【第四羽】二、教会の片隅で

 夜、テフは、教会の隅っこで、もらった毛布を被り、床の上で眠っていた。昼間、僅かなスープとパンの欠片をもらって食べたが、急に食べた所為で胃が受け付けなかったのか、吐いてしまった。その後は、近くの井戸から汲んできて溜めてある水瓶から少しずつ水を飲んで空腹を凌いだ。毛布を被って横になると、疲れ切っていた身体は、あっという間にテフの意識を夢の中へと連れて行った。だが、夜中に傷の痛みで目が覚めた。足の怪我は、大したことはなかったが、瓦礫の破片が入って傷ついた左目は、もう見えないかもしれないと言われた。麻の眼帯に覆われた下で、じくじくと痛みを訴えている。身体が寒くて震えていた。熱が出てきたようだ。


「大丈夫、俺が傍についてやる」


 テフの額に誰かが手を当てた。ひんやりと冷たくて気持ちいい。暗がりの中、ぼうっと青白く光る天使の翼が見えた。不思議と傷の痛みが和らいでいく気がして、テフは再び眠りについた。


 それから数日の間、テフは教会の世話になった。


 たくさんの怪我人が運び込まれ、教会の中だけでは収容しきれなくなり、外に張られた天幕が次々と増えていった。それらの中に、テフの両親はいなかった。どこか安全な場所に逃げているのかもしれない、とレインは言った。でも、子供を置き去りにしたまま逃げる父母ではないとテフは信じていた。きっと自分を探していると思ったので、今度は自分から両親を探しに行こうと決めた。


 その矢先のことだった。教会に運ばれてきた遺体の中に、テフの両親らしき顔を見つけた。全身に傷を負っていて顔の識別も難しいくらいだったが、身に着けていた服装が、テフとはぐれた日に二人が身に着けていた服に似ていた。未だに家族が見つからないという人は多く、見つかっただけでも良かったと思うべきなのか、見つからない方がせめて希望が持てて良かったのか。テフは無言で、両親の遺体が焼かれていくのを見つめていた。


「眠れないのか」


 いつもなら毛布を被って横になるとすぐに寝息が聞こえるのに、その夜のテフは、何度も寝返りを打って溜め息を吐いていた。


「辛かったら、泣いてもいいんだぞ」


 両親の遺体を見つけてからテフはまだ一度も泣いていない。


「……泣けないんだ。なんだか、僕だけ違う世界に居るみたい。なんでだろう」


 何の感情も籠っていない声に、レインがそっとテフの頭に手をやった。他の人からは見えないのに、頭に置かれた手から彼の温もりが伝わってくるのは何故だろう、とテフは思った。


「僕、これからどうしたらいいのかな」


 いつまでも教会のお世話になっているわけにはいかない、ということはテフにも分かっていた。頼る当てはあるのか、と聞くレインに、テフはしばらく黙り込んで考えていた。


 翌朝、教会でお世話になった人たちにお礼を告げると、テフは、身体一つで旅に出た。旅と言っても、隣町にいる叔父を尋ねるだけだ。年に一、二回ほど両親と馬車に乗って行っていた道のりを、子供の足で歩いて行く。町は、敵からの攻撃を受けて、幾つもの建物が崩れ落ち、町としての機能を停止していた。見慣れた町の様子が全く知らない場所に見える。戦況がどうなっているのか分からないので、いつまた攻撃を受けるかと、恐る恐る進んで行った。途中、自警団員の人たちと出会い、隣町への道筋を教えてもらった。一人で大丈夫か、と聞かれたが、テフは平気だと答えた。他の人には見えなくても、テフだけに見える天使がずっと傍にいてくれる。


――天使って、レインの他にもいるの。

――ああ、いるよ。人間の数よりは、だいぶ少ないけどな。

――どんな天使がいるの。レインには、家族がいるの。

――いや、俺に家族はいない。天使は皆、一人で生まれてくるんだ。

――そうなんだ。それは、寂しいね。

――別に、そういうもんだからな。寂しいとかはない。うるさいやつもいるしな。

――うるさいやつって。

――何かと俺のやることに文句をつけてくるんだ。もっと愛想よくしろとか、丁寧な言葉を使えとか……お前は、俺の母親かっての。

――恋人なの。

――ばっ、そんなわけないだろう。……ってか、恋人って意味わかって言ってるのか。

――うん。一番大事な人でしょう。母さんが言ってた。父さんと母さんも、結婚する前は、その恋人だったんだって。子供が出来たら、恋人から夫婦になるんだよ。

――うーん……ま、まぁ強ち間違ってもない、のかな。

――ねぇ、その翼って、飛べるの。

――もちろん、半分は、そのためについてる。飛んでみせようか。

――うわあ、すごい。それじゃあ、僕を抱いて、隣町まで飛んで行ってよ。

――それは、ダメだ。

――どうして。

――俺は、お前が幸せになる手伝いをしに来たんだ。お前を幸せにするためじゃない。

――……よくわかんない。どう違うの。

――全然違うだろう。自分で釣って食った魚は美味いけど、他人が釣って食わせてもらった魚は……まぁ、それはそれで美味いだろうけど、自分でやった方が断然美味い。そういう感じだ。

――全然わかんない。レイン、説明下手くそだね。いい先生にはなれないや。

――うるせぇ。俺は、天使で、先生じゃないの。要は、そういう決まりなんだよ。

――ふーん、天使もいろいろ大変なんだね。決まりを破るとどうなるの。

――大天使様にめちゃくちゃ叱られる。……っつーのは冗談で、この翼を奪われる。

――翼を奪われると、どうなるの。

――天使じゃなくなる。

――人間になるってこと。

――違う。人間と天使は、そもそも生まれ方が違うんだ。還るんだよ。天使は、元々自然のエネルギーから生まれたんだ。だから、自然に還る。

――死ぬってこと。

――うーん、まぁ、人間の言葉で言うとそうかな。でも、ちょっと違う。

――どういうこと。

――自然は、死んでなんかいないだろう。風も空気も、雲も雨も、太陽の光も緑も、全部生きてる。目に見える形は違うけど、存在自体が消えるわけじゃない。

――それって、蝶の天使もいるってことかな。

――蝶……いや、あくまで天使は、自然エネルギーの化身なんだ。生きて動いている動物や人間は、天使になれない。

――そうなの。僕の母さんは、人間が死んだら天使になるんだって言ってたよ。

――それは…………いや、そうだな。人間も、死んだら天使になるのかもな。

――ねぇ、レイン、死ぬのって、怖いのかな。僕、あの瓦礫の下で、このまま死んじゃうんじゃないかと思って、とっても怖かった。あんな思いをするくらいなら、どうして生まれてきたんだろう。

――人間も動物も、天使も、みんな同じさ。死んでも、土に返って、またいつか蘇る。人間は自然から生まれたんだからな。


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