第17話 夢現の来訪者

 雲母家で働き始めて1週間が経った。

 学校での生活は相変わらず息苦しいが、少ないながらも友人に囲まれ、今のところ大した問題もなく過ごせている。

 仕事にも少しずつ慣れ、他の使用人と会話することも増えた。深愛に直接仕えるのはまだ先らしく、相変わらず彼女との時間が作れないのが難点か。

 そんな俺の生活に新たな問題が発生していた。


「弥太郎君、大丈夫ですの?」

「ああ、まあなんとか」


 できるだけ気丈に答えてみせるが、全く大丈夫じゃないことは深愛にも伝わってしまっているだろう。

 ここ数日、生活環境の変化やストレスをもろに受け学校に仕事にと励んだ結果、俺は物の見事に体調を崩してしまった。

 体温計の測定結果は39度超え。起き上がろうにも体がだるすぎて自力で起き上がれないという非力っぷりだ。


「やっぱり心配ですわ。私もお休みして看病しますわ!」

「学校には行ってくれ。寝てりゃ治るんだから」


 彼女は今朝からこの調子で俺の傍から離れようとしない。大層心配してくれていることは彼女のしゅんとした表情から伝わってくるが、深愛が学校を休むほどのことでもない。


「こんな状態で何言ってんだって話だけど、深愛に迷惑かけたくないんだよ」


 深愛にうつして寝込まれても困るしな。深愛なら「看病してもらえますわ!」とか言って喜びそうだけど。

 どうにか彼女に諦めさせようとするも、おやつを取り上げられた子犬のようにうるうると見つめる深愛。そろそろ出発させないと学校に遅刻するってのに。


「あー、あれだ。帰ってきたら好きなだけ一緒に居られるだろ。どうせ今日は働けないし、時間はいっぱいある」

「……いいんですの? 独り占めしても」

「動けないから止めようもない」

「付きっきりで看病してもいいんですの?」

「うつらないように気をつけてくれりゃいいよ」

「お風呂に入れて差し上げたり座薬を入れて差し上げたりしてもいいんですの?」

「どんなプレイだよ!」


 声を荒らげ、反動で咳き込む。動けないのをいいことにどこまで好き勝手するつもりだ、こいつは。想像しただけで……やめよう。俺にそんな趣味はない。


「そういうことでしたら、わかりましたわ。弥太郎君も辛そうですし、ゆっくり休まれてくださいまし」

「……おう」


 そういうこと、がどこまで含まれているかは甚だ疑問だが、体力が限界に達しその真意を問い質す気力はない。

 シャーリーと共に部屋を出ていく深愛をろくに見送ることもできず、俺は暴力的なまでに深い眠りに落ちていった。



 カチャカチャと金属が擦れる音で目を覚ます。

 眠ったおかげか少しは体が軽くなった気がするが、まだまだ気だるさは治まりそうにない。

 ズキズキと痛む頭を押さえて体を起こす。


「すまない。起こしたか」


 聞き馴染みのない声の方向へと視線だけを向ける。キリッと澄ました瞳がこちらを見ていた。


「体調はどうだ、弥太郎」

「まだ頭が痛い」

「そうか。食事は摂れそうか?」

「……少しだけなら」


 上手く働かない頭に眩む視界。空腹感はあるが、自分で食べるのは難しい気がする。


「食べさせてあげよっか?」

「悪い、助かる」

「ん、ちょっち待ってねー」


 ベッド側のテーブルに小さめの土鍋にレンゲが添えられたトレイが置かれている。彼……彼女か?が用意してくれたのだろう。

 お椀におかゆを掬い、ベッドに座り込むと、彼女……いや彼か?はレンゲで少しだけおかゆを掬いあげる。

 ふーっと吐息で冷ましたおかゆがこちらに向けられる。

 口を開けて待ちの姿勢を作ると、温かいおかゆが口腔内に運ばれてくる。


「ゆっくり噛むんだ。焦る必要は無い」


 言われた通りにしっかりと咀嚼して飲み込む。味はよくわからないが、梅だろうか、少し酸っぱさがある。おかゆも柔らかく、体調が優れない体にちょうどいい塩梅だ。


「ほんとにキツそうだねー。だいじょぶ?」

「大丈夫じゃないかもしれない。死ぬかな」

「あはは、そこまでじゃないって。」


 差し出されたコップを両手でしっかりと持って、ごくりと一口。とろりと甘く飲みやすい。


「どう? 慧ちゃんお手製のはちみつドリンクだよ」

「おいしい」

「あは、子供みたいな感想だねー」


 慧さんはすごいな。仕事だけでなく料理もできるのだろうか。尊敬の念が増していくばかりだ。


「こちらも慧さんの手作りだ。梅干しも種を抜いて潰してある」


 差し出されたレンゲにぱくり。はちみつドリンクの甘さとおかゆの程よい塩気で食が進んでいく。


「ふむ。食欲は問題なさそうだな」

「ああ。少し良くなってきた」


 空腹が満たされたおかげか、気分も楽になった気がする。病は気からと言うが、人の体は単純なものだ。

 改めて看病をしてくれた礼を言おうと沈んでいた頭を持ち上げる。


「……同じ顔が2人? ん、幻覚か?」

「あ、やっと気付いた」

「気付いたな」


 そこにはベッドに腰をかける人物とコップに飲み物を注ぐ人物。その2つが全く同じ顔をしていた。

 見間違いかと思い目を擦るが、やはり全く同じ格好で全く同じ顔だ。いよいよ頭がおかしくなったのかもしれない。


「俺やっぱ死ぬのか」

「死なない、死なないって!」

「悪い、深愛。俺先に逝くわ」

「うわー! やー君帰ってこーい!」


 飲み物を注いでいた元気な方に肩を思いっきり揺すられ、頭が大きく揺れる。マジでやめてほしい。脳みそが飛んでいきそう。


「やめてやれ。弥太郎、本当に死ぬぞ」


 そう言って大人しい方が諌める。幻覚じゃないな。もしかしてこいつら……


「双子か、あんたら」


 ようやくたどり着いたと言わんばかりに元気な方が「せいかーい!」と両手で大きく丸を作る。


「あっははは! 良いね、良いよ! やー君最高!」

「悪いな、弥太郎。体調が優れないのにゆうの悪ふざけに付き合わせて」

「そんなこと言っちゃってー。しゅうもノリノリだったじゃん!」


 揃いも揃って何を病人で遊んでいるんだ。こちとら思いっきり頭を揺らされて、せっかく良くなりつつあった気分が悪化したというのに。

 天罰でも下れと思っていた矢先、彼らの後ろにもうひとつの影が見えた。


「……修、悠。お前ら、覚悟はできてるよな?」

「あっ、慧ちゃん……やっばー……」

「悠、俺死ぬかも」

「もう修! こんな時に笑わせないで……くくっ」


 直後、スパンスパンと気持ちの良い音が部屋中にこだました。天罰、速達便で来たわ。

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