文化祭編

第47話 手玉に取るお嬢様

 土曜日。快晴。雲ひとつない青空は天高く澄んでいる。長い廊下の窓を開けて大きく息を吸うと、冷えた空気が鼻腔を刺す。

 スポーツ大会から2週間が経ち、11月も中頃。冬の訪れを感じさせる季節だ。


「弥太郎、準備は出来たか?」

「すみません。すぐ向かいます」


 慧さんに声をかけられ俺は窓を閉めようと手をかけるが、彼女は俺を呼び止める。


「そのままでいい。これから暑くなるからな。換気がてら開けておけ」

「わかりました」


 慧さんに従い窓はそのままに彼女の背中を追う。

 とは言え、俺はこれから何をするのか、その目的を聞かされていない。動きやすい格好に着替えろと言われただけだ。適した服を持ち合わせていなかったため学校指定のジャージに身を包んでいる。そう指示した割に慧さんはいつものタキシード姿だが。

 この服装と暑くなるという話から体を動かすのだろうと予想はつくが、年末に向けて大掃除でもするのだろうか。

 それにしては時期尚早な気もするし、普段から多くの使用人で清掃を徹底しているこの屋敷で大掃除が必要なのかも甚だ疑問だ。

 慧さんの斜め後ろを歩いていると、窓の外に数台のトラックが見えた。作業着姿の十数名の男性と使用人の姿もある。


「慧さん。これからどこかに向かうんですか?」

「お嬢様に聞かされてないのか?」


 何も聞いていないと首を振ると慧さんは頭を抱える。


「まったく、あの方は……まあいい。行けばわかる」


 半ば投げやりになった慧さんに連れられ玄関から外へと出ると、トラックの付近から騒がしい声が聞こえてきた。

 何度も聞きなれた声のひとつは深愛のようだが、何やら揉めている雰囲気だ。


「どうして私も連れて行ってくださらないの!」

「私たちは仕事をしに行くだけで遊びに行くわけではないんですよ。お嬢様を仕事に付き合わせるわけにはいきません」

「嫌ですわ! 私も行きますわ!」


 アイドリング状態のトラックの音で会話のほとんどはかき消されていたが、深愛の他にも日下部兄妹やシャーリーの姿もあった。

 当の深愛の姿は見えないが、深愛と会話をしていたらしいツナギ姿の男性は俺を捉えるや「やっと来た」と手招きをする。


「神宮君、頼む。俺たちじゃお嬢様を説得できないんだ。神宮君の言うことしか聞かないの一点張りで……」


 そう言ってそそくさと逃げ出す男性を横目に、ようやく深愛の姿を見つける。彼女は何故かトラックの荷台に乗り込み、体育座りのままじっとしていた。

 俺と目が合うやパッと笑顔を見せる。が、すぐにムッとしてこちらを睨んだ。


「深愛、何があったんだ?」

「今日は皆様でお出かけされると伺いましたわ。私を置いて皆様行ってしまわれるのですわ」

「悪い、何もわからん」


 ざっと聞いていただけでもお出かけという緩い雰囲気ではなかった気がするんだが。俺も目的地までは知らないが、仕事をしに行くことだけはわかる。

 そして深愛は自分だけ置いてけぼりをくらうのが嫌だったのだろう。とはいえ雲母家の一人娘で令嬢である彼女を仕事に連れて行くわけにはいかない。ツナギの男性の言うことの方がもっともな気はするが……。


「深愛。俺たちは別にお前を仲間外れにしようとしているわけじゃない。これも仕事だから、大人しく留守番を」

「私だってお手伝いできますもの。人手は多いに越したことはないはずですわ!」

「そうは言っても重労働なんだ。深愛に手伝ってもらうわけにもいかないだろ」

「あら? 私が力強いことは弥太郎君もご存知ではなくて?」


 俺の言うことも聞かないじゃないか。話が違うんだが。

 これだけ男性が集まっているのだから重労働なのだろうと適当なことを言ってみるも彼女は納得しない。

 それに、彼女には意外と筋力があることは俺も知っている。なにせ先日のバレーボールでは強烈なスパイクを連発していたくらいだ。

 本人が望むなら多少の労働くらい手伝ってもらってもいいんじゃないだろうか、とも思うが、あくまで彼女は俺たちの主人。これでは使用人としての面子が立たないのも理解できる。

