第12話 相性最悪

 シャーリーに連れられた先は大広間……いや巨大広間だ。シャトルランでも出来るんじゃないかと思えるほどに広い。

 高い天井には豪華なシャンデリアが吊るされ、壁にはキラキラと輝くステンドグラスが並ぶ。この一室だけでも相当な費用だろうと遠くを見つめた。


「こちらは大広間です。主に来賓の方々を交えてのパーティーや忘年会、新年会で使用されます。とは言え、ご存知の通り旦那様と奥様が揃われるのはごく稀のことですが」


 雲母の父親は『Mia Production.』の社長として日本中を飛び回り、講演会やメディア出演と大忙しだ。母親に至っては少し前に海外デビューを果たし、今や女優として世界的な活躍を見せている。

 俺も挨拶をしたいところだが、生憎とまだ屋敷に戻った姿を見ていない。


「そんなことまでやるのか。福利厚生が充実していると言うか、使用人への待遇が良すぎて頭がついて行かないな」

「それが旦那様の信条なのだよ」


 背後から聞こえた聞き覚えのある声に振り返る。この屋敷で世話になるに至った時、挨拶だけだが一度言葉を交わしたことがある。

 執事長の茂野厳しげのいわおさん。もう何十年と雲母の父親に仕えており、主が不在の間この屋敷の管理を任されている最高責任者だ。

 シャーリーが静かに頭を下げたため、俺もすぐさまそれに倣う。


「旦那様は心優しい御方だ。我々従者という立場の者共にもその御心は変わらぬ。だから我々はあの御方に使え続けているのだ。旦那様とその御家族の為にこの身を尽くすと誓えるのだ」


 嗄れた声。皺の多い目元。しかしその声には確かに主人への憧憬が込められ、その目からは確かな忠義が伝わってくる。


「問おう、神宮弥太郎よ。君は我々と心を共にする気概はあるか? 深愛様に仕え、その身を尽くす覚悟はあるか?」


 突き刺すような視線が俺を捉えて離さない。シャーリーがいなければ、今頃俺は茂野さんの視線から逃げていたかもしれない。

 だが、今の俺なら大丈夫だ。俺の目指すところ、やるべきことは決まっている。


「はい。僕には深愛……様に救っていただいた恩義があります。彼女がいなければ、僕はきっと完全に腐り落ちていた。この心を救ってくださったのは深愛様です。だから僕は、彼女のために全てを尽くす覚悟でこの場所に立っています」


