第7話 白と黒の切り絵

 東京に戻ると牟田口が弟のところに現れた話を美津子にした。

「行方不明って噂だったけど北海道なの」

 美津子は好物の焼き芋をほおばったまま目を見開く。

「阿寒に死す、だっけ。そういう映画があった」

「よせよ、死んだと決まったわけじゃない」

 突然、連絡がつかなくなったとマネージャーから聞いたという。

「自然の音を取材していたのでしょう。なにかに憑かれたのかな」

「プロデューサーが困っているだろう」

「そうでもないみたい。いくらでも代わりの人材はいるから。あたしだって同じ」

 むしゃむしゃと食べながらそんなこと言う。

「いや、美津子の声は特別だよ」

「そう? 声だけかな。若い頃はテレビも出ていたけど」

「それは知らなかった」

「リポーターでさ、事件の現場とか行ったよ。あとお店の紹介とかいろいろやった。お休みなんてほとんどなくて大晦日は銀座のデパートに並んで徹夜で福袋買う人の取材もした。でも潮時ってものがあるのよね」

 そんなことないよ、と言うべきだったと思う。

「心残りはね、UFOの出る場所。二回行ったけどダメだった。悔しいのはね、スケジュールの都合で別のリポーターが行った日にはちゃんと現われた」

「へえ、そうだったの? 」

「富良野のへんでさ。札幌から行ったの。今度、行ってみない? 」

「寒いよ」

「弟さんに尋ねてみてよ。山小屋なら遭遇の可能性が高いかも」

 焼き芋がなくなると、今度はポテトチップスに手を伸ばす。こんな食べ方をしているのに太らないから不思議だ。

 寝る前にファイルを持ってくる。父親が集めていた資料の一部である。ここよ、と渡されたのは富良野から夕張方面に抜ける道の途上にあるドライブインの記事だった。自衛隊関係者が経営していたこともあり信憑性は高かった。夜毎に不審な光が観測され、天体写真家や天文学者が調査したが正体は不明だった。自衛隊も関心を示したという。UFOだということになり、一時期は週末ともなると全国からマニアがつめかけていた。確証は得られず、その後、出現の頻度が下がりドライブインは閉鎖されたが父親は生前、この場所は遭遇の可能性が極めて高い、と言って自らも何回か訪れていたらしい。

 つまりは供養と言うことなのだろうか。

 灰色は危険だ、と言ったのは画家のパウル・クレーである。

 絵具の色あれこれを混ぜていくと灰色になると聞いたことがある。そこからすべてが生まれ、すべてが消えていく焦点。

 モノクロ写真は灰色の諧調に終始すると言っても過言ではない。写ったのか、写らなかったのか、わからない。モノになる以前のモノが現われる。心霊写真だと騒がれるのはたいていそれだ。霊ではない。ある種の閾だ。胎児と呼んでもいい。モノになりそこねたまま、形を成しえないまま、濃淡の諧調に姿を見せるだけである。

 実在とは何か。

 実在と本質とは違うのか。アリストテレスは一体だと言った。トマス・アキナスは区分した。いずれにせよ、突き止めることはできない。

 美津子が探していたUFOも同じだ。

 いると思う者の前には姿を現すし、いないと思えばいない。

 真冬の道内、それも廃墟で夜を過ごすとなると相当な覚悟が要る。物好きな話だが、彼女は憑かれたように計画を立て、航空券の手配まで済ませてしまった。仕事じゃないからかえってチャンスがあるような気がする、と根拠のない理由を示す。それにあなた、カメラマンでしょう、あれ、撮ったらスクープよ、と。ただね、視たいと念じないとダメなの、そうディレクターは言っていたらしい。なんともうさんくさい。

 これも供養の一環、と考えて同行した。

 週末の夜、二人で新千歳に飛び、ビジネスホテルに泊まる。街の居酒屋に入るとなんともうらぶれた雰囲気で気が滅入ったが、美津子は興奮気味だった。

「この店にも来たことがあるの。当時はUFOの話題で持ちきりだったのよ」

 ねえ、とおでんを盛った鉢を出してくれた店員に同意を求めたが、首をかしげられた。自分はここに来てまだ二年くらいなので昔のことはわかりません、と。あきらめきれない美津子はカウンターの中にいる店主に声をかける。

「ほら、おじさん、あたしたちUFOの取材できたの、覚えていない? 富良野の方でたくさん目撃されてみんな大騒ぎでさ」

「ずいぶん前だけど、そんなこともありましたねえ」

「最近はどうですか。UFOはいるのかな」

「いやあ、どうだろう。聞かないな。十年以上前でしょう」

 愛想は悪くないのだが困惑しているようでもあった。他に客もいないがらんとした店に有線から流れる昭和の歌謡曲がなんとも侘しい。美津子がUFOと宇宙人についてひたすら語り続けるのを聞きながら味の薄いおでんをつまんでいると、店主が古い新聞記事を持って来た。

 宇宙人現る!

