第14話 働く理由

 気まずい。非常に気まずい。

 鮫島について来いと言われ沈黙のまま廊下を進む。ただでさえ長い廊下なのに、万里の長城かってくらいの距離を感じる。

 前を行く鮫島は一度もこちらに目を向けず、寸分の狂いなくツカツカと進んで行く。

 ムカつく野郎だが、後ろ姿からもわかる姿勢の良さや所作の一つひとつに明確な差を突きつけられる。

 彼の動きを注視し見様見真似で歩き方を真似ていると、当然その足がピタリと止まる。静と動のメリハリに思わず息を飲む。一流の劇団でも観劇しているようだ。


「ここだ」


 彼が扉を開けた先は何も無い空っぽな部屋だった。

 いや、文字通りの意味ではなく、その部屋としての役割を果たしていないと言うべきか。

 埃っぽい静かな部屋だ。木製のテーブルと椅子には部屋の外からでも目立つほど真っ白と埃が被っていた。

 その周囲を立ち並ぶ本棚が部屋中を取り囲んでいる。それなのに、本は一冊たりとも見当たらない。

 恐らく書庫なのだろうと察しはつくが、もう何年も利用されていないことが見て取れる。


 鮫島がなんの躊躇いもなく入っていくため、俺もその後に続く。

 が、窓も開いていない部屋の中はふわふわと見えない埃が宙を待っているらしく、俺は一息吸って噎せ返る。


「必要なら下の階に清掃用の手袋やマスクがある。自分で取ってこい」


 背中を向けている鮫島の表情は見えないが、この程度で情けないとでも思っていそうだ。

 俺はムキになって「大丈夫です」と突っぱねる。


「じゃあ窓を開けて換気しろ。網戸は開けるなよ」

「……わかりました」


 人遣いが荒いやつだ。神宮家の人間として扱われるのはあまり良い気がしないが、こう命令されても癪だ。

 しかしここは言い争うようなことはせず、俺は大人しく窓を開ける。新鮮な空気が部屋に吹き込み、俺は大きく深呼吸をした。


「今日と明日はこの部屋を掃除する。掃除用具はそこに移動してある。俺は下の階をやるから、お前は上のフロアを担当しろ」


 鮫島が指をさした先に箒やちりとり、モップや水入りバケツ等の用具が揃えられていた。そして部屋の隅には階段があり、吹き抜けの上階にも同じく本棚がずらりと並んでいる。

 俺がそうやって確認をしているうちに鮫島はそそくさと作業に入っていた。


(え、それだけかよ)


 口から出そうになった言葉を飲み込む。鮫島はそれ以上の指示もせず、黙々と雑巾で本棚を拭きあげ始めた。

 これほどの広さをたった2日で、それも2人でやれと言うのか。しかもなんの説明もなし。言われたことだけやってろ、の状態だ。


「鮫島……さん、一つだけ聞いていいすか」

「断る」


 その上この仕打ち。指導者として不適切にも程がある。

 取り付く島もないため、俺は諦めて掃除に取りかかることにした。


 ……んだが、これが何ともまあ大変だのなんの。

 そこらの小さな図書館より広い部屋に並ぶ、数えるのも億劫になる数の本棚。それら全てが埃まみれで、一つの枠を拭きあげるだけで雑巾が真っ黒になる。

 埃のせいで鼻がムズムズするし、タキシードも真っ白になるしで最悪な気分だ。早く風呂に入りたい。


 やっとの思いで1つ目の本棚を拭きあげ、雑巾を洗いに階段を下る。

 鮫島の進捗を見てやろうとバケツに手を入れて横目で彼の姿を捉える。彼は既に3つ目の本棚に取りかかっていた。早すぎんだろ。どうせ適当にやって綺麗になってないとかそんなオチだ。


(いちいち階段昇降しなくていい分楽でいいよな)


 そんなことを考えながら雑巾を絞り再び上階へ戻ろうとして、ふと足を止めた。鮫島が掃除を終えたと思われる本棚が目に留まったからだ。

 埃一つないツヤツヤの木目。棚の中だけでなく、縁や本棚の上まで綺麗に磨かれている。心の中で小馬鹿にしていたその出来栄えは、遠目では新品かと見紛うほどだった。

 俺は急ぎ足で上階に戻る。そこにあったのは、まだまだ白い埃を被った本棚だった。

 隣に並ぶ棚に比べると幾分かマシだが、今しがた目にした完成形と比べると、掃除をしたとは口が裂けても言えない出来栄えだった。


(何してんだ、俺は)


