第5話 クエスチョンマーク

 猫たちは相変わらずごろごろしていた。

 腹が減るとおばちゃんの店にやって来るし、飽きるとどこかに行ってしまう。相手をしてやろう、などと気を起こしても無駄だ。プイ、と顔を逸らし走って行ってしまう。まったくかわいくないね、などと呟きながらレンズを向ける。すると今度は嫌がりもせずにじっと見つめてくる。

 変な人だね、君は。いや、人ではないか。でもただの野良猫とも違う。マルはマルだ。

 マル。

 君は不思議な能力を持っていた。少なくとも僕にはそう思えた。マルに教わったことは多い。例えばおばちゃんのことだ。おばちゃんはマルの前に残り物の皿を置きながら問わず語りにいろいろなことを口走った。

 名前は郁子。旧姓、佐々木。今は日野原。

 でも誰もそうした名前では呼ばない。おばちゃんはおばちゃんだからだ。店の名前すらはっきり思い出せない。おばちゃんの店だから。確か「ただいま」だか「おかえり」だとかいうような名称だったはずだけど。いや「おつかれさま」だったかもしれない。

 郁子は出身地、群馬県前橋市の商業高校に通って簿記を勉強した。数字を使う仕事は性に合わなかったが、勉強したことは後に役にたった。当時は慢性的な人手不足の時代で、帳簿ができるということで仕事はすぐに見つかった。中野に本社のある繊維卸商で、小平にあった社員寮から通えるということで両親も喜んでいた。

 おばちゃんが待っている人とはそこに勤めているときに知り合った。六月の初旬に関係がある。特に六月七日に意味があるのだ。

 発端は会社の同僚である柴田という男に誘われてよくわからないままに参加した勉強会だったという。阿佐ヶ谷の印刷会社に毎週、火曜日の夜に集まる。社長と専務がいない曜日を選んで会議室を利用していた。古い蛍光管がちらつく室内は薄暗かったがみんなの顔は明るかった。レジュメを覗き込むまなざしから光線が出ているかのように輝いた。眼は心の窓である、という聖書の言葉を誰かが語っていて印象に残った。確かにそこに集まっている人々の眼は光っていた。眼だけではない。照らし出された顔全体が輝いていた。そう見えた。怖いくらいだ。でもこれが知性というものだと彼女は気がついた。

 マルクス。フォイエルバッハ。ヘーゲル。

 どこかの大学教授がいてドイツ語で読みこなし、説明した。集まっていたみんなも術語を使って議論する。理解しようと精一杯努力はしたが無理もある。

 あなたはどう思いますか?

 そう問いかけられるのが恐怖だった。逃げるわけにはいかない。敵か味方か。彼らは二進法で思考する。中間はない。決断しろと迫られる。中途半端な位置に留まることは許されないのだ。一端、踏み込んでしまった以上、とことん付き合うしかない。

 純粋さ

 理念

 正義

 こうした言葉が大切にされていた。それはいいことなのだ。だが若さゆえか議論の道筋はたちまち方向転換する。

 妄信

 憎悪

 復讐

 といったように。恐ろしいことだ。会では「言葉の水平線」という機関誌を作っていた。編集長を務める久我は名の知れた菓子メーカーの経理部員だったが詩人を気取って「言葉は水平線のように遠くに見える」と主張していた。ときに海と空の境界はあいまいだ。これほど大きいものなのに同人たちは「あわい」を認めなかった。いや、気がついていなかったのかもしれない。無関心だったのだ。白か黒か、いつもその葛藤ばかりに目を向けて、関係性という考え方をしなかった。頭が良いのに、いやそれだからこそか思想にとらわれて物事を硬直的に考え、砂漠の民のように二者択一のデジタル思考に終始した。久我はあえてアンチテーゼとしてこのタイトルをぶつけたのだ。

 水平線は実在しない。

 しかし常に彼方に見えている。消すことはできない。あらゆる境界線について同じことが言える。内でもなく外でもない。両方に属して出現する。実体ではない。モノではなくコトなのだ。居場所を変えれば連動して境界も動く。