 少し大袈裟かもしれないが、これが今の俺の本心だ。揺るぎない雲母への感謝と恩義。彼女に受けた大恩に報いる覚悟だ。

 雲母に聞かれでもしたらちょっと恥ずかしいな。ちょっとどころじゃないか。穴に入るどころか沼に沈みたくなる。

 恥ずかしい思いをしたおかげか、茂野さんに俺の覚悟が伝わったようでこくりと頷いた。


「私は元神宮家の人間だからと手は弛めるつもりはない。それでも構わぬか?」

「俺……僕もその方がありがたいです。よろしくお願いします」

「ふむ。なかなか見応えがある」


 納得した様子の茂野さんは、こちらへスっと右手を差し出す。


「良かろう。君の覚悟、然と受け取った。存分に励み給え」

「あ、ありがとうございます!」


 先程までの威圧感はふっと薄れ、好々爺のように穏やかな笑みを見せる茂野さん。なんとか第一関門は突破したようだ。


「しかし、無理はせぬようにな。学生の本分は学業と青春だ。週末であっても気兼ねなく休んで構わぬぞ。万一体調に異変があればすぐに報告するようにな」

「ご、ご心配ありがとうございます。でもご安心ください。勉強には自信がありますし、青春は……」


 どうせ学校じゃ嫌われてるからどの道無理だ、とは言えない。


「学友と過ごす時間も設けるようにしますので!」

「そうかそうか、それは安心だ」


 同一人物かと疑いたくなる変貌っぷり。まるで近所のおじいちゃんだ。

 シャーリーもそうだったが、仕事とプライベートの切り替えがしっかりしていると感心する。

 当たり前のことのようにも思えるが、案外難しいことだ。こういうところから見習っていこう。さっきも少し怪しかったしな。

 一時の談笑もそこそこに、茂野さんはこほんと咳払いをする。


「君には早速働いてもらうことになるのだが、教育者として歳の近い者を付けようと思うが如何かね?」


 俺の教育か。てっきりシャーリーがその勤めを果たすものだと思っていた。

 俺の視線から思惑を感じ取ったのだろう。彼女は首を横に振る。


「私はこれでもお嬢様の付き人ですので、あのお方の傍を離れられません。私の代わり、ではありませんが、ご年齢が近い使用人の方が弥太郎様も気軽に話しやすいかと」


 俺への対応を改めようと話していたばかりなのに、これまでの癖なのか俺に敬称をつけてしまうシャーリー。俺も人のことは言えないが、彼女もまだまだだな。

 それはそうと、シャーリーが俺の教育に付けないのはもっともだ。俺はあくまで使用人としてのいろはを学ぶところから。屋敷内を駆け回るのに雲母の付き人であるシャーリーは不適切だ。

 代わりに知らない人が相手となるなら、確かに歳が近い方が多少はマシな気がする。

 こればかりは時の運、ガチャみたいなものだ。若い方が爆死の可能性が低いってだけの期待値でしかない。あとは祈るのみ。

 俺は茂野さんに向き直り、肯定の意を示す。


「では、そのようにお願いします」


 俺の意思を確認した茂野さんは懐からスマホを取り出し、誰かに電話をかける。スマートで器用な操作だ。


 程なくして、大広間の裏口から1人の男性が現れた。

 切れ長の目にシュッとした輪郭。モデルのような高身長にスラリとしたシルエットがタキシードの格好良さを際立たせている。

 まさに美青年。思わず見蕩れるほどだった。


「鮫島君。こちらへ」


 鮫島と呼ばれた彼は、後ろに結んだ黒髪を規則正しく揺らしながらこちらへ近付いてくる。その一挙一動すら一切の乱れがなく美しい。映画のワンシーンでも見ているようだ。


「紹介しよう、鮫島慧さめしまけい君だ。今年で19歳になる」


 ということは、俺の2つ上に当たるのか。同じ大学にこんな美男子が居たら他の男子はたまったものじゃないな。


「鮫島君、彼は」

「茂野さん、もしかしなくても彼の指導を俺がやれと言うつもりですか?」


 茂野さんの紹介を遮り、鮫島さんはギロリとこちらを睨む。どうやらこれは大爆死らしい。

 若い人なら神宮家との繋がりが無い分、俺に対する嫌悪感も多少はマシになるかと思ったが、残念ながらあてが外れてしまったらしい。


「悪いですが、断固拒否です。では、これで」


 言いたいことだけ言い終えて立ち去ろうとする鮫島さんの腕をシャーリーが掴む。


「鮫ちゃん」

「シャーロット、その呼び方やめろ」

「慧ちゃん?」

「ちゃん付けをやめろって話だよ」


 あ、なんか親近感。わかるよ、シャーリーには振り回されるよな。誰に似たんだか。


「おいお前、笑ってんじゃねえぞ」


 Wow……とんだとばっちりだ。

「滅相もありません」と軽く頭は下げておく。この人怖いよ。もうこのまま帰らせてあげてほしい。


「慧、逃げるのは良くない。弥太郎様のことが怖いの?」

「はぁ? 誰が怖がるかって、あんな七光り野郎」

「じゃあ、何が嫌なの?」


 シャーリーがタメ口で話す物珍しさに加え、彼女は何故か鮫島さんを煽って食い止めようとする状況。ついていけない俺。俺のために争わないで!って言えばいいのか?


