。斧と一緒に、手首が床に落ちていた。

 ドモンは既に覚醒し、立膝のまま刀を納めていた。後ろから刀を抜き払い──手首を落としたのだ。切断面から遅れて、間欠泉のような血が吹き出す。


「何……?」


 ストークが後ろを向く前に、ドモンは再び刀を抜き、背中からその刃を突き立て──自分の鼻血を拭って言った。


「……友人のピンチなんで。卑怯とは言わないでくださいよ」


 ストークから刃を抜いて、彼女が倒れ伏したのを見てから、刀の血を振るって飛ばし、ドモンはようやく刀を納めた。車内は血まみれ、ガラスの破片だらけ──そして、客は一人もいない。戻ってくる者は一人もいなかった。次の駅に到着する。ドアが何事もなかったように開く。

 サイは、約束を守った友人の肩を抱き、その場に倒れそうになった彼を立ち上がらせると、凄惨な現場を後にした。

 ホームに出たまでは良かったが、二人にこれ以上動く元気はなかった。ベンチになんとか腰掛けると、二人は息でも止めていたのかと思うほど、大きな息を吐いた。生き残った。とにかく、それだけは間違いなかった。


「報酬は何が良いんだ?」


 パトカーのサイレンの音が駅のホームに鳴り響く。いずれ何があったのかを聞かれることだろう。

 だがサイは新聞記者だ。この手のことを誤魔化すことは──特にドモンのことについては殊の外慣れている。こんなわけがわからないことに巻き込まれても助けてくれる友人だ。俺が見捨てるわけにはいかない。

ドモンは親指と人差し指だけ出した。サイはそれでピンと来たようで、そこにタバコを取り出して掴ませてやると、自前のライターで火を点けた。


「まずはコレで」


 ドモンはタバコを満足そうにふかして言った。


「もう一つ、頼もうと思ってたことがあるんです」


「何だ?お前の言うことだ。今なら何でも聞く」


 サイの言葉に、ドモンは力なく笑った。


「実は、最近仕事なくて。……アパート追い出されちゃったんですよね」


「条件がある」


「なんです」


「頼まれてもオムレツとケーキを作るな。当分食いたくないからな」


 ドモンは咳き込みながら──そのたびに痛みが走るのか、あばらを押さえて笑った。


「それなら条件ぴったりですよ。僕は自炊が下手くそでしてね──」

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