第二十三話 神武の宮

 軽めの昼食を「めんくい」といううどん屋で済ませた。宮崎にはうどん屋が沢山あるのだが、どれも何十人も入る大きなところで、どこもよく客が入っていた。

出汁はいりこ(煮干)や鰹、昆布出汁で、ここのは鰹でよく出汁が効いているのに透き通った薄味で美味しく、静とマイルスはごぼう天うどんを食べた。かなり太目のごぼうが入っていて、義母は旅の間中もう一度食べたいとしきりに言っていた。


 お腹が一杯になって、私達はいよいよ宮崎観光に出発した。というまもなく靴屋を見つけた義母が義姉のサンダルを買いたいと、車を止めさせた。こういう予定変更はマイペースな義母には日常茶飯事で、誰も異論を挟まない。義父は靴を履いていたのだが、静がサンダルを買ってくれた。よく見るとマイルスと色違いのお揃いだった。残念なことにマイルスは少しも気が付いていなかった。


 サンダルを買って、やっと平和台公園に向かうことになった。道は初代天皇の祀られる宮崎神宮の裏手を通って行った。平和台は戦前に各地から集められた大きな石で積まれた石の塔で、中には満州や台湾などの石もあった。以前は八紘台と呼ばれ八紘一宇(世界は一つの家)という少し軍国主義的な趣もあったが、戦後には平和を願って平和台と呼ばれるようになった。 


 丘を登るにつれ、平和台のがっしりとした石組みの姿が現れてきた。塔には広い前庭があって、四隅に荒御魂(あらみたま.武人)、奇御魂(くしみたま・漁人)、幸御魂(さちみたま・農耕人)、和御魂(にぎみたま・商工人)の古の像が立つかなり大きなものだ。戦後、軍国主義を想い浮かべさせるといって、そのうちの荒御魂(あらみたま.武人)は塔から外されたが、その後復帰して塔の四隅の一角に再び取り付けられた。


 紀元2600年を記念して建てられた総石造りのこの一大モニュメントは高さ37m、基部面積1070平方m、敷地9900平方m、製作、設計者は、当時の日本彫刻界の第一人者日名子実三氏だったそうだ。日名子氏は日本サッカー協会(JFA)のシンボルマーク「八咫烏(やたがらす)」の製作者としても知られている。

 八咫烏(やたがらす)は、神話に出てくる鳥で、神武天皇が東征の時に熊野から大和に入る吉野の山中にて、道に迷われた時に天の神が道案内としてつかわした鳥だそうだ。


 ここは神武天皇の宮があったといわれ、宮崎の地を見下ろしていた。神武天皇は後に日向を出て東征し、大和に都を築くことになる。弥生時代の話だ。


 塔の前庭には白い砂利の敷かれた参道があって、中ほどに一箇所だけ敷石があった。マイルスは静に「そこに立って手を叩いてごらん」と言った。静が立って手を叩くと、何と音が塔に反射して大きな鳴き竜が聞こえた。静は周りは広い芝生の公園で何も建っていないのにと、少し不思議な顔をした。


 塔は基礎部に登れるところがあって、石段を登るとそこには大きな石像が塔を取り囲む様に立っていた。一体の石像は幸御霊(さちみたま)といって農耕の神で、子供を後ろから抱きしめるように立っていた。きっと女神だと思われた。この子供の像は作者の日名子氏のお嬢さんがモデルだったそうだ。


 さらに塔を背にするように登れる石段があって、登ると市内を遠くまで眺めることができ、遥か前方にかなり高いビルが一本だけ建っていて「あれがシーガイヤのシェラトン・リゾートだよ」と静に教えた。さらに右にパンすると松林の中にもう一つホテルが見えた。それが静達の宿泊しているホテルだと分かった。