 との見出しが躍っている。地元紙の三面記事らしく、昔はよく見たが名前を思い出せないタレントが未確認飛行物体の正体を見極めようと訪れた、との内容でその居酒屋も紹介されていた。色紙もあったけど、どっかいっちゃった、と苦笑している。上機嫌の美津子はビールをお代わりした。

 翌朝、レンタカーで富良野方面に向かう。

 正確には国道で夕張を北上し、富良野盆地に山越えする途上に目的の場所はある。天候は悪くなかったが大地は真っ白に染まり、慣れない雪道の運転は緊張の連続だった。特に国道を離れて山間に入ると道幅も狭く難儀である。

 ナビゲーションでおおよその見当をつけていたが、あれよ、と美津子が指差した。

 前方の山肌に赤茶の屋根が見えた。近づくにつれ廃墟の様子が明らかになる。三角の巨大な屋根は形を維持していたが看板は雪の重みで倒壊していた。建物は奥まった場所にあったので手前に車を止め歩いて接近する。窓は破れ、室内にも雪が吹き込んでいた。

 周囲を巡り見上げると青々と明るい空だった。

 もちろん未確認飛行物体の姿はない。

 西の方角に上弦の月がうっすら見えているのといくつか飛行機雲が過ぎっているくらいだ。

 撮影の際はスタッフがなにもかも準備してくれたのだろうが、そうもいかないので車で待機することにする。ラジオを聞いていると札幌の飲食店のリポートをやっていて腹が減ってくる。美津子は神妙な顔で聞いていた。自分ならこういうふうに話さない、などと考えていたのかもしれない。

 山間の日の入りは早い。

 天候の崩れもなく、クリアな夜空に一番星が光ると、あっという間に満天の星となる。山越えの一本道なので昼間はそれなりに交通量もあったが夜になるとまばらである。それでもヘッドライトで露光してしまうと写真が台無しになるので、ドライブインの裏に回り、釣具店でレンタルした簡易テントとキャンプ用の椅子などで居場所を作った。防寒具をフルにまとって三脚の上にカメラをセッティングし、レンズが露光しないようにカイロで温める。その段階で氷点下五度。観測時間の目途は午前一時までとし、それまでに現れなかったら諦めよう、と決めた。

 正直、無駄だと思っていた。氷点下の雪山で夜を過ごすなど趣味ではない。経験したことのないほどたくさんの星の姿には恐ろしささえ感じた。星座盤を用意して星々の名前を探りながら神話の世界をたどる。天体写真を撮るには地球の自転に合わせてカメラを動かす赤道義という台座が必要であり諦めた。美津子は双眼鏡を手に雪の上をうろついては身体を震わせている。

 午後七時時過ぎ、道路側で音がしたと思ったら人の気配がする。表に回ると全身を防寒具で覆った背の高い男が大型の四駆から降りて来た。

 ご苦労さんです、

 と声をかけられる。観測ですか、と問われたので名刺を渡すと相手は平木と名のった。元自衛官でドライブインの経営者の息子だという。防風グラス越しに眼が動くのが分かった。美津子もやって来る。勝手に敷地に立ち入ったことを詫びるが警戒している様子は、最近はUFO騒動もすっかり忘れられて寂しいものですよ、と笑っている。

「平木さんですか。あたし、お父様にインタビューしたことあります」

「そうですか。残念ですが父は一昨年、亡くなりました」

「あら、まだお若いはずなのに。あのときお世話になりました」

「父はねえ、みなさんが好きでした。UFOのおかげでいろんな方と知り合えてね。店を閉じてからも千歳の自宅には客が絶えませんでした」

「今もときどきここに来るのですか? 」

「今日は富良野に用があったので寄ってみました。この建物も危ないのでね、時折、様子を見に来るのです」

「UFOはどうです」

「さあ。自分は見たことがないですね。元自衛官として言いますけど、恐らく自衛隊機の航跡かそれと複合した自然現象ですよ。旧ソ連軍の新兵器の可能性もあったのでレーダー探知もしたみたいですが結果ははかばかしくなかったと聞いています」

