四話 いざ我が家へ


 入院着から普通の服に着替えた月乃は、ふたりに連れられて外に出た。

 ボタンがないと思っていたエレベーターは、落ち着いて見ればパネルがあり、そこに祭が持っていたカード――おそらくこれがなければ出入りできないのだろう――をかざすとほとんど待つことなくドアが開いた。


「久しぶりのシャバの空気はどうだい?」

「え、あはは……」


 そして現在、軽自動車の中である。

 運転手は祭でバックミラー越しに目が合って話しかけられるが、月乃は曖昧な愛想笑いしかできない。その愛想笑いも強ばっている自覚があり、月乃はそろりと顔を伏せた。

 そうしている間にエンジンがかかったが、まだ出発する様子はない。おずおずと月乃が顔を上げれば、再び祭と目が合う。


「緊張してる? だいじょーぶ、リラックスして行こう! おじさんたちがいるから、ね」

「それがいちばん不安なんじゃねーの?」


 フォローのつもりか、あっけらかんとした風に祭が言う。すると、すぐさま月乃の横から容赦ない一言が飛び出した。


 和である。彼は車の後部座席に月乃と並んで座ってからというもの、ノートパソコンを開いてカタカタとキーを打ち続けていた。集中しているようで実は会話にしっかり耳を傾けていたようだが、物言いは辛辣だ。

 ピリッとするような和の言い方に、月乃は身をすくめるものの祭は気にした様子もない。

 

「うわ、なごちゃんキッツ……!」


 なんて返しながら笑っている。

 年長者である分、余裕があるのか――そんな風に思って見つめていると、視線に気づいた祭がミラー越しで、にこりと笑った。


「ん~? なーに、月乃ちゃん。おじさんの大人の色気に見とれちゃった?」

「え!」

「自意識過剰だ」

「なごちゃんや……自分はモテないからって、ザ・モテ男のおじさんを妬むなよ~」

「あったま悪」


 ふんと冷笑して言い捨てた和は、月乃をちらりと見やった。


「で?」

「え?」

「お前、どれくらい思い出した?」

「思い、出す?」

「雲野 月乃。名前までは思い出せた。じゃあ、次だろ。趣味は? 好きな食べ物は? 家族は? 住んでるところは?」


 問われて月乃は改めて考えた。

 真っ白だった自分の中に、ポツポツと浮かぶ記憶がある。


「家族、家族は両親とわたしの、三人家族。好きな食べ物は豚骨ラーメンで……趣味は犬グッズ集め……。ミコに似た犬が描かれてるとつい買っちゃって……」

「ミコ?」

「……飼ってた犬……」


 ミコはおばあちゃんになるまで長生きしてくれたと、月乃は思い出す。

 のんびりした性格で優しい。月乃が泣いているといつの間にかそばにきて泣き止むまでずっと一緒にいてくれた。


「……なぁるほどぉ~……――ちょびっとかじられただけですんだのは、そういうわけかぁ」

「え?」

「まぁ、諸説あるけど犬って人につくって言われるじゃない?」


 運転席から身を乗り出した祭の言葉に、そういう話なら聞いたことがあると月乃が頷けば彼はなにを思ったかウィンクした。


「つまり、そういうことだよん」

「……は? ……あの、どういうことですか?」


 しかし祭はもう取り合わず、さっさと運転席に体を戻しカーナビをいじり出す。当然、視線は合わない。

 困った月乃が和を見れば、彼は首を左右にふった。


「放っとけ、まともに取り合うな。疲れるぞ」

「え、え~……?」

「それより、自分の家は分かるか?」

「う、うん」


 和にうながされ、思い出した住所を告げれば――。


「だとよ、おっさん」

「はいはい、只今入力中――っと。そっちのほうも照会オッケー?」

「住所と家族構成は記録通りだな」

「え? あの――」


 月乃が取り残されてオロオロしていると、和がノートパソコンを閉じた。


「シートベルトしろ」

「あ、はい……」


 注意されて月乃が慌ててシートベルトを締めるとと――。


「それじゃあ行こうか~。気を強く持ってね、月乃ちゃん!」

「へ?」


 それはどういうことか、意味を問う前に車が発進した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る