 言葉もそうなのだ。

 あまりにもありふれていて意識していないが、物として手元にあるわけではない。だからといって無でもない。確かにそこにある。動いている。言葉は現実の境界だ。いつかそこにいることが忘れられてしまうが不死身であり不滅なのだ。仕掛けは問いにある。世界に向き合う発声は詩になる。

 あなたはどこから来て、どこへ行くのか。

 何者であり、何をしたくて、何をすべきで、どうするのか。

 詩人の問いかけを郁子は心にとどめた。

 答えは出なくてもいいのだ、と。

 

 勉強会で議論が白熱して遅くなり、帰りに丸の内線のホームに一緒に降りたときのことだ。電車が来たのに久我は乗ろうとしない。首を振って、先に帰って、と伝えた。それが彼を見た最後になった。電車に乗り込みドアが閉まる間も久我があたりを警戒している様子がうかがえた。バイバイ、と手を振ったが返事はなかった。

 刑事が来たのはそれから数日経ってからだった。あなた、宮坂浩二を知っていますね、と尋ねられる。背広を着た背の高い男で四十歳前後だろうか、やつれた様子だった。いかにも物わかりのよさそうな態度ではあったがねめつけるような視線に危険を感じた。

 宮坂という人は知りません、

 と答えると、ほう、と顎を撫でおもむろにポケットから写真を取り出した。勉強会のメンバーが千葉の民宿で合宿した折の集合写真である。

 ここにあなたがいますね、

 と骨ばった指先で郁子の顔を示す。はじけるような笑顔が恥ずかしかった。

 宮坂がどの男か知っているでしょう。

 いいえ。宮坂という人はいません。

 ではこれは誰ですか?

 刑事はイラついた様子であの人を指す。久我さんです、と答えると濁った瞳でじろりとにらまれる。心の奥底までのぞいてやろう、ということだろう。恐ろしいまなざしだった。しかし郁子は負けなかった。

 あなたまさかそんな嘘を信じていたのではないでしょうね。

 久我さんはいい人です。嘘をついたりしません。

 なるほど、

 と刑事は肩をすくめた。そして郁子と二人の写真を取り出した。心臓をつかまれたような衝撃を覚えた。なぜそれを刑事が持っているのかがわからないからだ。

 あなたの恋人なのでしょう。違いますか。

 いいえ、

 と郁子は声を高めた。久我さんは勉強会の先輩です、と。刑事は突然、哄笑した。

 いいでしょう、先輩ね。たいした先輩だ。それならそれでいい。だけどねえ、こっちはそんな悠長なことは言っていられない。いますぐこいつの居所を教えなさい。さもないとあなたも参考人として署に来てもらうことになります。

 意味が分かりません。警察に調べられるようなことなどしていないし。

 刑事によると宮坂は都内西部に複数の拠点を持つ過激派グルーブのメンバーで、爆弾製造とお召列車爆破計画に関わっていた疑いがもたれているとのことだった。早朝にグループのメンバーが潜伏している複数の拠点に一斉捜査が入り、爆弾製造のアジトも見つかって多数のメンバーが検挙されたが宮坂はいなかった。刑事が自宅を訪問したが留守であり、勤務先にもおらず、所在不明で逃亡の可能性が高いという。

 身体の震えが止まらなくなった。

 夜遅く、地下鉄で帰りました、

 と告げるのが精いっぱいだった。あの後、あの人はどこに向かったのだろうか。刑事が言うように爆弾を製造しているアジトに行ったのだろうか。

 とにかく彼の行方は杳としてわからなかった。

 勉強会に行くと幹部の一人である田中という背の高い男に手招きされた。給湯室の狭い空間で声を潜め、ここにも裏切り者がいる、と告げた。だから用心しているらしい。久我さんはいったん北へ逃げた。態勢を立て直して戻ってくるから心配しなくていい。六月七日の予定だ。