「あら、がっかり」

「どうです、中をご覧になりますか」

 平木は懐中電灯を手に玄関から中へ案内してくれた。什器がはずされているため店内はがらんとしており、黒ずんだ壁に歳月が刻んだ染みが年輪のように輻輳している。厨房の前で平木はしばらく佇んでいた。

 父親を忍んで黙禱しているようにも思えた。

 時折、街道を車が通過すると青白い光が乱反射し無数の光芒が店内を巡る。それこそSF映画のような光景だった。

 僕は腰を落としてシャッターを切った。

 平木は寡黙になり一人でうろついている。被っていた防寒具をはずすと野太い声とは裏腹に痩せて見える頬が闇に浮かんだ。ファンダー越しにのぞくといかにも寂しげで浮世離れしている。元自衛官と言っていたがどういう生き様なのだろうか。余計なお世話だと思ったが興味が湧く。

 どれくらいそうしていたろうか。

 それじゃ、自分は出ますよ、ごゆっくり、と言うので表に出て見送った。長い足をステップにかけ、バタン、と音を立ててドアを閉じる。エンジンがかかりテールランプがあたりを赤く染める。やがてそれは凍りついた坂道に消える。

 幸い長い時間、待つ必要はなかった。

 ああっ、という叫び声が聞こえた。美津子が走り回っている。見上げると小さな光が現われた。

 一つ、二つ、三つ。

 確かに動いている。流星だろうか。それにしては動作が鋭敏すぎる気もした。必死になってデジタルカメラで追う。アナログカメラはシャッターを開放にした。痕跡だけでもとらえようと。

 二人とも言葉はなかった。

 しばらくたって美津子が振り向いた。じっとこちらを見つめている。瞳には涙が溜まっていた。

 彼女は少しばかり魂を回収できたのかもしれない。

 それならそれでいいと思い黙っていた。

 夢中になっていたので全身が冷え切り手も足もかじかんでいた。車に入って暖まると痺れを感じる。


 その晩は札幌市内に移動した。

 ススキノに近いホテルを見つけて荷物を置くとさっそく「テロワール」に入った。客はおらず義彦が悄然とグラスを磨いていた。美津子に鋭い一瞥を走らせ、

 いらっしゃいませ、

 と神妙に頭を下げる。紹介すると、美津子は兄弟の顔を見比べてびっくりするほど似ていない、と笑った。さっそく乾杯しよう、という話になる。

「二人の記念日ですか」

「そうね。だけどちょっと変わっているの。UFO記念日」

「ユーフォー? 」

「さっき見たのよ。夕張の山の中で。寒かったけど感動した」

 へえ、と義彦が顔を上げる。

「確かに光っていた。ねえ? 」

 そうだね、写真も撮ったよ、とカメラを取り出して画像を再生してみる。これかな、と。そこには白っぽい小さな点が映っている。星に見えなくもない。動画もあるがはっきりと見分けられない。当時のデジタルカメラは感度も画素数も今に比べて格段に低かったためクリアな解像度は得られなかった。美津子は不満げである。カメラを手に取って小さな液晶画面に表示された画像を食い入るように見つめている。

 スパークリングワインが出されて乾杯、となった。北海道産のもので作り手について義彦が説明したが美津子は聞いていない。

「UFOは確かにいた、そうでしょう? 」

 としつこい。

「動いている光は見えたよ。UFOかどうかはわからないけど」

「あれはUFOよ」

 と口を膨らませる。義彦がクスクス笑ったのがいけなかった。

「兄弟でバカにしているでしょう」

「違うよ。君がかわいいから嫉妬しているのさ」

「嘘つき」

 義彦は態度を変えてクールなバーテンに戻る。

「夕張はいろいろ伝説のある場所です。動物たちの魂についてはよく聞きました。昔栄えた炭鉱の廃墟がありますから幽霊の話もありますね。アイヌの頃から神秘に包まれた山だったのです」

「あたしが担当した番組でもそんな説明があったような気がする」

「宇宙人ではないですが山には異人が居たという言い伝えもあります。空飛ぶ光の話もね」

 美津子は顔を上げた。

「冬の夜にいくつもの光が飛び交っていたそうです」

「光が? 」

「山小屋でこんな話になるとね、外の様子を見に行く奴がいるのですけど、たいていすぐに戻ってきて黙り込んでしまいます。なにか見えるのかもしれませんね。どうした、と聞いても教えてくれない。俺はよほどのこと、つまり人命にかかわるようなことがない限り外に出ないことにしています」