 マイルスの母は歩けないわけではないのだが、足が少し悪いので、ホテルから借りた車椅子に乗って、下から手を振ってくれた。

平和台の森は濃い緑でずっと下のほうまで広がっていた。


 少し下ると林の中でそこには埴輪が沢山並んで立っている公園で、このあたりは古墳群で、きっとこんな格好をした弥生人が沢山暮らしていたのだなぁ〜と思った。塔の石像とは違う柔らかくて少しユーモラスなもので、弥生時代も悪くなかったように感じた。


 母が車椅子なのでさらにビル2つ分位下に降りていく深い森には入れなかったが、今度は、静とふたりっきりで歩いてみたいと思うほど静かで太古の森だった。マイルスには Ludwig van Beethovenの“Pastoral”が聞こえてきた。


 埴輪公園を見た後、みんなは駐車場のある広場まで戻ってきた。そこには下まで続く長い石段があって、子供の頃はこれを登ってくるのが楽しみだったんだと、運動不足のマイルスは静に言った。茶店で食べたアイスクリームは近くの牧場の採れたてだそうで、かなりの暑さのせいもあって、びっくりするほど美味しいものだった。


 一度ホテルへ戻って汗を流し、義姉が誘ってくれた夕食会に出かける準備をすることにした。着替えを用意して、松林をしばらくドライブして、松泉宮というシェラトン・リゾートに隣接する温泉に行った。

巨大なホテルで、一階にはフェニックスの茂る大きなガラスの吹き抜けの空間があった。ここにはサミットも行われたコンベンション・ホールがあった。


 みんなはフェニックスを見下ろしながらエスカレーターで2階へ、さらに階段で3階へと上った。そこからライブラリーのある落ち着いた空間の渡り廊下を渡り、今度はエレベーターで1階に、エレベーターを降りるとそこには壺がずらりと並んだ石の回廊で、右に曲がると右手には温水プールがライトアップされている。さらに進むとそこが受付で、やれやれやっと風呂に入れると思ったのもつかの間、新月という風呂を選ぶとさらにかなり奥まで続く石の回廊が待っていた。なんと言う空間だろう。回廊の途中には、風呂から上がってくつろぐ飲み物やベッド付きの休憩室があって、もうここでくじける人もいるのかなあと思いながら先に進むと、あった、お風呂が...


 ここでみんなは男女に別れ風呂に入る。大浴場と思いきや、そこは意外とこじんまりした脱衣所だった。裸になってさらに一度外に出てから別棟の浴場に入ると、そこは広大で静かな松林に囲まれている、地下1000m、1千万年前の地層から湧き出ている弱アルカリ性の強食塩泉の温泉だ。露天風呂に出てみると、広大な松林の中で蝉の声が染み渡る素敵な岩風呂だった。時折、塩辛トンボが飛んできて、マイルスは嗚呼、今バケーションの真っ只中なのだと改めて感じた。



 風呂から上がると義姉の開いてくれた夕食会に向かう。暮れなずむ夏の空は憧れの群青色と山の影で、胸がキュンとなった。The Platters の “Twilight Time”が流れる。

青島バイパスを南に向けて走ると、左手に巨人軍キャンプ地・サンマリンスタジアムとボールの形をした室内練習場・木の花ドームが見えてきた。バイパスから旧道の右に折れる所に生簀の「かわさき」はあった。地元の人が良く行くそうで、ぷりぷりとしたお刺身と食卓一杯の料理が出てきた。

特にあらの汁物が美味しく、しゃべるのやら、食べるのやら、飲むのやらに忙しいみんなで、とにかく楽しい!!の一言だった。大勢で食事をするのは楽しい。時折、妻に家族のことを愚痴るマイルスの母も、赤ちゃんを中心に新しい家族構成に幸せそうで、母にやられたかなと思った。


 マイルスの母も加わってのお泊りはみんな何かワクワクしていた。窓の外を見ると静かな海に月が出て、月の光が波に映ってこちらに向かって伸びていた。潮騒と暗く寝静まった松林に優しく微笑みかけるお月様に、うっとりとしていつまでも飽きずに見続けていたのだった。曲はGlenn Millerの “Moonlight Serenade” だな。

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