三 虐待

 気がつけば、見知らぬ住宅街にいた。

 白々とした街灯が、アスファルトに舗装された暗い道路を照らしている。目の前には、街灯の影に暗く沈んだアパートが建っていた。

 あたり一帯が、白い光の靄のようなものに包まれている。

 現在時刻は夜であり、黒い空には星が広がっている。当然暗いはずであるのに、白い靄が全体を覆っているため、視界としては明るく感じる。夜の景色を映し出したモニターの輝度を極限まで上げて見ているような、そんな不思議な感覚だった。

 靄の存在があることで、俺はいま夢を見ているのだということを、強く自覚することができる。この靄は、海美が死んだときの夢に出てきたものとまったく同じだ。

 視線を落とし、手をあげる。夢に存在する自分がどの年齢のときのものか、姿を確認しようとしてやってみた行為だった。しかし、見えたものに心臓がドキリと跳ねた。いや、見えなかったことに、と言うべきだろうか。

 手を上げたはずの空間には何も存在していなかった。地面に立っているはずの足もなく、ところどころひび割れたアスファルトが見えるだけ。つまり、俺はこの場に存在していないのだ。

 どうして俺は、この覚えのない光景を見ているのだろう。ここは、いったいどこなのだろう。そう疑問を感じだしたとき、見えない『何か』に手を引かれた気がした。奇妙ではあるが、その感覚に嫌なものは感じない。

 存在しないものに存在しない手を引かれるまま存在しない足を動かして、ゆっくりと目の前にあるアパートへ近寄っていく。柱や外壁に付着した錆や汚れから、相応の築年数を感じる。

 二階建ての小さなアパートの外階段を登っていくと、そこにゆめちゃんの姿があった。ドアのすぐ横の壁に背中を預けるようにして、アパートの廊下にしゃがみ込んでいる。立てた膝に額を乗せ、顔を伏せて小さくなっていた。

 彼女は入院着ではなく、普通の服を着ている。薄ピンクのロングティーシャツを着て、短いキュロットパンツを履いている。服装に気になるところはないが、よくよく見ると、彼女の体は全身が小刻みに震えていた。

「あれ。キミ、ここの家の子?」

 唐突に、背後から声が聞こえた。

 ゆめちゃんはハッとした表情をして顔を上げると、俺の方をじっと見た。彼女の視線は確実に俺へ向いているが、彼女が見ているのは俺ではないはずだ。彼女の視線を追うように、俺も慌てて振り向く。

 そこには、大きな箱のようなリュックを背負った聖が立っていた。リュクの側面には、街中でよく見かけるデリバリーサービスのロゴが入っている。これは事故の前のできごとなのだろう。右目に包帯は巻いておらず、きちんと両目が見えている。しかし、克死院で着ていたのと同じ厚手のジャケットを着ていた。

「ラーメンお待たせしマシター」

 聖は明るい調子で言葉を重ねる。

 ゆめちゃんは返事をしなかった。ただ慌てた様子で立ち上がると、横のドアを開け、体を滑り込ませるように中へと入ってしまう。

 聖はゆめちゃんの様子を見て、数回目を瞬いた。それからしばらく、閉まったままのドア前に佇む。おそらく、彼女が親を呼んできてくれるのを待っていたのだろう。けれど、ドアは沈黙を保っている。

 聖はスマホの画面をいじり、デリバリーの届け先がこの部屋で合っているかどうかを確認した。不思議そうに首を傾げてから、ドアの横についている呼び鈴を押す。それから一分も経たずに、ドアは再度開いた。出てきたのは、どこにでもいる凡庸な印象のメガネをかけた中年男性だ。

「あ、どーも。デリバデイリーです」

 聖が再度名乗ると、中年男性は頷く。聖は背負っていたリュックを丁寧に下ろし、中から届け物の入ったビニール袋を取り出す。

「木野屋の醤油ラーメン二つと、キッズラーメン一つでお間違えないでしょうか」

「はい、どうも」

 ビニール袋を受け取った中年男性は中身を軽く確認すると、すぐさま家の中へと引っ込んでドアを閉めた。余計な言葉はなく無愛想なようにも見えるが、デリバリー利用者としてはごく一般的な反応でもある。聖も特に気にした様子はなくリュックを背負うと、アパートの階段を下っていった。

