39話 叫ぶ。そして僕は──。


 ──後悔させていると思う。

 全裸のホームレス勇者など拾わなければ良かった、と』



「……違う」


 ロジオンは口に出して言っていた。

 日が降り注ぐマンションのベランダで、手紙に向かって。


「違うっ!」


 自分でも驚くほどの大声で。


 その声は確かに自分が発したものだったが、もっと心の奥底、魂の根源、そうとしか言いようのない衝動が、叫ばせた気がした。


 否定しなければならない。後悔などしていないと、全力で。


 魂が、叫んでる。


「!」

 その時、信じられない事が起こった。


 ふいに光景が蘇った。


 現代ではない遙か古い時代のどこかの村。


 その広場でまだ五、六歳の〝自分〟と〝ゾーフィア〟が遊び回っている光景を。


 そして十四歳のとき、ドワーフの軍隊に村を包囲され、顔見知りの村人たちが次々に殺されていく光景を。


 さらに、ゾーフィアと肩を並べて立つ、種族戦乱期の戦場の光景も。


 そこから先は、ありとあらゆる記憶が爆発したかのように湧き上がり、意識が、押し流されそうになる。


「………………」


 目眩。立っていられず、ベランダの手すりにしがみつく。


 しばし放心し、ようやく理解する。


 ああ、全ての記憶が、蘇ったのだ、と。


 魔王ラスコーリンとしての記憶が。


 そして、ゾーフィアに心臓を貫かれたあの瞬間を思い出しながら、もう一度言う。


「僕が後悔? それだけは絶対に違う」


 だって今でさえ、心はハレヤを求めてしまっている。


 できることなら、もう一度会いたい。


 会って、どんな目で、どんな事を言えばいいのかは、まるで分からないけれど。


 確かに、真実のゾーフィアは、憧れていた英雄ではなかった。


 世界を変革し、全ての人々を救いたい。その強すぎる願いのあまり、多くの命を奪ってしまった大罪人だ。


 だが、その過ちに気づき、罪を自覚したあと、彼女はどうした?


「自らがしていた事を引き継ごうとした僕を止めるため、救世主となる道を歩んだ」


 全種族が共に生きる世界を願って。


 その結果、世界は、どうなった?


「ほら、見てくださいよ。ハレヤさん」


 ロジオンはまるで隣にハレヤがいるかのように呟き、ベランダの手すりから、眼下の噴水公園を指さした。


 晴天の公園、芝生には休日を過ごす家族が大勢いる。


 あらゆる種族が入り交じっているようだった。


 異種族同士の親子も見える。


「僕が千年前に言ってた未来。全部……実現しちゃってるじゃないですか」


 公園から、遊んでいる子どもたちの笑い声が届いてくる。


 人間とゴブリンの少年が鬼ごっこをして芝生を転げ回ったり。


 オークとエルフの少女が砂場でママゴトをしていたり。


 オーガと巨人族の子がプロレスごっこをしていたり。


「これが……あなたが成し遂げたことだ。ねえ、ハレヤさん。やっぱり僕にはあなたを憎むことはできないですよ。だって、大勢の人を殺してしまったのも、勇者となって世界を救ったのも、たった一つの同じ願いからだ。それは──」


『みんなを救いたい』

 

「──大量殺人者としてのゾーフィアも、救世主ゾーフィアも、この同じ願いから生まれた。ならば、どちらもありのままのハレヤさんでしかない」


 それから、こう付け加えた。


「僕の……大好きな」


 そして苦笑して。


「だったらもう、やるべきことは決まったじゃないか。好きな人を救わなきゃいけない。そのためには、ありのままのゾーフィアを描く映画を作るんだ。虚像がほんの少しでも混じっていない彼女の物語だ。

 僕には三千年間、ゾーフィアを隣で見てきた記憶がある。その彼女が人々から愛して貰えるなら、ハレヤさんもきっと自分を赦すことができる。

 罪の炎も消える。僕が千年前にしてあげられなかったことだ。僕が、しなきゃいけないことだ。でも……ありのままのゾーフィアがみんなから憎まれたら……?」


 ロジオンは目を伏せた。


「そうなったとしても。誰か一人くらい、あなたを好きでい続けるべきだ。それは」


 耳鳴り珊瑚のペンダントをかざす。


「──僕だ」


 拳を、力強く、握りしめた。


「決めた。二度と会えなかったとしても、結果がどうなろうとも。必ず、この気持ちだけは伝える。僕だけはあなたを愛し続ける。それを伝える映画にするんだ。

 どこに居ても絶対に見てもらえるような、全世界で上映されるような。僕の全ての気持ちを込めた」


 ペンダントを首につける。前を向く。胸を張る。


「僕は、全裸ホームレス勇者を拾って良かった。だから、あなたの映画を作る」



◆◇◆◇◆◇◆



 その頃、ハレヤはかつてラスコーリンが隠れ家にしていた異空間に来ていた。


 ここは昔と何も変わってない。


 高すぎて見えない天井、遠すぎて見えない壁。


 広すぎてどこまでも続く石の床には、雑然と家具や実験用の魔導具が並んでいる。


 ラスの白骨もベッドに横たわったままだ。


 ここに来た理由はただ一つ。残りの人生に望めることが何もないからだ。


 最後の願いであった自身の大罪を知らしめる計画も、最愛の人を傷つけるだけに終わった。ならばあと自分がすべき事があるとしたらもう──。


 迫り来る死を、待つことだけだ。


 せめて……ラスコーリンの側で、最後の時まで過ごすつもりだ。


 あと何年? それとも何ヶ月だろうか?


 水は洞窟で手に入るし、食料はたまに外の山へ動物を狩りにいけばいい。


 飢え死になど楽な死に方は許されない。


 罪の炎に焼き切られるまで苦しみ抜くのが相応しい。


「そう、たった独りで死ぬことが──」


 独り言がそこで途切れたのは激しい痛みの波が来たからだ。


 ハレヤは石の床にうずくまり、倒れ込んだ。


 言葉にならない悲鳴が口から漏れ出し、それはだんだんと大きくなっていく。


 だが悲鳴は誰にも、どこにも届きはしない。


 やがて痛みはピークを越え、ハレヤの呻きが止んだ。失神した。


 でもこれで、苦痛から解放されたわけではない。


 苦しみ悶えるその続きが必ず夢で始まる。


 世界から切り離された空虚に、一人でいる夢だ。


 自分がそこにいることを他の誰も知らない。世界は自分と関係なく回り続ける。


 その場所で、痛みでのたうちながら何千回も朝を迎え、何千回も夜を越える。


 また朝が来て、夜が来る。


 その夢の中で激痛のあまり意識が遠のき失神しそうになると──。


「──!」


 そこで悪夢から目を覚ました。


 また、痛みが、襲ってきた。


 体を両腕で抱えて耐えようとするが、ダメだ。


 嗚咽が涙が、止めどなく溢れてくる。


 醒めない悪夢。終わらない拷問。


 意識を保っている間も、失っている間も、絶え間なく続く──苦痛。孤独。恐怖。


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