憑き物怪異帖

化野 佳和

開かずの間

開かずの間 1





開かずの間には、なにがいる

なにもいないか、なにがある

なにもないのか、何故開かない


開かないならば、開けてはならぬ

開けたのならば、食われかねん





 うだるような暑さの中、青い着物を着た男、八神勇弥はとある屋敷に向かって歩いていた。

 だらっとした姿勢のまま、日陰で息を整える。


「やれ、疲れた。

何でこんな山奥まで来なきゃいけないの。

蒸し暑いし、虫は多いし、無視すればよかった」


 ぶつくさと文句を言いながらも、諦めたようにため息をついて再び歩き始める。

 しばらく山道を歩くと、大きな屋敷が見えてくる。

 勇弥は安心したようにため息をつき、もうひと踏ん張りだと道を登っていく。


 ようやく民家の玄関前に到着した勇弥は、息を整えて戸を叩いた。


「ごめんくださーい。

ご依頼を受けて参りました、八神ですー。

ごめんくださーい!」


 しかし呼んでも家人からの返事はなく、家の中はしんと静まり返っている。

 聞こえてくるのは、じわじわと全身を覆うような蝉の泣き声ばかりだ。

 いくら待っても返事はなく、ただただ炎天下で身を焦がすばかりの勇弥は、戸惑ってしまう。


「え、あれ?

これ帰っていいやつ?」


 元より面倒くさい依頼だったこともあり、次に呼んで返事がなかったら帰ろう。

 勇弥はそう決めてもう一度だけ、声を掛けてみることにした。


「ごめんくださーい!

……よし、帰ろ――うわお!!」


「お待ちしておりました、八神様」


 相変わらず声を掛けても返事がなく、これ幸いだと振り返った時。

 勇弥の背後には一人の男性が立っていた。

 それに驚いて思わず声が出てしまった勇弥は、思わず胸の内が表へ出てしまう。


「む、無言で背後に立たないでください!