 聖が離れていく距離に比例するように、白い靄が次第にその濃さを増していく。ものの数秒でなにも見えなくなった。


 再度視界が開けたとき、俺はまだアパートの廊下にいた。

 先ほど家の中へと入っていったはずのゆめちゃんが、またさっきと同じ服装、同じ姿勢で同じ場所にしゃがみ込んでいる。そんな彼女の元へ、こちらも先ほどと同じように聖が歩み寄ってくる。まるで、同様の光景を繰り返し見せられているかのようだ。

「こんばんは。先週のラーメン美味しかったか? 楽しみにして待っててくれるのは嬉しいんだけどさ。そんな格好じゃ風邪ひくぜ」

 聖の発した言葉は違うのだが、ゆめちゃんの行動は前回と同じだった。ハッとしたように顔を上げて立ち上がると、急いでドアノブに手をかける。

「あ、待って待って。またラーメン届けに来たからさ、親御さん呼んできてくれねぇ?」

 聖が慌てて声をかけると、ゆめちゃんは足を止めて振り向いた。聖を見上げる瞳は、なぜだか怯えきった色に染まっている。しかしその恐怖の対象は、聖ではないはずだ。初対面だと思われる彼は、ゆめちゃんになにもしていない。

「えっと。ここでキミが受け取ってくれてもいいんだけど?」

 その様子に、俺と同様に不審なものを感じたのだろう。聖はリュックを下ろしながら、慎重に言葉を重ねる。しかし、ゆめちゃんはフルフルと首を振った。

「できない。ごめんなさい」

 そう一言だけ残すと、握ったままだったドアノブを捻って、ゆめちゃんは家の中へと入っていく。残された聖は呆気に取られたような表情をしている。また、傍観者として様子を見ていた俺も強い違和感を覚えた。

 頼んだデリバリーが届いたことを親に伝えられない。デリバリーの品を受け取ることもできないというのは、どういうことなのか。それらのことができないほど、彼女は幼くはない。そもそも、どうしていつも薄着の状態で家の外にいるのか。

 おそらく俺の抱いた疑問と同じようなことを考えながら、聖は呼び鈴を押す。すると間も無く、前回と同じ中年男性が顔を出した。

「どうも、デリバデイリーです。木野屋の醤油ラーメン二つと、キッズラーメン一つでお間違え……」

 聖もまた定型句を言いかけたが、その途中で、家の中から小さな女の子が出てきた。ゆめちゃんよりも幼く、年齢としては五歳程度だろう。

 女の子は中年男性を押し退けるようにして、聖の前にやってくる。

「わーい、ラーメン! ラーメン!」

「さちかちゃん、寒いから戻ってらっしゃい。ラーメンはパパがすぐに持ってきてくれるから」

 家の中から聞こえたのは、女の子を優しく呼ばう、穏やかな女の声。

「えー、やーだー。さちかが持ってくの」

「ああ。どうも、すみませんね。それ注文合ってるから、娘に渡してもらえますか」

 中年男性からの言葉に面食らいながらも、聖はリュックから取り出した袋を女の子へと手渡した。

「あ。はい、これがラーメンだよ」

「やったー、ラーメン食っべるー」

 さちかと呼ばれた女の子は喜色満面。ぎゅっと袋を握りしめ、出てきたときと同様の唐突さで家の中へと戻っていく。中年男性も女の子を愛おしげな様子で見守っていた。

 ごく一般的な家庭の微笑ましさを残して、聖の目の前でドアが閉められる。賑やかなやりとりが去ると、アパートの廊下の静けさがいっそう深まった気がした。

 白い靄が濃さを増していく。


 次に視界がひらけても、俺は変わらずアパートの廊下にいた。この奇妙な夢も三回目になると「またか」という気持ちになって、落ち着いて見ることができるようになっていた。

 アパートの廊下には、今回も変わらずにゆめちゃんがいる。着ているロングティーシャツの色だけが違い、別日だということがわかる。小さくなっているゆめちゃんの体の震えは、前回、前々回にも増して強い。彼女の口元からは、時折白い吐息が漏れていた。

