第5話 いつでも気高いお嬢様

 食事を終えた俺たちは、のんびりと歩きながら学校へと向かった。

 繁華街からおよそ30分ほど。交通機関を利用しても良かったが、食後の運動にと雲母の提案で徒歩での移動となった。


 学校に着くまでに雲母との会話で財布の在り処について心当たりを探っていく。

 財布を使ったのは、昼休みに食堂で食券を買ったのが最後だった。

 その後、休み時間に飲み物を買うために自動販売機に立ち寄ったが、誰が奢るかを賭けたじゃんけんをして俺は勝った。

 財布があるとすれば食堂だろうか。もしかすると、食事中にテーブルの上に置きっぱなしだったのかもしれない。


「先に食堂に寄って、見つからなければ職員室に行こう。財布を誰かが拾ったなら、先生に届けているかもしれない」

「そうですわね」



 学校に着いた俺たちは、予定通り食堂へと向かった。食堂では部活の休憩中か、生徒たちが数グループに別れて食事を摂っていた。

 土日でも部活動生のために日中は食堂を開放している。生徒思いで何よりだ。部活動に所属していない俺には関係ない話だが。


 食堂のおばちゃんに財布について聞いてみたが、何の情報も得られなかった。

 俺たちはその足で昨日使ったテーブルに移動した。置きっぱなしだったら誰にも見つからずにまだ残っているかもしれない。


 しかし、そのテーブルには既に先客がいた。二人の男子生徒が向かい合って座っている。

 こちらから見えるのは、奥に座っている厳つい顔の男子生徒。何かのユニフォームのような服装から見て運動部のようだ。

 そしてその対面に座る人物は後ろ姿だが、やけに目立つ赤色の髪が肩の揺れに合わせてゆらゆらと靡いている。

 俺はその赤髪に見覚えがあった。あんなに目立つやつは1人しか知らない。


「よう、琉依」


 その人物に挨拶をすると俺に気付いたようで、こちらを振り返って軽く手を挙げた。


「やっ、珍しいね。土曜なのに学校に居るなんて」

「ちょっと探し物をな」


 笑顔から溢れる爽やかなイケメンオーラ。俺に残された数少ない親友の一人、如月琉依だ。

 本名は如月・ウィリアム・ルイス。名前が特徴的なのは両親の意向らしく、基本は日本名である琉依を名乗っている。

 ヨーロッパ系のハーフで、切れ長の目と血を色濃く残した綺麗な赤髪がよく目立つ。

 性格も穏やかで真面目。とにかく顔のかっこよさに性格のかっこよさを重ね掛けした最強のイケメンであり、俺が勘当されても今までの関係を続けてくれる大親友だ。


「捜し物って?」


 琉依は箸を置いて、こちらに向き直る。このひとつの所作だけでも琉依の真面目さが垣間見える。


「財布だよ、財布。ここで使ってから失くしたみたいでな」

「えっ! 昨日は大丈夫だったのかい? うちに来てくれたら……ああでも、昨日は姉さんが居たから難しかったかも」

「まあ、色々あってな。そんなに心配しなくても大丈夫だ。なんとかなった……と言うか、なんとかしてもらったと言うか」


 琉依は不思議そうに首を傾げる。そりゃあ何が何だかって感じだよな。俺もそうだ。

 本当に色々あったんだ。琉依には今度きちんと説明しよう。


「それで、財布見なかったか?」

「ごめん、見てないよ。僕らがここに来た時には無かったと思う。鷺沢先輩も見てないですよね?」

「ああ、見てないな」


 鷺沢と呼ばれた、琉依の向かいに座る生徒も首を横に振る。顔怖いなって思ってたけど先輩だったのか。


「力になれなくてごめんよ」

「いや、大丈夫だ。誰かが既に拾ったのかもしれないし、職員室に行ってみる」

「そうだね。見つかるといいんだけど」


 そう呟いた琉依は、俺……ではなく、俺の背後にじっと視線を向けた。

 視線があった2人はぱちくりと瞬きをする。


「え、雲母さん?」

「こんにちは、如月君。ご機嫌麗しゅう」

「あ、どうも? え、どういう状況?」


 いつもは冷静でしっかり者の琉依が珍しく混乱している。高校で俺たちが会話することはなかったし、不思議な組み合わせに見えるのはよくわかる。


「まああれだ、親の付き合いでな。実は昔からの顔馴染みなんだよ。昨日困ってたところを助けてくれて、今日も財布探しに付き合ってくれてるんだ」

「なるほど、そういうことだったんだね」


 琉依はこれまでの流れを粗方理解したらしく納得の意を示す。


「でも、よかったよ。弥太郎が僕ら以外の人と話せるようになってて」


 琉依はそう言って自分の事のように喜ぶ。彼が友人でいてくれることがこれほど嬉しいこともない。


「ご安心くださいまし、如月君」


 うげ、とつい口から漏れそうになる。まさか余計なことを言うんじゃないだろうな。変なことを口走るようならすぐにでも引きずってこの場を退散しなければならない。

 しかし、そんな心配を他所に雲母は優しく微笑んだ。


「困っている人は誰であっても助ける。名前なんてお飾りに左右されるほど、私の信条は生ぬるいものではありませんことよ」


 そう言ってのける雲母に琉依も安堵したように破顔する。

 よかった、綺麗な方の雲母だ。こういう時の彼女はやはり頼りになる。


 会話に区切りがついたところで、そろそろお暇しよう。琉依も部活の休憩中だろうし、これ以上邪魔をしても良くない。