居たなら声かけて!」


 一瞬にして冷や汗をかき、胸を押さえる勇弥の様子を特に悪びれることなく、男は淡々と口を動かす。


「失礼いたしました。

お声かけしようとしたら、振り向かれましたので。

さ、どうぞお上がりください」


「は、はぁ……。

では、お邪魔いたします」


 軽く頭を下げて屋敷へと先導する男に若干呆れながらも、勇弥はその後ろに続いて屋敷に上がる。

 玄関の敷居をまたぐ前に丁寧にお辞儀をした勇弥は、そこで何かの気配に気が付いた。

 しかしそれを口にすることはなく、男に案内されるままに客間に通されたのだった。


「こちらへどうぞ。

今、お茶を入れて参ります」


「あ、どうも。

お構いなくー」


 勇弥を客間へ案内すると、男は軽く頭を下げてその場を離れていく。

 その背中に声を掛けながら腰を下ろした勇弥は、きょろきょろと部屋を見回しながら独り言を呟く。


「……は~、立派な家。

ここらの地主なんだろうけど、愛想のない家主だこと。

暗いし、ぼそぼそ喋るし、目も虚ろ。

もうあの人自体ががホラーじゃん?」


 そこまで言った時、突然すっと襖が開いて男が顔を出した。


「お待たせいたしました」


「はい、どうもっ!」


 まさかこんなにも早く戻ってくるとは思っていなかった勇弥は、心臓が飛び出そうなほど驚いてしまう。

 そんなことを気にも留めていない男は、勇弥の前にすっと麦茶を出しだした。


「今日は暑いですので、冷たい麦茶です」


「あ、どうも……。

あのぉ……さっきの独り言、聞いてました?」


 何事もなかったように接されて、勇弥は男の様子を窺った。

 先程勇弥が口にした言葉は、本人が耳にしてあまり心地の良いものではない。

 一見、気分を害しているようには見えないが、万が一ということもある。

 だから勇弥は確認したかったのだが。


「はい?」


「あ、何でもないでーす」


 とぼけているのかいないのか。

 的を射ない男の返事に、勇弥は探るのを諦めた。


 しんと静まり返った部屋でやっと暑さが引いてきた頃。

 先程まで静かにお茶をすすっていた男が口火を切った。


「では、改めまして。

私、この屋敷の主の上山洋二と申します。

この度はわざわざこんな山奥までおいでくださり、ありがとうございます」


「あ、どうもご丁寧に。

こちらも改めまして。

この度はご依頼いただき、ありがとうございます。

八神勇弥と申します。

それで、早速ご依頼の内容について、今一度詳しくお聞きしたいのですが」


 丁寧に頭を下げる洋二に、勇弥も同じように頭を下げる。

 そして時間がもったいないと言わんばかりに本題に入った勇弥の問いに、洋二はまた丁寧に答えた。


「はい……。

 手紙にもお書きしましたが、先日よりうちの開かずの間から、何やら物音がするのです。

 この開かずの間と言うのは、私の先祖からこの家と共に、代々受け継がれているのですが……。

 物音がしたことは、今まで一度もないのです。

 開かずの間はこの家の中心にありまして、どこへ行くにも開かずの間の前を通らなければ、行けない間取りとなっております。

 八神様も、この部屋に来るまでにずっと目にしておられましたが、

何かお気付きの点はありましたでしょうか」


 そこまで話を聞いた時、勇弥は思わずきょとんとしてしまった。

洋二の問いに答えようと記憶をたどってみたが、そんなものを見た記憶がない。


「……えっとぉ、右手にずっと続いてた壁って、開かずの間だったんです?」


「……はい、開かずの間でございます」


 苦笑いしながら問い返してきた勇弥に、洋二は一瞥をくれる。

 そして少しの疑いの目を向けながら、勇弥の問いにしっかりと頷いて見せた。


「あ、へぇ~……。

あの、入り口が見当たらなかったんですが、どこにありますか?」


 取り繕うのもどうかと思った勇弥は、とりあえず誤魔化すことにして別の話を振る。

 それに対して洋二は特に何という訳でもなさそうに、はっきりと返してくる。


「ありません」


「あ、へぇ~……?」


 洋二のことだから明確な答えが返ってくるのかと思っていた勇弥は、返ってきた言葉にぽかんとした。

 確かにそれは明確な答えだったのだが、身も蓋もないものだった。

 ぽかんとしている勇弥の様子に、洋二は淡々と言葉を重ねる。


「開かずの間ですから」


「開かずの、間……ですか。

では、この家の間取り図なんかはありますかね?」


 先程までのぽかんとした顔とは打って変わって、勇弥は神妙な面持ちで尋ねる。


「ございます。

ただいま持って参りますので、少々お待ちくださいませ」


 すぐに頷いた洋二はすっと立ち上がり、音もなく客間を出て行った。

 それに返事をしながら気を抜いた勇弥は、だらっとしながら独り言ちる。


「はぁ~い……。

……入り口ないのに『間』ってのもすごいな。

いや、確かに空間だけれども。

部屋じゃないんかい」


「お待たせいたしました」


「待ってませんっ!」


 先程の用事の言葉を思い出し、頭の中で勝手に間取りを想像する。

 “間”と言うからには入り口があると思っていた。

 しかしそれがないということはどういうことか。


 首をひねりながらも開かずの間に考えを巡らせていると、また音もなくすぐに洋二が帰ってくる。

 それにまた肝を冷やした勇弥は、途端に姿勢を正しす。


「……そうでしたか。

   こちらが我が家の間取り図です」


 勇弥の行動を訝しむように一瞥した洋二だが、気にすることなく間取り図を渡す。

 それを受け取った勇弥は、まじまじと眺めながら合点がいったように呟く。


「ほー。

 開かずの間を取り囲むようにして、部屋があるんですね。

 台所へ行くにも、お風呂へ行くにも。

 確かにどの部屋へ行くにも、開かずの間の前を通らなければ、どこへも行けませんね。

 しかして、あなたの言い分とは違って、入り口はあるようですが?」


 まんべんなく間取り図を見た勇弥は、ふと顔を上げて洋二を見る。

 先程洋二が言っていたことと、間取り図に描かれていることには相違点があるのだ。


「間取り図にはあるのですが、実際にはないのです」


「ほう、その心は?」


 しかし洋二はそうあっさりと答え、その返答に勇弥は更に首を傾げる。

 真意を確かめようと更に問いを重ねれば、洋二はそこで初めて表情を見せた。


「百聞は一見に如かずです。

 ご案内いたします」


 にこりと笑って見せた洋二に、勇弥もつられてにこりと笑う。

 表情としてはにこやかなものだが、内心では受けて立ってやろうという心持ちだ。


「はい、では」


 たっぷりと間を取って頷いた勇弥は、洋二について客間を出るのだった。








「開かずの間 2」へ。

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