 ここは使用人の意見も募ろうと首を回す。


「慧さんからも何とか言ってくれませんか」

「俺も何度か説得したが無理だった。判断はお前に委ねる」


 まあ、そうなるよな。

 じゃあシャーリーは……


「お嬢様の仰せのままに」


 論外だな。シャーリーは深愛の付き人だけあって深愛の言うことには絶対服従だ。

 最後の頼りと俺も仲良くしている双子の兄妹、修と悠に視線を送る。

 何やらひそひそと話し合った2人は同時に頷く。


「お嬢様の言うことは」

「絶対!」

「僕たちは」

「逆らえない!」

「卒業式かよ」


 彼らもきっと一度は説得しようとして早々に諦めたのだろう。最早悪ふざけに走っていた。

 見たところ使用人からの参加は俺を含め5人のみ。俺たちが問題ないと言えば外注業者らしきツナギの男性たちも首を縦に振るしかないだろう。

 これまでの生活から深愛が一度決めたことを取り下げるはずもないことは百も承知だ。


「私は弥太郎君と一緒に居たいだけですわ。ダメ、ですの……?」


 追い打ちと言わんばかりに深愛が上目遣いで懇願する。どこで身につけたか潤んだ瞳も相まって情を掻き立てられる。


「まあ、いいんじゃないですかね。深愛の面倒は俺とシャーリーで見ればいいですし、連れて行っても問題ないかと」


 俺としては別に断る理由もない。これからどこへ向かうかは知らないが、深愛だって邪魔をしたりはしないだろう。

 近くにいた作業着の男性は肩を落としながらも、俺たちで深愛の面倒を見ると言った点で妥協してくれたらしく渋々了承する。


「弥太郎君ならそう言ってくださると思ってましたわ! チョロいですわ!」

「置いていくぞお前」


 正直自分でもそう思うが、立場上深愛には勝てないので仕方がないことだ。そうでなくとも深愛には甘い気がするが、口にすると調子に乗りそうだしそれは黙っておこう。




「文化祭?」

「ですわ」


 シャーリーの運転する車に乗り目的地へ向かう道中、深愛から概要を聞かされた。

 どこへ向かうのかという質問に「文化祭の準備ですわ!」と答えられたため、俺は首を傾げることになった。


「文化祭と雲母家に何の関係があるんだ?」


 一見繋がりのない両者。俺たちが通う豊英高校は国内でも有名な進学校だけあって、財界や著名人の二世三世が少なからず在籍しているが、学校側と特別な交流がある家の話は聞いたことがない。少なくとも神宮はそうだった。

 俺が知らないだけかもしれないが、学校は権力争いの場所じゃない。琉依のような一般家庭の生徒が大多数を占めるため、コネで成績を上げたり内申点を得たりすると大きな反感を買うことになる。世間体も良くないしな。

 話が逸れたが、要は雲母家が学校と深い繋がりを持つというのはおかしな話だ。

 俺の疑問に深愛はにこりと笑って答える。


「今年の文化祭が周年のお祝いというお話はご存知でして?」

「あー、そういや言ってたな」


 文化祭の実行委員を決めるホームルームで耳にした記憶がある。そのせいで今年の実行委員の選出は難航したためよく覚えている。


「今回は地域住民の方々も巻き込んでの大イベントをされるそうですわ。ですが、そうなると生徒だけでは人手が足りないとのことで、一部のご家庭が労働力や資金を出資されていますの。泉田君や紫乃ちゃんのご家庭も出資者リストに含まれていましたわ」

「なるほど。そんな大掛かりなことになっていたんだな」


 思えば文化祭の準備なんて精々1,2ヶ月前から始めるものを今年は夏休み前には実行委員を決めていた。外部の協力を仰ぐのならそれくらいの時期から準備を始めなければならないのかもな。

 メンバーに紫乃が居ない点も合点がいく。雪宮家が出資に関わっているのなら、雲母の人間と共に彼女が参加するのは雪宮にとっては面白くないだろう。

 果たして俺はいいのかという疑問はあるが……まあ、勘当されて今や神宮の名前などあってないようなもの。あの親父が俺の通う学校に出資なんてするはずもないし、特に問題はないと考えたんだろうな。


「それで雲母家も人手を駆り出すことになっていたんだな」

「うーん……少し違いますわね」


 現在進行形で俺たちも労働力として出向させられているのだと思いきや、深愛はそれを否定する。

 いや、彼女が引っかかったのはその点ではないらしい。不思議そうな顔をして首を捻る。


「雲母家が協力を申し出たのはつい数日前のお話なんですわ」

「数日前? 随分と急だな」


 素直な感想に深愛も同意する。


「お父上から連絡が来た時には私も驚きましたわ。お父上は私に普通の子供として育ってほしいと仰っていましたから、これまで雲母家の人間として学校生活に関与してくることはありませんでしたもの」

「おかしな話だな。気分が変わったという感じでもないし、学校に関わる理由ができたとか……」

「直近のお話ですと、紫乃ちゃんの件が関係しているのかもしれませんわね」


 彼女の言葉に眉がピクリと反応する。深愛は考えるように視線を斜め上に飛ばしていたため気づかれてはいない。

 先日の紫乃と久瀬との一件。俺の行動。そして深愛の父親の突然の判断。

 俺にはこれらが1本の線に繋がる。雲母家が文化祭に関わってきたのは間違いなく俺のせいだ。

 彼が何を考えているのか。その全貌は見えてこないが、ある程度の推測はできる。

 俺の考えが正しければ、やはり彼は信頼できる人だ。一度顔を合わせて話したいところだが、彼は忙しくその機会はもう少し先になるだろう。


「弥太郎君?」

「ああ、いや。大人の考えは子供が理解するには難しいと思っただけだ」

「親の心子知らず、ということですわね」

「使い方が違う気がするが、字面通りならそういうことだな」


 ともかく、文化祭と雲母家の繋がりは理解できた。

 これ以上深堀されると深愛まで巻き込みかねない。俺は早々にこの話題を切り上げることにした。


「ところで、文化祭を手伝うにしても何をするんだ? クラス内の出し物やステージは各クラスや担当者で事足りるんだろ?」

「なにも学校のお手伝いをすることだけが全てではありませんのよ。生徒たちと同様に地域住民の方々に向けてアプローチをすることも1つのお手伝いですわ」

「よくわからないんだが……」


 雲母家は学校から駅で言うと2駅、車で10分程度の距離に位置しており、地域住民の括りには含まれない。

 その上で地域住民に向けて出来ることというのもそうない気がする。

 釈然としない俺に対し深愛はふふんと鼻を鳴らした。


「私たちは小さな子どもたちに向けた絵本の博覧会を開きますわ!」

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