 自分の愚かさに辟易する。鮫島の手際が良いのはそうだろうけど、俺は大変だとか風呂に入りたいとか余計なことを考えながらダラダラと掃除をしていた。

 俺にとって、この掃除はただの作業になっていた。手を動かすだけ。とりあえず目の前のことを終わらせるだけの作業だ。

 だが、鮫島は違う。

 あいつにとってこれは仕事だ。やるべきことを完璧に遂行し、誰が見ても上出来だと認める仕事だ。

 手を抜こうとか、適当に流そうとか、そんな軽薄なことを考えていたつもりはなかった。それでも、仕事に向き合う姿勢としては全くもって足りていなかった。


 鮫島は凄いやつだ。ムカつくけど、使用人という仕事に向き合う姿勢はひたむきで、妥協も手抜きもなくきちんとやり遂げる。

 そんな彼が俺を毛嫌いするのは、恐らく神宮家の人間だからだ。

 温室育ちのボンボンが使用人の真似事をしようとしても、使用人という仕事に真剣に向き合っている人にとっては腹が立つ話だ。今の俺はまさにそれだ。

 このままじゃいつまで経っても彼に認められることはない。俺がギャーギャーと言い返しても、なんの説得力もない。

 掃除ひとつ取ってもこの程度じゃ先が思いやられる。これから雲母に仕えていくのなら、こうした仕事にも真剣に向き合わなきゃ始まらない。

 俺はもう一度気合いを入れ直し、1つ目の本棚の掃除に取りかかった。



「おい。もう終わりにしろ。そろそろ食堂が閉まる時間だ」

「は……はい!」


 鮫島さんにそう声をかけられ肩の力を抜く。あれから数時間。集中していたせいでどれほどの時間が経ったかわからないが、窓の外はすっかり暗くなっていた。

 ずっと手を動かしていたせいで腕が痛い。運動不足になるほど体を動かしていない、ということはないはずだが、いつもは使わない筋肉を酷使したせいだろうか。

 雑巾を絞ってラックに干していると、鮫島さんが声をかけてくる。


「どこまで終わった?」


 彼は既に最後のひとつを残して全ての本棚の掃除を終えているようだ。一方の俺は、


「まだ4つ目の途中です」


 この有様だ。割合で言うと鮫島さんの30パーセント程度。にも関わらず、彼は息一つ乱していない。普段からこれくらいの運動量は当然なのかもしれない。

 俺の返答に対し、鮫島さんは明らかに苛立った様子で目を細める。


「お前、舐めてんのか?」


 そう捉えられても仕方がない。明日までに終わらせなければいけないのに、まだ半分も終わっていない。床やテーブルの掃除も鑑みると到底終わるペースじゃない。


「申し訳ありません。食事を終えたら就寝時間まで続きを」

「ダメだ」


 せめて迷惑にならないようにと思っての提案だったが、鮫島さんはバッサリと切り捨てる。


「就業時間は21時までだって規則で決まってる。お前が勝手にやって、もし見つかったら怒られるのは俺だ」


 なるほど、そんなルールがあるのか。だとしたら、俺のわがままに鮫島さんを巻き込むわけにはいかない。使用人に無理をさせないためだろうけど、今の俺には不都合だな。

 しかし、困ったことになった。このままでは絶対に間に合わない。だからといって手を抜いて仕事を疎かにしたくない。

 どうしたものかと頭を抱えていると、鮫島さんがいつの間にか目の前まで迫っていた。


「お前、やっぱこの仕事辞めろ」


 貫くような鋭い視線に怒気のこもった声色。

 悪いのは俺だ。言い方はキツいが、彼が怒りを露わにする気持ちが今ならわかる気がする。


「俺たちは全員、ご主人様やその御家族への恩義と忠誠を持って働いてんだ。深愛様の旧友か知らんが、ガキのままごとに付き合ってやるほど暇じゃないんだよ」


 ままごと、か。言い得て妙だ。

 数時間前の俺は間違いなくままごとだった。彼から見れば今の俺だって変わらないかもしれないが、俺はもうお遊び気分でやってるつもりはない。

