リンと鳴らせ〜〜初恋の相手は神様でした〜〜

ささみ

第1話 出会い



───鈴の鳴る音がしたんだ。




 花が芽吹き始める春、朝の早い時間帯。

 二人の親子が神社へやって来た。母親らしき人物がまだ幼子の手を引き、大きく膨らんだ自身の腹を愛おしそうに撫でて歩いている。幼子は眠たそうに欠伸をしながら、それでも母親の体に負担がかからないよう早足に歩を進めていた。

 鳥居をくぐり、先に進む。石畳の右側には太く立派な幹を持つ御神木が参拝者を見守るようにそびえ立っており、幼子はその大きさに圧巻されていた。

 母親の足が止まる。幼子が見上げた先には、両手を合わせて瞼を下ろし、柔らかな笑みを浮かべながら本殿に向かって拝む母親の姿があった。今度生まれてくる胎仔のためであろう。

 幼子も真似をするように手を合わせ、目を閉じる。何を祈ればいいのかも分からない。それでも瞼を下ろした、次の瞬間。


 リン──と鈴の音が耳に届く。


 幼子は思わず目を開き、何事かと辺りを見渡す。けれど周りには自分と母親以外誰も見えない。その母も、未だ拝み続けていた。

 幼子は瞬きを繰り返し、そうしてにんまりと笑顔を浮かべた。母の側からスッと音を立てずに離れ、自身の好奇心欲を満たすために走り出す。

 向かうのは、音の聞こえた方向だ。

 一体誰が鳴らしたのか、何故鈴の音なのか。弾み始めた幼子の心を収める者はここにはいない。注意が散漫になりながらキョロキョロと左右を見渡して走っていると、突然目の前に白い壁が出現する。

 布か何かのような柔らかい壁に激突した幼子は、顔面を強打し、反動のままに後ろへ尻もちをつく。


「んわっ」


 ポテン、という軽い効果音が似合う転び方をした幼子は何が起こったのか分からず、きょとんと上を見上げる。

 そこには狐の面を付けた「誰か」がいた。白い壁はその人の脚だったようで、幼子がぶつかった辺りにシワがついている。しかし気にしない様子でその人は告げる。


「坊や、泣かないんだね。流石お兄ちゃんだ」


 狐の面を付けたその人を前に、真冬は瞬きを繰り返す。そして次第に自分が転んだことを理解すると、「ふぇえ」と泣き声を上げた。

 狐面で隠れているが、ぱちくちと目を開いて呆れたような素振りが伺える。泣いた童の脇に両手を差し込み、グイと体を起こした。


「時間差で泣くのかい。ほら立って、男児がこんな事で泣いてたら弟に示しがつかないよ」


 座り込んで動かない真冬の体を持ち上げ、目の前に立つ狐面はくすりと笑う。

 すんすんと涙を流していた真冬だが、聞こえた言葉に違和感を覚える。不思議に思って上を上げ、狐面に向かって首を傾げた。

 

「弟……? おれ、弟なんていないよ」


 いるのは兄だけだと告げる。

 すると狐面の奥からまた笑い声が上がり、真冬の頭を数回撫でた。


「まだの話だろう。坊やの母は子を成している。安心すると良い、安産だ」

「どうして、おれの母さんのこと知ってるの?」

「そうだな……私が何でも知っているからかな」

「なんでも知ってる? だから弟ができるってことも知ってたの?」

「そうなるね」

「すごい……!」


 良い物も悪い物も全て吸収してしまう幼子は、目の前に立つ狐面の言葉を疑わずに愛らしい笑みを浮かべる。

 屈託のない笑顔を見て、真冬の上に置いた手がまた優しく撫でられた。

 まるで母に撫でられているようだ。

 真冬は嬉しそうにその場で小さく揺れると、その人の耳にも金色の"鈴"が揺れていることに気がついた。

 真冬を撫でながらその人が笑うたびに、耳についた鈴がリンと音を奏でる。


「それ……!」

「ん?」

「鈴、さっきも聞こえたの。母さんとお祈りしてるときにリンリンって」

「……鈴の音が?」

「うん! すっごくキレイな音だと思ったから、だからおれ探しに…」


 ようやく見つけたと笑顔を浮かべる真冬とは反対に、頭を撫でる手が止まった。

 重苦しい雰囲気がこの場を包み込む。

 先程まで見せていた笑い声が消え、撫でていた手のひらが離れていく。


「……そう」


 離れた手はそのまま耳元へ移動する。

 まるで真冬から鈴を隠すように耳を覆うと、悲しそうに呟いた。


「坊や、もうここに来てはいけないよ」

「……え?」

「ほら、坊やの母親もいなくなった君を探してる。戻りな、君の母さんが悲しむよ」


 そう言って一歩後ろに下がると、背中を見せて向こうへ歩いて行ってしまった。

 真冬の後ろからは母の探し声が響き、ハッとしてそちらを振り向く。「真冬、真冬」といなくなった我が子を探す焦り声が耳に届いた。

 早く帰らなければならない。

 けれど、目の前を歩く「誰か」は真冬の言葉に笑顔を消して悲しそうにしたままだ。


「……ご、ごめんなさい!」


 真冬は咄嗟に叫ぶ。

 悪いことをしたら謝るのだと教わっていた。

 何が悪いのか、何がいけなかったのかなど何も分からないけれど、自分の発言のせいでその表情を曇らせてしまった。

 自分が悪い以外に何がある。

 ぎゅうと自分の裾を掴んで「ごめんなさい」ともう一度叫ぶ。後ろで真冬を見つけた母の声が聞こえた。

 裾を掴む手が震える。じわりと浮かんできた涙で視界が歪んだ。

 ここに来てはいけないと言われて、どうしてか胸が痛み出した。悲しそうな顔をされて、こちらまで泣きたくなった。

 ボロボロと溢れる涙が止まらない。


「……坊やは優しい子だね」


 誰かのために涙を流す真冬に、狐面は悲しげな表情を少し和らげる。

 決して真冬の方へ近づきはしないが、もう一度だけ振り返り、最後の忠告を告げた。


「だが、もう来てはいけない。優しい子なら尚更だ。私と会ったこと、話したことも他言無用だ。鈴のことも誰にも言ってはならない。もう忘れるんだ、いいね」

「ぁ──待って! ねぇ、名前……!」


 最後の忠告を終えた直後、その場に突風が巻き起こる。

 吹き上がる砂埃に真冬は堪らず目を瞑った。


 名前、名前を聞きたいのに。

 もう二度と会えないなんて。


 砂埃の中懸命に手を伸ばす。

 しかし、それも虚しく視界が開けた時には既に姿がなくなっていた。どこを見渡しても狐の面一つなく、鈴の音も聞こえない。

 あの人が消えた方向へ探しに行こうとした足が止まる。上を見上げると、お腹を大きくした母が真冬の腕を掴んでいた。

 グンと抱き上げられ、「良かった」と安堵のこもった声を聞くともう動けない。

 真冬は誰もいなくなった目の前の景色をジッと見つめていた。

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