 美津子はうんうん、と頷いた。

「正直言うと怖いのです。怖くないですか、目の前に宇宙人が出たりしたら」

 義彦のトークは首尾上々であった。

 それでも美津子は酔うにつれ絡み酒になってきた。

 どうせあたしのことバカにしている、みんなそうだ、など呟いていたかと思うと、あたし帰る、と席を立ってしまった。いつもの気まぐれなので驚かないが、コートも着ずに飛び出したので慌てて追う。エレベーターのドアが閉まったところだったので階段を駆け下りると外は吹雪いていた。

 真っ白の景色にネオンがにじんでいる。視界は数メートルしかなくさすがに人影は少ない。そんな状態にもかかわらず美津子は凍り付いた路上を速足で遠ざかっている。おい、コートとマフラー、と呼びかけるとやっと立ち止まった。タクシーを捕まえようとしていたようだが空車はまずない。ヘッドライトが円錐形に降り込める雪を切り開いたかと思うと、電車が通過した。いわゆるササラ電車、除雪用の車両のようだ。

 大きな車体が過ぎって光と影が断絶した。

 あのときなにかが終わり、なにかが始まった。金色の街路灯が街を照らし出している。ネオンは無言のまま明滅した。 

 あたし、帰るから、

 美津子はコートを羽織り、マフラーを巻くと歩き出した。ホテルの場所、わかるのか、と尋ねたが返事もせずに雪煙に紛れてしまう。

 あの後姿を僕は忘れないだろう。

 美しかった。取り返しのつかないものだからかよけいに凄みを増していた。影となって灰色のグラデーションに消えていく。

 白と黒の切り絵だ。

 その残像は永遠になる。

 写真ではない。だが写真以上に鮮明に映る。UFOと同じだ。凍てついた夜空と、過ぎっていく銀色の輝きだけはしっかりと記憶に刻まれている。

 写真ではダメだ。

 東京に戻ってから銀塩のフィルムも現像してみたがそれらしき光跡は認められなかった。それよりも気になったのは平木の視線だ。現場でファンダーをのぞいていた間は気づかなかったが、彼はじっと美津子のいる方向を見つめているのだ。妙な奴だ。あいつははたして何者だったのか? 

 写真には限界がある。カメラの性能にも。だから美津子にはなにも言わなかった。なぜならそれが写真のいいところだからだ。人や動物の目だってすべて見通せるものではない。所詮、不実な鏡だ。濁った媒材なのだ。完璧さを求めるからおかしくなる。不完全な方がいい。そのことを知って利用すればいいのだ。ただし作法がある。完全でないことこそ美しいのだ。だけどこうした美学の説明は難しい。せいぜい逃げ口上ととられるのがオチだ。

 テロワールに戻ると、兄貴、あの女はやめたほうがいいよ、と義彦に言われた。

「そんなんじゃない」

「ならなんでわざわざ連れてきた」

「成り行きだよ」

 義彦は手を止めておどけた調子になる。

「遊びかよ。なかなかやるな。まあ、これで俺のこともとやかく言えないな」

「山男のお前と違ってこっちは所詮、風任せの人生さ」

「知っている。昔、おやじが言っていた。兄貴は柳の木みたいな奴だって。へなへなしているけど打たれ強い。嵐が来ても倒れないってさ。俺は意固地で偏屈だから見習え、ってことだった」

 柳か。当たっているのかもしれない。親は子供をよく見ている。

 ホテルに戻ると美津子はぐうぐういびきをかいて寝ていた。帰路でも互いに言葉数は少なく、冷たい空気が流れていた。帰宅するなり、

 この家は売るから、

 と宣言した。出て行けという意味で事実上、別れ話だ。反論の余地はない。そうか、とだけ答えて四畳半にこもった。二週間の猶予をもらったので荷物を片付けてアパートを探した。幸い以前、住んでいたアパートの近くに似たような物件があり引っ越すことができた。そこならば顔見知りの写真館の暗室を再び借りることもできた。

 二週間後、レンタカーで二トントラックを借りて引っ越しした。美津子は自分が引っ越しするかのように親身に手伝っていた。自宅については不動産業者に頼んで売り出したところ、すでに二、三、問い合わせがあったということで早急に父親の遺品を含め家全体を手じまいしなければならない。ムー関係の資料はもちろん、ステレオやレコードなどを押し付けられそうになり固辞したが四畳半にあったサボテンだけは僕と一緒に引っ越しすることになった。

「売れたらどうする、住む場所がないだろう」

「いいの。旅に出るから」

「どこへ? 」

「UFO探しの旅よ」

 そんなことを言って飄々としている。どうやら一人ではないな、と感じた。こっちが鈍感過ぎたのかもしれない。

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