 六月七日。日暮れの頃。

 そう、その日時に荒木町の喫茶「カリヨン」で落ちあうことになっている。君にも伝えて欲しい、と久我さんは言っていた。そこで今後の方針が示される。ただし勉強会のことは忘れろ。今晩限りで解散する。ここであったことは口外無用、いいね。

 一方的にそう押し切られ、はい、と答えるしかなかった。

 勉強会はいつものように進行し、変わった様子はなかった。解散とも告げられなかった。翌週、念のため、通りすがりのふりをして印刷会社に近づいたが真っ暗で誰もいない。

 電話帳で「カリヨン」を探し、住所を確かめて指定の日時に出向いてみると「キーコーヒー」の看板が置いてある。ファサードにレンガタイルを巡らせたこじんまりした喫茶店で、ドアを開くと取り付けられていた鐘がカラン、と鳴った。時の流れから取り残されたたたずまいがいかにも勉強会のメンバーの気に入りそうだった。カウンターで新聞を読んでいた店主らしき年配の男が無言のまま一瞥をよこす。

 あまり歓迎されていないのは確かだった。

 暗い店内に客の姿はないのでみんなはまだなのだろう、と隅に腰を下した。店主がメニューを手にやってきたのでコーヒーを注文した。ちょうどそのとき、店の奥にある大きな時計が鳴り出した。カリヨン、とは鐘のことであり、店名の由来なのだろう。七時である。

 十分たち、二十分が過ぎた。

 日が暮れて外は真っ暗になった。おかしいな、と思ったが店名も日時も間違いないはずである。念のため、田中さんと約束で、と店主に尋ねたが、知りませんな、との答えだった。では久我さんまたは宮坂さんは知りませんか、と続けたが相手はかぶりを振った。

 そのまま帰るわけにもいかず二時間近く待っていた。

 途中、商談風の営業マンらしき背広組みが一組、商店主らしき常連客が一人、水商売風の二人連れなどが出入りしていた。

 九時を過ぎると、そろそろ看板です、と店主が告げた。困っているのを見かねたのか、 

 日付を間違えたのではありませんか、

 と言う。思ったよりも優しい口調だった。どういう集まりかわかりませんが、また、明日、みえては、と。

 郁子は翌日も、翌々日も出向いたが田中たちは現れない。

 次第に腹が立ってきた。バカにしている、と。体よくお払い箱にされたのかもしれない。久我の行方はわからなかったし手がかりもなかった。「北」というのがどこなのか、まさか北朝鮮ではないと思ったがわからない。同僚の柴田は忘れた方がいい、と囁いた。彼によれば時代は移り変わりもう「勉強会」ははやらないのさ、とのことだった。それでも彼は持っていた「言葉の水平線」のバックナンバーを譲ってくれた。

 潮目が変わったのです。そう、水平線のように遠い眺めは変わらない。だけど岸辺の砂は思ったよりも早く流されてしまう。気をつけないとね、

 そんなふうに付け加えながら。

 きっと郁子は頑固者なのだ。「カリヨン」に毎週のように出向いて店主の白井とはすっかり仲良しになった。後に結婚してしばらくブランクがあったが、それでも年に一度、六月七日には必ず訪れた。歳月が経過して店を廃業する、と聞いたとき自分に継がせてください、と申し出ると白井は権利を譲ってくれた。

 不思議な縁だった。

 上司の紹介で見合いし結婚したものの子供はできず、やがて離婚。おばちゃんは専業主婦であった頃のことを話すことはほとんどないが、多摩の団地暮らしが辛かったというのは聞いた。最後は朝から酒を飲む状態だったという。いわゆるキッチンドランカーだ。

 やがて一人になり、忘れられない場所へと戻ったわけだ。

 最初は喫茶店を続けたがチェーン店が当たり前の時代になり経営が厳しいので知人のアドバイスもあり貯金を元手に居酒屋に転業した。小さな店だが生計を立てるのには十分である。