 だから、彼の言葉が今なら理解できる。ここで逃げたくないと強く思える。


「すみませんでした。必ず明日には間に合わせます。鮫島さんには迷惑をかけません。なので、もう一度だけチャンスをいただけませんか?」


 誠心誠意頭を下げて懇願する。俺も彼と同じ気持ちだからだ。

 雲母に何か一つでも返せるなら、俺はここで働きたい。彼のように与えられた仕事にきちんと向き合いたい。彼のように自分にできることを最後までやり遂げたい。

 鮫島さんは俺の質問に対する返答はせず、全く別の質問で返す。


「お前、なんでそこまでして働こうとするんだ」


 ゆっくりと顔を上げると、先程までの怒りは消え、どこか悲しそうな、悔しそうな、不思議な表情をしていた。


「シャーロットから聞いた。お前はお嬢様のお気に入りだろ。約束だか何だかで働かされてるだけで、別に何もしなくても屋敷で暮らせる。なのに、お前はなんで食い下がるんだ」


 シャーリーめ、そんなことを話したのか。2人の様子を見ていて思ったが、年齢が近いこともあり割と仲が良いのかもしれない。

 ……鮫島さんがシャーリーに振り回されている姿が容易に想像できるな。

 どう答えようかと考えを巡らせ、俺は今の気持ちを素直に伝えることにした。


「恩義とか忠誠とか、そんな堅苦しい話は俺にはわかりません。ですが、きら……深愛の力になりたい、深愛の幸せを隣で支えたいって気持ちは誰にも負けません。彼女の力になれるなら、彼女に恩返しができるなら、俺は何だってやるつもりです」


 俺の返答に彼は目を見開く。まさか俺の口からこんな言葉が出てくるとは思っていなかったのだろう。俺も同じだ。

 だが、確かに雲母がいつものように笑って、幸せに暮らせたらそれ以上に求めるものはない。

 全てを失った俺にも望めるものがあるとすれば、それは雲母の幸せに他ならないのだろう。

 思えば恥ずかしい話だな。何を真面目におかしなことを言っているんだ。

 鮫島さんもそう思ったのか、ふんと鼻を鳴らす。その時の彼は、少しだけ笑ったような気がした。


「その程度じゃ話にならない。お前には覚悟が見えない。お前は深愛様のために死ねるのか? 私は旦那様のためなら死ねる。旦那様をお護りするためなら命を懸けられる。それくらいの覚悟でお傍に仕えているんだ」


 死ぬなんてぶっ飛んだ話だが、要人なら有り得ない話でもないのかもしれない。あまり考えたくはないが。

 彼は雲母の親父さんに相当な恩があるのだろう。そこまで言い切れるのも尊敬に値する。俺よりも恥ずかしいことを言ってるな、とも思うが。

 彼の覚悟に比べ、俺はどうだろう。雲母のために命を懸けられるだろうか。そんなの、答えは決まっている。


「俺は深愛のために死ぬことはできません。俺が死んだら深愛が悲しみますから。何が起ころうと、深愛は必ず護ります。そして、一生彼女に仕えたいと思っています」


 雲母の身代わりになるなんて言うと絶対に怒られる。雲母なら俺の後を追って来ないとも言い切れないのが恐ろしい。

 雲母は何故か俺に執着してるんだよな。おかげでこうして行き倒れずに済んでるし、働き口まで見つけられたのはありがたいんだが、未だにその理由はさっぱりだ。

 俺の言葉に彼は自嘲気味に笑い、「そうか」と呟く。


「その言葉、口だけじゃないって証明しろよ」

「はい、必ず!」


 その笑みの真意は定かではないが、どうやらチャンスはもらえたらしい。

 一足先に書庫を後にする彼に一礼し、その背中を見送る。

 少しは俺の気持ちが伝わったと思うが、まだ認められたわけじゃない。

 俺は急ぎ食事と入浴を済ませ、自室へと戻った。

 そういや今日はあまり雲母と話せなかったな。次に顔を合わせる時は覚悟した方がいいかもしれない。

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