三十話 いた
「月乃ちゃん」
紅い雨水。そうとしか言い表せない水滴に、月乃が目を奪われガクガク震えていると、強い力で肩を掴まれた名前を呼ばれた。
「――っ」
ハッと我に返れば、祭がいつもの笑みを浮かべて隣に立っている。
「ま、まつる、さ……」
「ひとまず、大丈夫そうだね。はい、これ被ってなさい」
月乃が反応を示したことを確認すると、祭はジャケットを脱ぐ。
そしてまだ震えがおさまらない月乃に、頭からかぶせた。
「それで汚れないでしょ。ないよりマシ程度だろうけどさ」
「……ぁ、でも、これだと祭さんが」
「あ~、だいじょーぶだいじょーぶ。おじさん、このくらい慣れてるから」
おじさんと自称するには若く見える外見の上司が、まったくいつも通りの口調でそんな風に言うから月乃は奇妙な安心を感じた。じわりと目が熱くなり、慌てて拭う。
(そうだよ。これはお仕事なんだから。わたしも、しっかりがんばらないと)
できることを精一杯やらないといけない。
月乃はぐっと祭のジャケットを握ると、顔を上げた。
「すみません、祭さん。しばらく、お借りします」
「うん」
「それで……わたしは、ここでなにをしたらいいですか?」
「――……」
祭は月乃の問いかけに、わずかに目を大きくした。それから「ふぅん」と感心したように自分の顎を撫でる。
「怖くないの?」
「こ、怖いですけど……、でも、わたしにもなにかできることがあるから、祭さんは和くんを待たないでここに来たんですよね?」
自分になにかできること、あるいは自分でなければダメなことがあるから、先にふたりでここに来た。それなら、月乃はその仕事をこなしたい。
そんな思いで祭を見上げれば、彼は「うん」と頷き破顔した。
「やっぱ、いいな、月乃ちゃん。――その、怖いって気持ちを大事にして。おじさんや、なごちゃんにはないものだ。だからこそ、うちにはきみが必要だ」
「それは、どういう……」
「平たく言うとね。きみには、生贄になってもらおうと思います」
え?
月乃が問い返す声は、コテージの中をナニカが這う音でかき消された。
ぐじゅり、ぬぢゅり。
湿った音を立てて動くソレは、明らかに月乃たちに近づいてきていた。
「ま、祭さん、なにか……こっちに……」
「さぁ、月乃ちゃん」
肩を掴まれ、あっという間に抱きしめられた。
なにをするのだと驚き見上げた男は、笑っていた。
場違いなほど、穏やかに。
けれど――。
「いっしょに食べられようか」
「……え……」
その目は少しも笑っていない、冷たい色だ。
月乃の意識はそこで一度、ぶつりと途切れた。
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