「別に。こいつが深愛様の温情で働くのは勝手だけど、俺の邪魔はされたくないだけ」

「弥太郎様は邪魔なの?」

「ああ、そうだろ。どうせ俺たちの気も知らないで、行くあてもないから執事になりますとか言ってるだけだろ? そんなやつ、一緒に働きたくねえっての。深愛様の気も知れねえや」


 今のは流石の俺もカチンときた。

 今朝の俺ならそうだったかもしれないが、今は彼らがどんな気持ちでこの場所で働いているのか、多少なりとも知っているつもりだ。

 それは当然多少であって、その全てを知っているわけではないが、俺のことを何も知らずに否定される言われはない。

 何より、雲母が俺に向けてくれた優しさを踏み躙られたようで、俺はとうとう爆発した。


「シャーリー。別に鮫島さんに拘らなくていいよ」


 そう口を挟むと、全員の視線が俺に向いた。

 中でも鮫島さんは不機嫌そうに俺を睨んでいる。


「俺だって本気なんだ。もっとちゃんとした人に教わりたい。人を噂だけで判断するような人に教わっても何も学べそうにないしな」


 明らかに怒りのボルテージを上げた鮫島さんは眉根にめいっぱい皺を寄せる。


「んだとクソガキ……落ちこぼれは歳上の敬い方も知らねえのか?」


 俺もだんだんと怒りが燃え上がっていき、口が止まらなくなる。


「その口の悪さ、どうにかなりませんか? 雲母家に仕える者として気品の欠片も見えないっすよ」

「上等だ! 俺がその性根叩き折って二度と逆らえないようにしてやらァ!」

「こちらこそ、まずは丁寧な日本語から教育してあげようか、鮫ちゃん?」

「はい殺す、絶対殺す!」

「やれるもんならやってみろよ鮫ちゃん」


 メンチを切られ、鼻で笑い飛ばし、胸ぐらを掴まれ、掴み返す。

 普段ならこんな子供のような喧嘩は適当に流すに限るが、今日ばかりはどうしてか歯止めが効かない。

 このまま殴り合いでも構わない──そう思った瞬間、ゴツンと固いもの同士がぶつかる音が大広間に響く。同時に襲う鈍い痛み。

 頭を押さえて蹲る俺の目の前には同様の姿の鮫島が居た。「いってぇ……」と声が揃う。


「雲母家の気品に欠けるのはどちらも同じだ。よって両成敗とする」


 俺たちに鉄拳制裁したのは茂野さんだ。彼は痛みに顔を歪める俺たちに審判を下す。


「君たちが何を言おうと組み合わせは変えぬ。鮫島君がしっかりと神宮君の面倒を見たまえ」

「ハッ。絶対に嫌だね」

「では、1ヶ月後、もしも神宮君が私の求める水準に達していない場合、2人とも使用人の職から外れてもらう」

「はあ?」


 またしても俺と鮫島の声が揃う。そして睨み合う。息が合っているようで気持ち悪い。


「しかし、君たちはどちらも雲母家に拾われた身。執事としては外れてもらうが、その後のことは私では決められぬ。その点は旦那様と深愛様の温情を祈る他ないな」

「待ってくださいよ! なんでこんなやつに!」


 これもまた声が揃い、互いに真似をするなと睨み合う。俺だってこんなやつに教わるのは願い下げだ。まだ他の人の動きを見て学ぶ方が有意義だとすら思う。


「とにかく、これは決定事項だ。やるもやらぬも君たちの好きにするがいい」


 茂野さんにそう言い切られ、俺たちは何も言えずに言葉を飲んだ。これ以上何を言っても聞いてもらえないことは俺達も理解していた。

 俺が水準に達せず鮫島がクビになろうと知ったことではないが、このままでは雲母に合わせる顔がない。

 例え俺が協力的になろうとも鮫島が素直に聞くとも思えない。どうにか自分の力で乗り切るしかない。

 そう高を括っていると、鮫島が大きなため息をついた。


「来い、七光り」

「その呼び方やめろよ」

「いいからついて来い」


 有無を言わさぬ態度でそう言い切り、裏口から大広間を後にする鮫島。


(何だよ、急に大人しくなりやがって)


 調子が狂う。頭を掻いて俺もため息をついた。

 鮫島はどうも使用人をクビになりたくはないらしい。目的は金か名声か。その真意は俺にはわからない。

 だが、協力する他ない以上、俺だけがいつまでも小言を言っている場合じゃない。

 俺も鮫島の後を追って大広間を出た。

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