 夕方になると提灯を表に出して待つ。

 それが日課だ。

 繰り返すことによって儀式となる。ある種の弔いかもしれない。久我のためではない。過ぎ去ってしまった自分に対するささやかな慰めなのだ。誰とも共有できなかった寂しい思い出の。そうせざるを得ない。それしかできない。

「久我さんの行方はわからないのですか」

「探そうと努力はしたよ。勤め先も行ったし、知り合いに頼んであちこち調べてもらった。宮坂浩二も本名じゃないかもしれないって。日本人ではないって言う人もいたね。なにせ警察に追われているお尋ね者だから、危ないしあきらめろ、って」

「でも今でも会いたいのでしょう? 」

「ちょっと違うね。会わなくてもいい。でも、挨拶はしたいの」

「挨拶? 」

「さようならも言ってないからね」

 そう言って瞼を細めるおばちゃんの横顔はとてもきれいだと思った。観音様のように邪念の無いすらっとした瞳をしていた。

「白井さんはどうされたのですか? 」

「とうに天寿を全うしたよ」

「もしかすると白井さんはなにか知っていたのではないのでしょうか。宮坂さんたちに頼まれておばちゃんを巻き込まないようにした、とか」

 根拠のない邪推である。余計なことを言ってしまったか、と心配したがおばちゃんは平然としていた。

「確かに白井さんがいなかったらあたしはおかしくなっていたかもしれないね。あの人には感謝している。でもあの人がここにいたのは偶然さ。あたしが来たのも偶然。それ以上のことはわからない。もう昔のことだから知ってどうにかなるものでもないし」

 そうですね、と同意した。

 取り返しのつかない時間が過ぎているのだ。ほんの小さなすれ違いが永遠の別れになることだってある。今更、修正は効かないといことだ。

「猫はいましたか? 」

「はあ? 」

「マルみたいな猫が当時も坂道にいたのかなって」

 おばちゃんは残り物を平らげて満足げに喉を鳴らしているマルの顔を見た。どうだったかな、覚えていない。この子に聞いてみな、と。

 そう、マルだけは変らない。

 大事なことは後になって少しずつわかってくる。未来は読めないし、過去だって実はよくわかっていない。意味は人間が勝手に見出すものだから都合によっても変化する。写真だってそうだ。思い出はときには証拠ともなり、身分証やモンタージュとなり遺影にもなる。

 マルはマルだ。

 それ以上でも、以下でもない。路地にこびりついたクエスチョンマークみたいにじっとそこから僕たちを見返している。


 おばちゃんの話を聞いて、写真が嫌いである理由が少しわかった気もした。

 カメラとはラテン語で「部屋」という意味であり、写真機の原型であるカメラ・オブスクラという光学装置から由来している。暗い部屋にこもってレンズのついた小さな穴から外をのぞく。これがカメラの仕組みだ。

 カメラは機械であるが決して冷徹ではない。

 必ずそこにはまなざしとスクリーンの設定という恣意性がある。どちらに向け何を見るのか。そしてかつてなら印画紙、今はさしずめ半導体チップだが光を定着させる媒体を用意しなければならない。写し取るわけだから当然、そこには完全な透明性はない。写真は現実と同一ではないし再現でもない。絵画がそうであるように類似物に過ぎない。どんなに解像度を上げても代替にはならない。

 むしろそのことが写真の魅力だ。

 ちょうどミニチュアのように、現実を停止させ、縮約することによってあたかもすべてが見えているかのように感じさせる。魔法であり幻術でもある。見えている以上のものを見せることもできる。必ずしも錯視ではない。現実が隠しているものを表し、表しているものを隠す。レンズによる操作も可能だし、現像やレタッチで自在である。しかし大切なのはそうした人為的な加工がなされなくてもそもそも生の現実、本当の被写体など存在しないということなのだ。あるのはカメラと対象の関係性だけであり、そこに介在する偶然性は排除することはできない。

 ところが往々にして、写真は証拠として用いられる。

 確固とした世界がそこにあったかのように思いこまれてしまう。ちょうどおばちゃんが、郁子が示されたスナップのように。永遠に失われ、取り返しがつかない瞬間が修正不能な永遠として記録される。

