05_ ホワイトダーク・ダイアモンドダスト Ⅱ



 時は少しばかり巻き戻り、ルキアが龍の國の騎士によって意識を奪われるちょうど二日ほど前。

 龍の國の騎士たち──北部先遣を名乗る屈強な男たちが北の森ヴォラスへと現れ、水面下にて密かに侵攻作戦を開始しつつあった頃。

 一部の独断専行組先走りが黄金の神と遭遇し、とっくのとうに命を散らし、すでに積雪の奥へと埋もれていた吹雪の深夜。


 誰にも知られず。

 また、誰も見ていない空白の惨劇。


 青年の物語は、一人静かに。


 すべてが終わりを告げ、ただ淡々と命落ちゆく茫漠の闇から始まった。



「──チカラが欲しいか」



 まるで、黄金の満月が、二つ足で歩むがごとく。

 然れど、煌々と照る望月の幽玄とは程遠い、文明の不夜にも似た鈍さを湛えて。

 弧を描く口元に、明らかなる愉楽の色を滲ませる。


 轟々と泣き叫ぶ吹雪の夜、ゾッとするほど白い闇の世界。


 女のカタチをしたソイツは、寒さなど、まるで気にもならないらしかった。

 マトモな防寒着などを身に着けているようには見えず。

 首元や足首など、あろうことかこの寒さで、じかに外気へと晒されている。生命の保護に一切の頓着がない。


 つまり、どう考えてみても人間ではなかった。


 そして、青年は〝串刺しの雪原〟に縫い止められ、数多の仲間もが隣で息絶えては白く凍っていく。

 自分の身体が、徐々に徐々に、虚ろなモノへと変わっていく恐怖心。

 貫かれたカラダの内側から、臓物や血が、冷たくキレイに朽ち果てていく。

 皮膚は水気を失い、右の眼球はあまりの気温低下に目蓋とともにひび割れた。

 皆んな、騎士となってそれなりの年月を重ね、本国では多くの功績を讃えられた英雄だったのに。


(なんて──おぞましい)


 この光景を目の当たりにし、それでもなお笑っていられるようなヤツは、人間など虫けらも同然の価値観なのだろう。


 ならば、そんなものは『神』以外の何ものでもない。


 青年は残りわずかな余命の中で、声も出せない瀬戸際でありながら、驚くほど冷静に正解を導き出していた。


 それを、黄金の神は知ってか知らずか。

 あるいは、見透かした上での我関せずなのか。


 どこか遊びに耽るような雰囲気で、半ば思い付きの感を誤魔化そうともせず、再度言った。



「チカラが、欲しいか?」



 今度は明確に、尋ねる口調。

 しかし、その口元はやはり愉楽の色を隠さない。

 言葉だけ聞けば、たしかに厳かにも感じただろう。

 だが、溢れ出る半笑いには、青年をバカにしている内心がありありと含まれ、青年がどう答えようとも、一切酌量されないコトがハッキリと伝わった。


 ……ゆえに。



「──────」



 青年はただ、残った左眼から視線を投じ。

 この神がいったい自分へ何をするつもりなのか。

 それを、黙って見ているしかなかった。

 ……もとより、今際の際。

 虫の息にも等しい死の淵では、幼児の殺意にすら抗える余力がない。いわんや、神ともなれば尚更。


 すると、



「へぇ。逆らう意思はないのか。楽でいいな、オマエ」



 黄金の神はニコリと、初めて見惚れるほどの純粋な笑顔を覗かせた。


 華開くような笑みだった。


 そして、



「にしても、ひどい話だ……これが牙の神オドベヌスの権能か。

 白くて寒々しくて、問答無用に命を奪うだけ。

 慈悲もなければ寛容もありゃしない。

 その霜柱、食らえばさぞや痛いんだろう?

 なにせ、これだけ大勢の龍の國の騎士が一瞬で全滅だ。

 加護のせいでなまじ生命力が強い分、苦しみもそれだけ長く続いていく……」



 見惚れるほどの華やぐ笑顔は、数瞬して、嘲笑と嫉妬の悪意に染まっていた。

 青年は死を目前としながら、心臓が鷲掴みにされたような恐怖を覚えて戦慄する。

 目の前の黄金の神は、どういうワケかオドベヌスのコトをひどく憎悪しているらしい。

 青年を貫く霜柱にバキリとチカラをいれながら、金色の双眸に淀んだ嫉妬の炎が揺らめいた。


 そこから立ち上るのは、正真正銘、神の殺気である。


 龍の國の騎士だと、自分たちの正体が知られていた驚きよりまず先に。

 青年はその薄暗い負の神威にアテられて、自ずと緊張が迸るのを止められなかった。


(なん、だ──この、神──は……?)