 しかし……この状況で普通に焼肉定食を頬張ってる鷺沢先輩のメンタルの強さよ。結局ほとんど話さなかったが、琉依は俺と普通に話していて大丈夫なのだろうか。

 彼については後で琉依に聞くとしよう。俺と会話していたことを咎められていたら謝らないといけないしな。


「それじゃ、俺たちはこれで。お邪魔して悪かったな」

「あ、弥太郎」


 琉依はきょろきょろと視線を動かして、周りに聞こえないように耳打ちをする。


「このこと、与一は知っているのかい?」


 その声は鷺沢先輩にも雲母にも届かないほど小さい。

 俺も黙って首を横に振ると、琉依は「そうかい」と眉を寄せて笑った。


 俺から離れた琉依はいつもの爽やかスマイルを取り戻す。

 

「僕もサッカー部の人達に聞いておくよ」

「ありがとう、助かる」


 そう感謝を伝え、俺たちは食堂を後にした。


 職員室へと移動しながら琉依との会話を思い出す。

 与一か。琉依は素直に話を聞いてくれたが、あいつに説明するのは骨が折れそうだ。

 それにしても……


「やけに大人しかったな。どうかしたのか?」


 学校に来てからというもの、雲母の様子がどこかおかしい。

 琉依と話している最中にもほとんど会話に入ってこなかった。

 俺はてっきり「弥太郎君の新しい彼女ですわ!」とか余計なことを言うんじゃないかとヒヤヒヤしていたのに。


「特になにもございませんわよ。ただ……」

「ただ?」


 神妙な顔をする雲母に向き直る。体調でも崩したんじゃないか。どこか悪いならシャーリーを呼んで先に帰らせて……


「キャラを崩さないように必死なのですわ。先程も如月君の前で暴走する私を抑え込むので精一杯だったのですわ」

「なんだ、そんなことか」


 心配して損した。まあ、あの乱れた姿を学校では見せられないのはわかるし、俺も大人しくしてくれた方が安心するが。


「なんだとはなんですのっ! よろしくて? 如月君に好きが溢れるあまり弥太郎君を襲おうとしたとお伝えしてよろしくて? 校内放送でおマヌケさんな許嫁さんを煽りながら弥太郎君は私のものだと豪語してもよろしくて!?」

「悪かった。全くよろしくないからそのままで頼む」


 ぷんと頬を膨らませる雲母。相当我慢してくれていたんだな。彼女の理性がちゃんと仕事してくれてよかったと心底思う。



「職員室にも情報なし、か。困ったな」

「どこに行ってしまわれたのかしら」


 職員室にも財布の落し物は届いていなかった。生徒会が管理している落し物の保管室にもそれらしいものは無く、財布探しは完全に行き詰まった。


「先に拾われた誰かが持って行ってしまわれたのかもしれませんわね」

「だよなぁ」


 盗むのは当然悪いことではあるが、そもそもどこかに落としてしまった俺にも非があるため、怒ろうにもどこに怒りの矛先をぶつけていいのかわからない。


「とりあえず学生証の再発行手続きは済ませたし、警察署で届出を出して帰るか」

「そう……ですわね」


 覇気のない雲母の返事。優しい彼女のことだ。俺の身を案じてくれているのだろう。

 これ以上雲母に心配も迷惑もかけたくない。

 俺は言葉を選び、優しく彼女に語りかける。


「そう心配しなくていいって。これからの生活費はバイトでもして稼ぐからさ。それまでは琉依か与一の家にでも泊めてもらえるようお願いするし、最悪実家に頭下げりゃ母さんは受け入れてくれるだろうしな」


 とは言ってみたものの、琉依も与一も実家暮らしで何泊も泊めてもらうのは難しいだろう。

 実家は実家で、もらったお金を失くしました、なんて言うとまた父さんに殴られそうだ。

 だが、一瞬の痛みで済むなら安いものだ。そう不安になることもない。


「で、ですが……やはり屋敷の者たちに捜索を」

「大丈夫だって。財布を落とした可能性のある場所は全て探したんだ。人手を増やしても見つかるとは限らないだろ?」


 そう断ってみるが、雲母は「でも……」と別の方法を模索している。

 その姿は淑女たる雲母らしくない、わがままな子供のようだった。


「雲母の気持ちは嬉しい。俺を心配してくれるその気持ちだけで充分だ。野垂れ死にそうなところを助けてもらったし、今日も一日手伝ってくれたしな」


 これが今の俺の気持ち。嘘偽りない本音だ。

 本来であれば俺のような落ちぶれ者と雲母のような令嬢が一緒にいていいはずがない。

 今日は何も起こらなかったが、今後もそうだとは限らない。これから落ちるしかない俺の人生に雲母を巻き込みたくはない。

 別に生き方に拘らなければ、高校生の俺にも生きる道はある。あの臨海公園で潮風を浴びながら夜を明かすのも悪くない。

 落ちぶれ者の末路にはお似合いなのかもしれないな。


「さ、警察署に寄って帰ろう。俺も送ってくついでに荷物を取りに行かなきゃな」


 雲母に余計なことを言わせないようにそう締め括る。


「違う、違うの。恩返しをしなきゃいけないのは私の方なの」


 そんな彼女の声は聞こえないふりをして、俺は足早に先を急いだ。

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