 聖がやってくる。

「こんばんは。さすがに今日は寒いだろ」

 かけられた言葉に、ゆめちゃんはゆっくりと顔を上げる。瞬きを数回してから、緩慢な動作で家の中へと戻っていこうとする。

「待って。戻る前にこれだけ、受け取って」

 背中に言葉をかけられ、ゆめちゃんはいつもよりもぼんやりとした表情で振り向く。

「できない」

「ああ、違う違う。これはおれからキミに」

「わたしに……?」

「そう。ただ受け取って。誰にも知らせなくていいからな」

 聖はリュックを下ろすと、中からいつもよりも小さな袋を差し出した。ゆめちゃんは警戒するような眼差しを聖に向けたが、拒否はせずに袋を受け取った。もう一度だけ聖を見ると、なにも言わずに家の中へと入っていく。

 今回、俺はゆめちゃんの後を追いかけることにした。彼女のすぐあとに続いてドアから家の中へと入り、彼女が進むままについていく。

 アパートの中は、ごく一般的なつくりになっている。玄関から廊下が続き、その向こうに磨りガラスが嵌め込まれたドアがある。おそらく、そちらがリビングだろう。

 ゆめちゃんはリビングには向かわずに、廊下の右手にあったドアを開いて中へと入る。向かうのは子供部屋だろうかと思った俺の予想に反して、そこは浴室とトイレにつながる洗面所兼脱衣所だった。ゆめちゃんは脱衣所から浴室の中にまで入ると、壁に背をつけてしゃがみ込んだ。風呂板の開いたままの浴槽は空だ。浴室全体も乾いているため、服は濡れないで済む。

 同時に、家の中に呼び鈴の音が響く。誰かが廊下を通っていく足音がして、玄関ドアが開く。遠く、二人の話し声が聞こえる。前回、前々回と同様の、中年男性と聖のやりとりだ。

 ゆめちゃんは袋の中身を確認し、驚いた様子で目を見開いた。彼女が中から取り出したのは、ラーメン丼の形状を模したプラスティックの保存容器だった。器を密閉している蓋を開けると、ラーメンの良い匂いと共に湯気がふわりと漂う。

 どこか呆然とした表情をしたまま、しかし、ゆめちゃんの手が止まることはなかった。袋の中に一緒に入っていた割り箸を取り出す。器の中の卵色の麺を箸でつまんで口へと運ぶと、ちゅるちゅると小さな音を立てた。はじめはおずおずといった様子だったラーメンを食べる速度が、少しずつ上がっていく。

 遠く、しかし家の中のどこかから、小さな女の子が無邪気にはしゃぐ声が聞こえてくる。続いて、そんな女の子を囲んで楽しそうに笑う二人の大人の笑い声。

「おにいちゃん……」

 ひとり呟くゆめちゃんの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。遠くの団欒が感じられるからこそ、彼女の孤独が深まっていく。

 途方もない寂しさを感じているのだろうに、涙を流す以外はあまり変化のないゆめちゃんの表情を見つめていると、息が苦しくなった。肉体が存在していないにもかかわらず胸が痛い。彼女を救ってやりたい気持ちが溢れるが、俺には、彼女がひとりぼっちでラーメンを食べきる様子を見つめることしかできなかった。


