七話 あの夜、なにがあったのか


 走行音だけが聞こえる車内で、月乃はもらったココアにちびりと口を付ける。

 和は再びノートパソコンを膝の上においてカタカタとキーを叩いているし、祭は流行の歌を鼻歌で奏でている。


(みっともないところ見られちゃった……)


 取り乱して、泣いて。

 特に、和は年下だというのに恥ずかしい。

 ココアの甘さとあたたかさで、だいぶ落ち着きを取り戻した月乃はチラリと隣の和を見る。

 彼はパソコンから目を離さず「なんだよ」と声を発した。


「ぁ、ううん。……その、これから、どうするのかなと思って」

「現場へ行く」


 短く答えた和は、コンビニの袋からおにぎりを出す。


「とりあえず、それ食っとけ。腹が減ったらなんとやらだ」

「お金……」

「経費だ」


 いいのかなと月乃が逡巡していると、運転中の祭が笑った。


「いいのいいの、もらっときな。……それはそうとさぁ、なごちゃん。ココアにおにぎって、おじさんどうかと思うんだけど」

「あぁ?」


 すぐさま和がガラの悪い反応を返すが、祭はどこ吹く風だ。


「組み合わせ的に、ナシじゃないかなぁ~」


 と間延びした口調で文句を付けている。


「落ち着くもの用意しとけって言ったのは、そっちだろうが」

「えぇ? いや、言ったよ? 言ったけど……――ココアはねぇ、たしかに選択肢としては分かる。なごちゃんにしては、いいチョイスと思ったけどさぁ……。なに? まさかおにぎりも、落ち着くアイテムの候補に入ってんの?」

「腹一杯になったら落ち着くだろ」


 食べ盛りの男子らしい回答に、月乃は思わず吹き出した。すると和は決まり悪そうに口をへの時に結ぶ。


「ご、ごめんね、和くん。ちょっと面白くて」

「……ココアに、おにぎり……嫌だったか?」


 月乃が慌てて謝ろうとすると、和は少し困った風にそう尋ねてきた。

 だったらパンもあるけど……と出したのは焼きそばパン。これはまたボリューミーなのがきたと祭が茶化す。


「なごちゃんって、気は利くんだけどなんか微妙にずれてるんだよ。月乃ちゃんもそう思うよねぇ?」

「い、いえ、そんなことないです……! 気にかけてくれてありがとう、和くん。……でも、焼きそばパンはちょっと多いから、おにぎりがいいな」

「そうか? なら、いいんだ。……それと、おっさんはなにも食うな、飲むな。黙って運転だけしてろ」


 月乃がもらったおにぎりを手に乗せれば、和は少しだけほっとしたように眉尻を下げたが、それも一瞬。あっという間に不機嫌そうな表情に戻り、運転席に向かって冷たい声を投げつける。


「うわ、なごちゃん酷い! おじさん、年上だよ? いちおう敬うべき対象よ?」

「自分で、いちおうとか言ってりゃ世話ないな」

「ひーん、辛辣!」


 声だけで泣きまねをする祭に、和は呆れた視線を向けていた。

 あれだけのことがあったのが、まるで夢みたいな――緊張感のない車内。

 けれどそれが、このふたりの気遣いだと月乃も分かっていた。

 これから現場に行くと和は言っていた。

 それは、おそらく自分が見つかった場所だろうと月乃だって察している。


 自分が発見された川。それこそが、この訳が分からない状況の発端。


(行けば、なにか分かるのかな……)


 月乃の心は、しゅんと弱気になりかけた。

 けれど――。


『奪い返せ』


 和の力強い言葉を思い出し、しっかりしろと自身にカツを入れる。


(分かるかな、じゃない。見つけるの。絶対に、なにかみつけて、思い出して……それで――)


 と、ここまで考えて月乃はハッとした。


「そういえば……あそこにいたのは、誰だったんだろう……」

「なに?」

「……わたし、ふたりに話したかな? 夜に川に落ちたんだけど、その時一緒にいた子がいたの」


 言ったような気もするし、まだ話していないような気もする。

 たった半日で色々あり過ぎたため、頭の中の整理がうまくできていない月乃が自信なさげに呟けば「あぁ、あれか」と和は頷いた。


「誰かに頼まれたって言ってたな。……もっとも、お前がひとりでブツブツ呟いてたのを俺たちが横で聞いてただけだけど。お前病院で相当取り乱してたから」

「そ、そっか……そうだよね、ごめんなさい」

「いや、別に謝ることじゃない。……それで? どうしたんだよ」


 続きを促す和に、月乃は一瞬考え込む。少しの間を置いてから、断片的な記憶を辿るようにポツリポツリと吐き出した。


「わたしに頼み事してきたの……子ども、だったの。小さい子。……もう夜なのに、まわりに保護者もいなくて、泣いてて。わたしから、声をかけたの。そしたら、落ちちゃったって泣くから」


 川を指さして、泣いていたのだ。なにかを落としたと。

 だから、月乃はスマホのライトを頼りに川を照らして――それで、ドポンだ。


「あの子は、どうしたんだろうなって」

「…………子ども」


 難しい顔で和が呟いた。

 いっぽうで、祭はひゅうと口笛を吹く。


「月乃ちゃん、やっさしぃ~!」

「え、いえ、そういうんじゃなくて……」

「でもさ、そういう優しい子って絶好のカモなんだよねぇ。なごちゃ~ん、到着するまでにさぁ、例の場所でなんか事故が起きてないか調べといて。ここ二年は除外していいから」


 そう呼びかけられた和はすでにノートパソコンのキーを叩いており「今やってる」と短い返事をした。祭はそれを聞いて「ほんと、気は利くんだよねぇ」とおかしげに笑った。


「あの……二年は除外っていうのは……?」

「実は、ここに支部ができたのが二年前なんだよ。それ以降になにか不可解な事件が起きてたらのなら、おじさんの耳に入ってるからね~」


 月乃が祭に質問している間に、和は目的の情報を見つけ出したらしい「あったぞ」とぶっきらぼうな声で口を挟む。


「七年前、子どもが川で亡くなってるな」

「そういえば……」


 月乃もその事故は覚えていた。当時はニュースでも流れていて……。


「……たしか、女の子が帽子を取ろうとして……」


 風に飛ばされた帽子を取ろうとして、親が目を離した少しの間に川に近づき、そして――そういう経緯だったと思うと月乃が呟けば、和は「つまり、二回目か」と苦々しい声で吐き捨てた。


「え? なにが?」


 パタンとパソコンを閉じた和は、じっと月乃を見て再度口を開く。


「お前が、ふたりめだ」

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