一つの思考実験(今)

島尾

SNS上にはびこる無用な情報記事を、全廃する

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 この文章は寺田寅彦(1878~1935)の記した随筆「一つの思考実験」を、現代すなわち令和6年1月26日現在の私個人の脳内情報ならびにネット内の情報を用いて、作品内の古めかしい言葉を現代にふさわしい形に置き換えたものです。なぜこんなことをするのかというと、私は寺田寅彦のことを大先生または師と仰いでおり、彼を尊敬し、偶然にも高校が同じで、私の考え方と一致していたり、新しい発見をくれたり(それは非常に深く且つ興味深い)、そういうことで歴史上の偉人の中で一番素晴らしいと個人的に思っているからです。寺田寅彦先生は私にとって、神とは言わないですが、空の上で輝いている煌々とした星です。まとめれば、私は寺田寅彦先生がかなり好きだということになります。

ですから【ここからが注意点なのですが】以下の文章における「私」とは、今は亡き寺田寅彦先生のことを指します。訳者である島尾本人ではありません。

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 私は、今の世の中の人々が意識的 or 無意識的に感じるいろんな不幸や不安の原因は、多くの場合において「SNS記事」と直接関係していると思う。あるいはSNS記事の存在を余儀なくし、その内容を世間に流している現代文化そのものが不幸や不安の原因になっていると言ったほうがいいのかもしれない。いずれにしても、私はSNS記事のどうでもいい無用な情報を全廃することによって、この世の中がもう少し住みやすい社会になるだろうと思っている。

 SNSを全廃したら絶対不便になると一応は考えられる。その不便を感じる程度や種類はもちろんその人その人の地位や職業によるだろうが、不便になるということについて異議は出ないだろう。しかしそれらの不便がどれだけ根本的な性質のものでどれだけ我慢のしきれないものか、ということはゆっくり考えないとよく分からないのではないかと思う。私たちの日常生活に必要不可欠だと普通思われている道具や小物類でも、実はそれを全廃しても全然差し支えないものはいくらでもある。たとえばヨーロッパなら、どんなに簡単な生活でも、絶対必要だと思われている椅子やテーブルがなくても決して差し支えないことは日本人の和室で暮らすスタイルから明らかである。また、江戸時代や平安時代に女性が絶対必要と考えていたかんざしや帯にしても、同時代のヨーロッパ人女性には無用の長物である。西洋化した現代の日本においてもかんざしや帯は不要になっている。

 SNSを必要とするよう私たちの生活を導いたのはSNS自身であるかもしれないとすると、SNSが必要がられる事実だけでは決してSNSの本質的な必要性を証明する材料にはならない。

 SNS記事はその日その日の出来事をできるだけ迅速に報道することを主目的としている。その結果、肝心の正確性がいつもいつも犠牲にされがちだということは誰でも知っている。しかしこの一つのことだけでもSNSというものが現代人の心に与える影響はなかなか少なくない。ほかの事は全部差っ引いても、「遅い、だが確実に」というあらゆる「真」の探究者に最も必要なマインドを、全ての人からだんだん消滅させるような傾向があるというのはどうなのだろうか。多分、多くの人は真実をきちんと知りたいと思っているから、そういう不正確な記事は偶然その気持ちを刺激して、かえってその気持ちを高ぶらせる効果があるのかもしれない。また多くの人はSNS記事の正確性の「程度」を受け入れていて、したがって、いつでも「まあそういうこともあるんでしょうねぇある安全係数ハイハイ分かりました」という感じでをかけた上で利用するから、あまり大した弊害はないかもしれない。本当に良いSNSメディアならば実際そうかもしれない。しかし、正確でなくてもいいからできるだけ早く知るということが何故、あるいは何処まで必要であるかということが一番の先決問題になる。

 海外で起こった外交、政治、経済についての情報は重要なSNS記事の一つである。こういうものがあらゆる階層の人たちに興味が持たれるということは望ましいことであり、また、それが事実だったところで、そういう情報を一日でも早く知る必要を本当に痛切に感じる人が、全国民の何%いるのか考えてみないといけない。

 次に、国内の政治、経済、産業に関するSNS記事でも、大多数の国民が一刻も早く知らなければならない情報が何%存在しているのかを考えないといけない。

 完全に自由な脳みそ状態で冷静に考えてみた時に、これらの記事の大部分は、多数の「善良な国民」がたとえ1ヶ月くらい遅れて知っても少しの不都合もないものだと私は考える。

 ただ、国民の中ではおそらく極めてまれなある種の「デマ情報を拡散させるのが好きな」政治家、あるいは、偶然に得られる大きな利益をあてにして=投機的に事業を行う「情報商材売りつけ屋」「事業化集団」(寺田寅彦先生はそれらを実業家と書いている)のうちの一部の人たちは、一日でも一時間でも他人より早くこれらの記事を知りたいと思うだろう。そういう人々の便宜を図るということが仮に良いことと定めたところで、そういう人はたとえSNSを全廃してもおそらく少しも困ることはないだろう。自分らで適当にダークウェブを通して、知りたいことを全部知るまで調べまくるに違いない。これに反して、一般人、すなわち政治に興味を持つ人や、まじめな商業や産業の世界で働いている人たちにとって、たとえばフランスの大統領が変わったとかニューヨークの株が下がったとか、あるいは宮城県で岸田文雄が演説したとか議会でA議員がB議員とどんなレスバトルをしたかということを、二週間や一か月遅く知ったためにどれだけの損害が発生するのか私にはよほど疑わしい。

 これらの記事がすべて正確だと仮定した場合でさえその必要性が疑わしいのなら、記事が不正確だった場合にはどうなるだろう。

 こう言っても私の言いたいことは簡単には伝わらないと思う。それでクドいようでも同じことを繰り返すことを許してください。

 SNSを最も必要と感じる人とはどういう人なのか考えてみると、広い意味における投機者であり、一種の特別な意味での金持ちである。いい意味での善良な国民、穏和な意味での庶民は、実際おのおののまじめな仕事に真剣に取り組んでいる限り、速さ至上主義の疑わしい情報に飛びついて朝から晩まで心を騒がせイラついてクソリプを飛ばすような必要は毛頭ないのである。

 あらゆる先入観を捨て、あらゆる枝葉的な利害を排除して、本質的にこの問題を考えてみたならば、私がここで言っていることが必ずしも根拠のないデタラメではないことを分かってくれるのではないかと思う。


 次に考えなければならないのは、SNSを介したメディアの報道の惨憺たる現状である。(つづく)

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