 なぜだか今回は、時間が経っても白い靄が濃くなっていくことはなかった。それから俺は、ゆめちゃんの苦しみに満ちた日常を、傍観者としてただただ見守ることになる。

 彼女は家族から排斥されていた。妹と思しき『さちか』と呼ばれている少女を唯一の子供として、両親はゆめちゃんの存在を完全に無視しているのだ。

 なんとも居心地の悪い家庭の様子を見て過ごした翌日。

 俺の目から見ても体調が悪そうだったものの、ゆめちゃんは迷うことなく学校に行った。共に家を出た妹は高級そうなコートに身を包んでいるが、ゆめちゃんは家にいるときと何も変わらない薄着である。

 それでも俺は、ある一つの希望に似た思いを抱いていた。学校に行けば病んだ家庭から解放されて、ゆめちゃんの子供らしい元気な姿が見られのだろう、というものだ。

 だが、現実は辛かった。学校での彼女も、家庭での様子と変わるところがない。暗い表情で常に視線を足元へ落とし、己の存在を消し込んでいる。まるで、誰の目にもつかないようにしているかのようだ。ただの一人さえ、彼女に友人がいる様子もない。そしてクラスメイトたちもまた、ゆめちゃんがこの場に存在しないかのように振る舞っている。イジメとも思えぬほどの、徹底的な無視だ。

 ゆめちゃんと出会ってから、彼女の姿を俺が見ていた時間は短いものだ。しかし克死院での彼女は、このときと比べれば、健やかで明るい表情をしていたように思う。

 ゆめちゃんは朝から無表情の中に体調の悪さを押し殺していたが、三時間目の授業の途中に限界に達した。机に突っ伏す形で、教室で意識を失った。教師に発見されてすぐさま保健室に運ばれ、熱があるとのことで自宅へ帰されることになった。

 迎えを呼ぶため、保険医がゆめちゃんの両親に連絡をしようとしたが、ゆめちゃんはそれを頑なに拒んだ。強硬な態度に保険医は訝しんではいたものの、結局、ゆめちゃんはある程度体調が安定したところで一人で帰された。

 ふらふらしながら、行きは二〇分でついた学校から家までの道を三〇分かけて帰る。

 施錠されていたドアの鍵を開けて、誰もいない自宅へと入る。人気のないリビングを見ると、緊張が解けたように、ゆめちゃんの小さな体から力が抜けた。床の上にランドセルを下ろし、テーブルに放置されていたリモコンを手に取ると、テレビをつける。

 液晶モニターに映し出されたのは、普段の同じ時間であれば、くだらないワイドショーをやっている放送局だった。いまはいつもとは違うスタジオで、キャスターが一人淡々とニュースを読み上げている。

 ニュースの内容は、『克死状態について』だ。克死状態というものがどのようなもので、どのようにして陥るものであるのか、という細かい解説がされている。克死状態の人間による社会的な影響を受け、克死院という施設が開院されたと、真面目な表情でキャスターが語っていた。

 ニュースが興味深かったようで、ゆめちゃんは熱に浮かされながらも、食い入るようにテレビを見る。また、このニュースは俺にとってもはじめて接する内容だった。克死状態がどのように社会に伝わっていたかということを目の当たりにして、キャスターの言葉に聞き入ってしまっていた。

 そのとき。

「おい、なんでこの時間にお前がここにいるんだよ」

 背後から低い男の声が響いてきて、俺は慌てて振り向いた。本来はこの場にいない俺でさえ驚いたのだから、ゆめちゃんの驚きは、その比ではなかっただろう。彼女も俺と同じように振り向いたが、その前に全身がビクッと大きく震え、彼女の体は実際に床から数センチ跳び上っていた。

 リビングの入り口には、例の眼鏡の中年男性。すなわち、ゆめちゃんの父親がいた。

「あ、ね、熱が出てしまって。そ、早退、して」

「学校から連絡は来ていないが?」

「わ、わたしが、先生に、連絡しないでって、言ったんです。お父さんとお母さんに、迷惑、かけたくなく、て」

 しどろもどろにだが、ゆめが答える。父親は深々とため息を吐き、額に手を当てた。

「そんなこと言ったら、俺たちが、育児に不真面目な親だと学校から思われるだろ。そんな簡単なことがわかんねぇのか」

 言葉の端々から発せられる怒気が、空気を威圧する。

「ご、ごめんなさい。でも、そんなことぜんぜんなくて。わたしは、大丈夫だったから。お父さんは、どうしていま、家にいるんですか?」

 ゆめちゃんは必死に話を逸らす方法を考え、逆に父親へと問いかけた。昨日の様子からして、父親は日中の平日に働きに出る会社員のようだった。この時間に家にいるのは不自然だったのだろう。