 北の森に『霜天の牙』以外の神がいるとは前情報になかった。

 青年は北部先遣部隊の一員で、本隊からは先立って情報収集に出ていた別働隊である。

 龍神プロゴノスの加護を授かった騎士たちの中でも、未だ年次が浅く、授かれる祝福の量も少ないため、本隊が効率よく侵略を行えるよう、道を役目を授かってヴォラスへ来た。

 途中、小さい村落や朽ちかけの祠などを打ち壊し、戦果とも呼べない雑務を終わらせながら、幾人かの奴隷で無聊を慰めつつ。


 しけた任務だ、退屈な土地だ。

 最後にどこかで、古い遺跡でも見つからないものか。


 そう、欠伸を噛み殺して気楽に道をならしてきた。

 簡単な仕事だった。


 なのに。


(すべて失った。仲間も奴隷も、ここまで手に入れてきたすべての功績も)


 突如として現れたオドベヌス。

 気配なく背後より現れ、霜天の牙の名のもと、一瞬にして串刺しの極刑は行われた。

 後にはただ、無情の殺戮現場のみ。


 冷酷な殺し屋にして冬の獣。


 巨大な牙をチラリとも見せるコトなく、牙の神はそうして青年らを数瞬の内に鏖殺していったのだ。

 何事もなければ、青年に待っているのはこのまま果つるだけの運命。

 許せるはずはなかった。

 認められるはずはなかった。

 本来であれば、龍の國という時代の勝ち馬に生まれ、騎士にまで至った己がこんな僻地で殺されるなど、言語道断の間違い。

 いずれ自分が掴むはずだった栄光や幸福を思えば、オドベヌスへの憎しみと怒りが烈火のごとく燃え盛る。


(……だが、すべては遅い)


 青年は死ぬ。

 助けが訪れる見込みなど、白銀の荒野では望めるはずもなし。

 本隊の到着を待つには、あまりに致命傷。

 如何な龍の國の騎士とはいえ、カラダの中央をほぼ分断するかたちで刺し貫かれてしまえば、助かる余地などない。

 生物が持つ自然治癒力には限界がある。

 それにオドベヌスは異境の神とはいえ、神には変わりがない。

 たとえ騎士でも、人が神の暴威に耐えられるはずがなかった。


 ──しかし。



「けどまぁ、安心してくれ。俺がオマエを助けてやるから」


(助かる、のか──僕は──)



 信じられないことに、奇跡が起こる予感がしていた。

 茫洋と霞む視界。

 正常な判断力はジリジリと消えかかっていく。

 それでも、黄金の神は青年の額に手を翳し、まるで一条の光のように微笑んだ。



「ひとつ──実験ゲームといこう。なぁ、オマエ。主神あるじを裏切って、俺に仕えると誓うか?

 ああ、言葉にしなくてもいい。心の中で、きっとそうすると強く思うだけでいいんだ。

 そうしたら、俺はオマエに不死の祝福を授けてやる。ああそうだよ、騎士にしてやるってコトさ。

 俺は見ての通りバケモノだが、今は信者が一人もいなくてな。

 オマエが記念すべき第一号になってくれるなら、今なら大サービスで巨万の富もオマケにつけてやろう」


 だから、なあ、どうだ?


「いい話だよな。断る必要なんか無い。そうだろう? きっと誓ってくれるよなぁ。だって悪い話じゃないんだ。

 命も助かる。助かった後の生活も保証される。

 それだけじゃない。モテまくり勝ちまくり。最高の人生が花開くぞ? 俺を奉じて仰ぎ奉れば、見たことのない黄金楽土が待ってる……。

 プロゴノスとかいう馬鹿でかいドラゴンが幅を利かせてるオマエたちの國のコトなんか、俺はなーんも知らないけどさ。

 どうせ、オマエ程度の人材なんて、掃いて捨てるほどいるんだろう? 分かるさ、大国だもんなぁ!

