第16話「持たざる者」

教皇は無能だ。

オルグイユは心の中でそう吐き捨てた。


あの男は数多の枢機卿に囲まれながら、何の意思決定もできず、優柔不断の権化のような老人である。


この世界の至宝たるソーマタージの1人、サンクティ・サピエンティアの突然の失踪という緊急事態を前にして、教皇はあろうことか「もうちょっと様子を見てみようか」と対応を保留にしたのだ。

左右に侍る枢機卿たちも異議を唱えるわけでもなく、うんうんと追認する始末である。


何のための枢機卿団か!

何のための教皇権か!


それは第一には聖女様を敬い護るためにあり、第二にはその聖女様を守護するソーマタージを保護するためにあるのだ。


そうした義務を放棄するといっても過言ではない老人たちの決定は、断固として受け入れられないとオルグイユは憤った。


「書記官たちも、何も吐きませんねぇ」

「一番身近な人間が最も疑わしいというのは定石ですわ。引き続き牢に閉じ込めておくようになさい。疑わしい者は徹底的に尋問していくのです!」


オルグイユの金切り声に、りょーかいです、と気の抜けた返事をするのは彼女の副官であるパレスという男だ。

その年頃は、史上最年少で書記長となったと謳われる彼女よりもさらに年若い。

しかし、オルグイユの手足として、列聖機関の事務仕事を一手に引き受ける実務責任者である。


歳の割には老練さを思わせるその仕事ぶりは抜け目なく、能力は折り紙付きである。

オルグイユの右腕を務められるということからも十分にその能力が伺われる。


しっかし、ソーマタージが一人忽然と姿を消すとはねぇ…。

パレスは心中でつぶやく。


消えたサンクティ・サピエンティア――スクレは、ビジュー王国の王位継承権を担う七つの豪商である選王家の令息にして、次期ビジュー王の筆頭候補である。


そうした立場の人間に向けられる感情で最も多く向けられるものは何か?


負の感情だ。

恨み、辛み、妬み、嫉み、僻みなど、羨望と同じ数だけの怨恨が常にスクレには向けられてきた。


もし、この失踪が本人以外の第三者による犯行であるとするのならば、そうした負の感情の持ち主の数だけ容疑者がいることになる。


オルグイユは呑気に、ほぼ潔白な書記官の尋問などしているが、そもそもスクレの周囲には優に数百の容疑者が簡単にリストアップ可能な状況なのだ。


オルグイユの言う通りに手当たり次第に尋問などしていたら、それこそ年単位の時間がかかるだろう。

何事も正攻法で原理原則を重んじると言うのは美徳ではあるだろうが、決して賢明であることとイコールではない。

オルグイユとはそういう女だ。


しかし、彼女の癇癪はおいても、本人がひょっこり帰ってくるか、誰かしらの犯人が出てこなければこの騒ぎは収束しないということも事実だ。

少なくとも、この失踪劇の決着は何らかの形でつけなければならない。


やれやれな話だ。

パレスは自室のデスクに腰掛けるとU.S.E産の葉巻に火をつける。

彼の地の葉巻は一級品である。

煙草とはまた違う芳醇な香気がたまらないのだ。

値段もそれなりのものではあるが、書記長補佐官という役職への報酬がその贅沢を可能にさせている。

この葉巻のために、あのオルグイユの副官を勤めていると言っても過言ではない。


燻らす煙に精神の落ち着きと集中力の高まりを覚えながら、思考を巡らす。


さて、と。

まず、スクレ本人が自ら姿を消したとしたら、その動機を考えたところであまり意味がないな。


――パレスは全力で思考を放棄した。


なにしろ相手は全知を司る、サンクティ・サピアンティアの名を冠せられたソーマタージである。

未だ若輩でありながら、初代ビジュー王であり、発明の聖人たるジョワイエの再来とも評される少年である。


そんな彼が、何の準備も根回しも、協力者も用意せず、ことにあたる訳がない。

そしてもし、ことにあたったのであれば、それは常人には解き明かせない周到な計画のもとで実行されるだろう。


一級のソーマタージが本気で身を隠して発見できるほどの力を列聖機関をはじめとして、この世界の誰しもが持ちあわせてはいない。

スクレが自分の意思で姿を消したのであれば、それはこの世界から消え去ったことと同義なのである。

捜索という選択肢は合理的に排除されるべきなのだ。


次に、スクレに何らかの感情を抱く者の犯行を考える。

たしかに、彼は周囲の人々の様々な感情に取り巻かれており、その複雑に絡まった関係性の糸を解きほぐすことは容易ではないだろう。

しかし、視点を少し変えさえすれば、これは大変シンプルに片付く問題だ。


遠い千年前の大統一戦争の頃から一切何も変わらない大原則。

ソーマタージの敵はいつもソーマタージであるという宿命である。


この世の理を超えた力を持つ者に対抗できるのは、同じ力を持つ者でしかあり得ない。

よくよく考えれば当然のことである。

下手にあれこれと推理するよりも、そこに焦点を当てれば良いのだ。


現在、サンクトゥアリウムにいるソーマタージは3人。


サンクティ・フルグル。

――雷霆の聖人、エクレール。


サンクティ・クラティオ。

――癒しの聖人、メリュジーヌ。


この二人、エクレールとメリュジーヌに関しては、身元も明らかであり、この失踪劇で享受するメリットは何もないと言える。

メリュジーヌに至っては、スクレに特別な感情を抱いており、右へ左への大騒ぎだ。


問題なのは、3人目の人物である。


祝福の水晶球がソーマタージと認定しながらも、何の力も示さない少女。

フェリシタシオンの民ですらない、魔法と奇跡を禁忌とするH&S合衆帝国から来た異邦人。

ソーマタージを聖女の守護聖人として崇める列聖機関内ですら、何も持たざる者――“サンクティ・ヴァニタス”と揶揄するソーマタージ崩れの無能力者。

彼女の名はレヴリー・O・マルシャン。


彼女がこのサンクトゥアリウムに来てからおおよそ1ヶ月。

が起きるとすれば、ちょうど良い頃合いである。


オルグイユは帝国民であるというだけでレヴリーを頭から拒否し、まともに取り合ってはいない。

しかし、それは目を曇らせる悪手でしかない。

聖女関連の話題になると、途端に視野狭窄になるのが彼女の悪い癖だ。


どんなに不可思議な事象であっても、それを実現させてしまうのがソーマタージという存在である。

この世界でもっとも疑わしいのは、未だ誰も知らない奇跡の能力を持つだろう、レヴリー以外にはあり得ない。

パレスは直感ではあるが、そう強い確信を覚えた。


こりゃ、我が女主人の目をどう覚させるかが難題だな。

パレスは葉巻を燻らせながら、ため息をついた。

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