 だが、何かの地雷を踏んだのか、父親の声はいっそう低くなる。

「俺が自分の家にいて、何が悪いんだよ」

「わ、悪くない。悪くないです」

 なにかを察し、ゆめちゃんが身構える。父親は大きな足音を立てて、ゆめちゃんに近寄ってきた。

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

 父親は、逃げ出そうとするゆめちゃんの腕を強引に掴み、床の上へと引き倒すと馬乗りになる。

“おい、やめろ!“

 俺は我慢ならなくなって叫んだ。しかし俺の声は、俺自身も含めて誰の耳にも届かなかった。

「誰が稼いだ金で生きてると思ってんだよ。この家は誰のものだ? え?」

「お、お父さんの、ものです」

 恐怖に引き攣りながらも、ゆめちゃんは問いかけられることには必ず答える。まるで、そうすることを日常的に『教育』されているようだ。

「そうだよなぁ。ところでゆめ、昨日ラーメンの容器が一つ余計に捨てられていたんだ。犯人はお前しか考えられないよな? 金はどうした。俺から盗んだのか?」

「ちが、違います。おにいちゃんが、わたしにって、くれたの」

「おにいちゃん?」

 ゆめちゃんの手首を掴んでいる父親の手に強く力が籠った。彼女は痛みを感じたように顔を歪めるが、唇を噛んで声を堪えた。

「その、おにいちゃんってのは誰だ」

「……ラーメンを届けにきてくれた、ひと」

「あー……あのガラの悪い金髪の男か。どうも胡散臭いと思ったんだよ。なんでお前みたいな奴に、見ず知らずの男がエサを与えてくれるんだ? え?」

「わかり、ません。ごめんなさい」

「こんな未熟な体で誘惑できたのか? とんだ変態がいたもんだな」

 唐突な父親の言葉に、ゆめちゃんは困惑の表情を浮かべる。

 不意に。

 彼女のシャツの中へ己の手をさし入れると、父親は彼女の肌を無遠慮にまさぐりだす。見るに耐えない光景に、俺は目を閉じたかった。だがいまの俺には、視界を塞ぐ瞼さえない。

 生暖かく、下劣な意思に満ちた父親の手の感触がゆめちゃんに与えた衝撃と負の感情は、どれほど深かいだろう。それはきっと、本能的な恐怖だった。

「いやああっ」

 己の意思で抑えきれなくなったようにゆめちゃんは叫び、逃げ出そうと渾身の力で腕を振る。父親のかけていた眼鏡が飛び、彼女の小さな爪が彼の目に入った。

 反撃されることを想像してもいなかったのだろう。父親は目元を押さえて、一瞬だけ怯んだ。しかしすぐに、体に纏う怒気を増幅させる。目元から手が外れると、赤く充血した瞳がジロリと少女を睨む。


 その後の行動は、無言で行われた。

 父親は両手でゆめちゃんの細い首を掴み、全身の体重をかけるようにして締めていく。彼女の口からは、グゥとくぐもった声が漏れたのみ。

“やめろ! お願いだ、もう、やめてくれ“

 俺は、無意味だと知りつつも叫び、父親の体を引き剥がそうと腕を動かす。ただ、俺の存在しない腕は宙を掻くばかりで、見えているものにはなんの影響も与えない。

 途方もない無力感。

“ゆめ、ゆめちゃんっ“

 父親の体の下で、痙攣するように少女の足がバタバタと上下しはじめる。

 気が付かぬうちに、視界が白い靄に包まれていった。

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