 一口に騎士と言ってもピンキリ。思わず目を覆いたくなるようなゴミクズどもから、神をも殺しちまうようなスゲェ騎士までいる。

 でも、オマエはどのあたりかな?

 この前、俺は底辺と出くわした。なんでも、北部先遣とか言ってこんな田舎まで駆り出されたそうだ。見たところ、オマエも同じか? いや、同じだろ?

 だってここにいるんだから。アイツらは酷いもんだったぜ? 騎士とはてんで名ばかり。真性のゴミクズたちだった。

 ──なぁ、まだ聞こえてるかオマエ。そう、オマエ、オマエだよ。今ここで死にそうになってるオマエ。ゴミクズも同然のオマエ。恥ずかしくないのか? あんな奴らと同列のまま終わって。

 十把一絡じっぱひとからげの有象無象! このままじゃオマエ、本当にただのやられ役だぞ?

 そんな人生のままで未練はないのか? 後悔はない?

 思い描いていた未来。手に入れるはずだった女に名声。

 オマエの人生なんて、俺は心底どうでもいいけど。普通、諦めるなんてもったいねぇと思わねーの?」


 ──俺を受け入れれば、やり直すチャンスが手に入るぜ。



 その言は、果たして嘘か誠か。

 聖母の慈悲、あるいは悪魔の罠なのか。


(いや──十中八九、悪しきいざないだろう)


 青年は分かっていた。

 なぜなら、黄金の神は自身の悪辣さを隠そうともしていない。

 この世には人に優しい神と、ひたすら厳しい神の二種があるが、これは明らかに後者。

 下等な存在をもてあそび、遊興に耽ろうと目論む上位存在の気まぐれ。

 しかも、嫌悪感まで剥き出しにしている。

 手を取れば、間違いなく後悔するだろう。


 ──しかし。


(僕、は……死にたく、ない。生きてまだ、楽しみたいコトが山ほどあるんだ……ッ)


 青年はそう、死にたくない。

 龍の國に生まれて騎士に選ばれて、たくさん戦果を上げた。たくさん努力を重ねてきた。

 与えられるべき報酬、支払われて当然の対価、自分が享受するべき幸福を思えばこそ、こんなところでは終われない。終わっていいはずがない。

 でなければ、いったい何のためのこれまでだったのか。

 時代は祖国を選んでいる。龍の國の騎士は最高だった。何もかもが勝ち組の未来! 頑張れば報われて、欲求を叶えるための創意工夫すら気持ちが良くて。失うのは惜しい。宗旨替えを行えば、待っているのは裏切り者の烙印だ。プロゴノス様の祝福も失うだろう。


(──だが、それがどうした)


 こんなところで終わるコトに比べれば、ここで異境の神の手を取るコトの何が悪い。まだ続いていく明日。未だ目に見ぬ贅に悦。人生を謳歌する可能性。心躍る無限の希望!


 つまりは、期待に胸をふくらませてワクワクできる時間がそれだけ長く続くのだ。


 支配も、略奪も、蹂躙も。


 またまだ楽しみきれてはいない。もっとシアワセに浸りたい。

 ゆえに──



「…………!」

「──ハ、



 青年は黄金の祝福を与えられ、第二の人生を選んだ。

 授かりし加護は、不死。

 オドベヌスより刻まれた致命傷もなんのその。

 自分のカラダを貫く霜柱を叩き割り、空いた風穴、蠢くように肉が舞い戻る……素晴らしい!

