怪奇は踊る、されど

Sakuya

第1話 不幸の檻とその記憶

202X.2.22投稿

タイトル「不幸の檻とその記憶」


私が今からする話をしようと思ったきっかけは、ピアノの演奏動画へついた一つのコメントでした。


大体好意的なコメントをいただけるのですが、たまに心ないものもあります。


代表的なものとしてはこのような内容です。

“顔はきれいだけど、演奏の方は微妙だね。美人効果でしょ?”

“音楽大学で教えてたって言ってるけど、それでいいの?”

“なんでこんなに気取ってんの?もっと謙虚でいればいいのに。”

“美人ピアニストっていうだけで注目されてるんでしょ?実力なんてどうでもいいよ。”

最初にこれらを読んだときは随分と落ち込んだものでしたが、あまり意味のない書き込みだとわかってくると、次第に気にしないようになりました。


その中でも何だか気になるコメントがこちらです。



「美咲さんは環境や才能に恵まれているのに自分を冴えないと思っていて、若くて美人なのに孤独を気取っているところ、自ら不幸の檻に入り、空いている鍵に気付かずに『出してくれ』と叫んでいる無知さ、傲慢さ、そこが愛おしいです。応援しています。」


演奏と微妙に関係があるのか、ないのか、わからないコメントでした。

愛おしいと言いながらもほめていない気もしますし、私の演奏から私のことを透かして見ているような『自分だけは貴方のことを知っています』感を出しながらも、その実全く私をわかっていません。


そもそも、ゲーム音楽のピアノ編曲アレンジを弾いている動画のコメントとしては不自然でもあり、そう思うと不気味でもあります。


現在このコメントは削除されていますが、

コメント主のアイコン、餃子のマスコットに可愛い顔がついたようなキャラクターは今でも覚えています。


さて、私が環境や才能に恵まれている、というのは微妙なところです。

私は東京の一般家庭で育ちました。

ごく一般的な習い事を一通り習わされ、その中で稀に褒められることがあったのがピアノだったためにそれが続いたというだけで、

それも、たまに小さなコンクールに出場して、運が良ければその末端の賞を受賞できる、というほどでした。

演奏の面白さには目覚め、また音楽への知的好奇心は自然と育ったので、静かなその情熱を持ったまま音楽高校、音楽大学へと進学しました。

卒業後は国際コンクールへ参加したり、教員免許を取っていたので小中学校の音楽の先生をしつつ、自分の演奏や研究を進めていましたが、どうも学校の仕事の忙しさというのは体質に合わなかったようで、引っ越しや長期公演を理由などにして教員の仕事はフェードアウト、

その後紆余曲折を経て今は研究員のアルバイトをしながら演奏や執筆活動、たまにこうして動画などで演奏を発信しつつ何とか暮らしている、というところです。


とは言っても家にはグランドピアノがあって練習環境はギリギリ整えてもらっていたし、グランドピアノと一緒に引っ越しをして一人暮らしを続けられています。

稼ぎが足りずに苦労したことは多くありましたが、切迫した飢えなどの経験はなく、

これまでに人間関係でまともに揉めたこともないので、私が「恵まれている」というのは広い意味で事実でしょう。


そして若くて美人というのも、ここでは余計な一言です。

確かに30代前半は若いといえば若いですが、一方でいい大人といえる年齢でもありますし、

31歳で亡くなったシューベルトの年齢を越してしまったなぁと感じることもよくあります。

モーツァルトは35歳、メンデルスゾーンは38歳で亡くなっていることを思うと、もっと全力で生きていかねばと、そう思わないこともありません。

あと美人というのは完全に錯覚です。

動画や舞台の私を見ている人は、髪を整えて正装し、1000万円近くするピアノの前でライトを浴びる私を見ているため、稀にその錯覚も見えるのでしょう。

確かに身汚いと楽器や衣装に申し訳ない気がしますし、何よりも演奏の印象を邪魔しないよう、そういう場面では身綺麗にしているつもりです。

しかし寝起きの寝癖放題、かつ毛玉放題のパジャマを着た私は同世代の中でも一段だらしなく、またみすぼらしいのです。


私はコメントの一つ一つにそんな注釈をつけて返信したい気持ちをこらえながらそっとハートマークを押し、アプリを閉じて終わりにしました。


大体、他者は他者が良く見えるものです。

私はパッとしない非正規雇用者であり、そのコンプレックスを埋めるべくして演奏や研究の実績を必死に積み上げているだけです。

それでも他者からは、私が悩み少なく自由気ままに生きている音楽家に見えて、それを「自分は冴えない」と叫んでいる様子は滑稽であると、コメントの主は言いたいのでしょう。

そんなことをぐちぐちと考えているうちに、私は自分が直近で最も不遇だったと思う時期のことを思い出していました。


とある音楽大学で働いていた時期のお話です。

一言で言うと非常にブラックな大学でした。

4年間ほど働き、退職したのは2年ほど前だと思います。


この大学では不可解な現象によく遭いました。

怪奇現象とでもいうのでしょうか。

建物も古く、私も当時は(今思い返せば)体調が良くなかった、ということを考えれば

怪奇現象と括ってしまって良いのかは不明ですが。


その中でも印象深い3つのお話をさせていただきます。では、またお会いしましょう。



●Profile 美咲 朱莉(Misaki Julie)


桜花学院音楽大学でピアノを学び、高峰 修一、アレクサンドラ・ヴォルフにピアノを師事。マルコ・セルヴィオに作編曲を師事。国際的なピアノコンクールで数々の賞を受賞。執筆と演奏に専念。音楽誌や出版社に記事を寄稿し、編曲家としても活動中。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る