 つい震えるほどの歓喜に思わず跪き、青年は言った。



「──これよりは我が忠誠、あなた様へ捧げます」

「ハハハハハハハハハハハハハハハハッ! 裏切り者の言葉は軽くてかなわんな。

 とはいえ、祝福が働いたのなら信仰心は本物か。いやはや、変わり身が早くて助かるよ。実験も成功したし、オマエは今日からたしかに俺のイヌ騎士だ。

 さて、何ができる?」

「お望みとあらばすべて、仰せのままに。我が女神」

「女神……ああ、そうだったな。じゃあ命令だ。北部先遣。まだ生きてる龍の國の騎士どもを、今から全員ぶっ殺してこい」



 黄金の剣武器はやろう。

 黄金の鎧防具もやろう。

 不死身のカラダをせいぜい活かせ。

 できなければ、加護は取り上げる。


 美しき神は口角を吊り上げ、虚空から重厚な剣と鎧を創り出した。


 否やはない。


 斯くして──






 ◇ ◇ ◇






「──ゆえあって貴様らを斬る。かつての同胞たちよ、僕のために死んでくれ」

「はぁ? 黄金の騎士甲冑だァ……?」

「ナメた格好しやがって……」

「この野郎、龍の騎士おれたちにケンカを売ってやがんのか? だとしたら、ただで帰れると思うなよッ!!」

「クックック、身ぐるみ剥ぐだけじゃ済まさねェ。生皮までキレイに剥ぎ取ってやろうぜ」

「今日は久しぶりに楽しい一日なりそうだなぁ!」

「その剣、その鎧、鋳潰してテメェのムクロにぶっかけてやるよ!」



 響き出す罵声と怒声。

 殺気立つ男たちの剣呑。


 時の針は現在いまへと追いつき、にわかにざわめき始める白銀の世界。


 囚われたエルフの少女。

 裏切りの黄金騎士。


 出会った経緯も抱いた印象も、まるで異なれども。

 共に同じ神と遭遇し、その人生を大きく変えようとしている二つの存在。


 牙の神は未だ姿を見せずとも、濃厚な気配を漂わせ。

 北部先遣、龍の國の騎士の中でも隊長と呼ばれている大男は、突然の珍客に目を見開いた。




「表を騒がしくしてすまないな。ここにルキアがいるだろう? 俺のものだ。返せ」


「────オイオイオイ。なんだってんだコイツはよぉ……! 北の森ヴォラスにこんなんがいるなんざ聞いてねェぞ!」




 ゆらゆらと風にたなびく金の長髪。

 妖しい光と怖気を湛えた黄金瞳。

 何をしたワケでもない。

 ただ近づき、ただ視界に入り込んだ。

 それだけで、



「ヒュ〜! よぉ、姉ちゃん。驚いたな、こんな僻地にスゲェ美女だ。このあたりの原住民か? さては龍の國の騎士おれたちに媚でも売りに来たのかい?」

「たまにあるんだよなー。テメェらの村を守りたくて自分から貢ぎ物を寄越してくんのが。よし、姉ちゃん。あっちの方が上手ければ、ちょっとくらいはお目こぼしを考えてやってもいいぜ?」

「────チッ」



 次の瞬間、部下がふたりになっていた。

 喋り、歩き、さっきまで生きていた姿そのままに、今や物言わぬ単なる彫像!

 髪の毛一本、睫毛の先、きっと足のつま先までやられてる。

 何が起こったのかなど分からない。何をされたのかも理解は追いついていない。

 ただ、



(こいつに見られたままでいんのは、とにかくヤベェ……!)



 総毛立つ全身。

 全身の毛穴という毛穴から、いっせいに火花が走ったように電気信号が駆けずり回る。

 野営地の表に現れた黄金の騎士甲冑。

 エルフの少女を捕えた瞬間、突如として裏手から入り込んだ女──否、異境の神!


 警戒すべきは牙の神だけだと考えていただけに、予想外の窮地に男の精神は大きく動揺を迫られていた。


 そんな大男に、黄金の神は言う。



「どうした? 何をモタモタして……ああ、黄金に見蕩れてるのか。そうか、そうだったな。仲間の彫像といえど、こうなっちまえば誘惑には勝てないよな。目が吸い込まれて、ちっとも引き離せないんだろう? まぁ、その気持ちは分からないでもないぜ。黄金になれば、どんなゴミクズでも素晴らしい輝きを放つ。我ながら一流の詐欺師もビックリの錬金術ってな。フッフフフ。なんなら、溶かすなり鋳潰すなり、好きにしてくれてもいいぞ? 仲間の命でできた黄金だ。さぞや重みがあるに違いない」



(狂っているッ! なんという邪悪ッ!)



 男は一瞬で悟った。

 悟ったおかげで理性を保てた。

 この神は、間違いなく人類にとっての敵になるだろう。

 人類が人類であるがゆえ、決して手放すコトのできないあらゆる欲望、あらゆる性質がために。

 文明の頽廃、爛熟した都市の斜陽、崩れ落ちる理性の天秤、墜落する蝶の羽ばたき。


 堕落の繁栄、全人類が必ず直面する極難。


 すなわち──不倶戴天の仇敵がここにいる。


 斬らねば、と男は思った。




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