 アリバイは物語でもある。

 思い出と写真とどちらが正しいのか。刑事のように考えてはいけない。正確にはどちらも正しくはないからだ。

 店の帳場の引き出しに問題のスナップが入っていたのを僕は知っている。

 あれは、なんの折だったか、店の前で人が倒れて、救急車が呼ばれたことがあった。酔っぱらいらしいが頭から血が出ているとかで店内も大騒ぎになって、おばちゃんに

 あんた、ちょっと店を見ていて、

 と言われて帳場に立ったのだ。鍋は火にかけたままだしレジも開けっぱなしで物騒だな、と思ったが、歪んで閉じない引き出しにモノクロ写真があるのが目に飛び込んで来た。職業柄とでも言い訳するしかないが、手に取ってみると以前、聞いたことのある久我さんとおばちゃんの写真らしい。砂浜で海の家らしき芦葺きの小屋の前に立っている。夏の太陽を一杯に浴びて、二人とも若さに輝いていた。まぶしそうに目を細めているおばちゃんは別人のようにきれいに見えたがきりりとした目元に面影がある。肩を抱くようにして寄り添っているのは繊細な感じの優男だ。これなら惚れても仕方ないな、と思った。

 写真が嫌いでも捨てられないのだな、とわかった。

 騒動が収まってあたりが鎮まると、写真を見てしまいました、と告白した。おばちゃんはふん、と笑った。

「あの人が現れたときに確認しようと思ってね。証拠写真だよ。刑事が持っていたのと同じのさ。問いただしてやるの。あなた、久我さん、それとも宮坂さん、本当は別の名前? って」

 でも実は名前などどうでもいいのだ。

 水平線のようにあると見えてもつかむことはできない。あの人はそういう人だ。本当に水平線の向こうから来たのかもしれない。言葉も異なる場所から。だとしたら異国の名前などに用はない。ただの音の連なりだから。

 質問は変る。あなたはいったい誰だったの?


 物置の暗室で現像していると美津子が入ってきた。

 がらっ、と引き戸を開いたので光が差し込み、ちょうどプリントを焼き付けた後だったのでアッ、と叫んだ。美津子は慌てて扉を閉めたが、瞬間的な露光は印画紙に影響を及ぼした。そのとき焼いていたのはとある工場で撮影した創業者の銅像で背景が白く飛んだ。掲げてみると意外と悪くない。技巧として意図的に行う場合もありソラリーゼーションと呼ばれる。

「ごめんね、まずかった? 」

 美津子は声を潜めている。自分は間が悪い人間だ、と彼女がいつも言っているのを思い出した。ピンセットでつまんだ六つ切りを掲げてみせる。室内には赤色のランプが一つついているだけだが陰影ははっきり浮かんでいる。

「写真なんて誰が撮っても同じだって思っているだろう。だけどこんなふうにね、一枚ずつ、やってくるものなのさ」

「どこから? 」

 ここだよ、と次の印画紙を現像液の中で揺らしてみる。白い印画紙の表面にうっすらと灰色の影が浮かぶ。次第にそれは微笑んでいる女性の姿になる。工場の広報担当者だ。

「面白い。こうやって少しずつできるの」

「銀塩写真はアナログだからね、加減ができる。アナログ、って類似って意味だよ。知っていた? 」

「ルイジ」

「似ているってこと。デジタル、アナログって言うだろう。デジタルのデジは指、って意味。一かゼロかで数える。写真なら白か黒か。桁を増やせば精度が上がる。画面上を区切って白黒を表示する。数値化、ってことだね。テレビでもCDでも同じ。細部を拡大したらばらばらの数字の集合体に過ぎない。だけど錯覚で画像や音楽に感じられる。アナログは複製品だ。銀塩写真の場合は化学反応で画像を作る。似ている度合いを加減できるというわけ」

 女性の輪郭がくっきりと出ると頭上に張ってある針金にピンチで止める。美津子はそれにしても、と眉をしかめている。空気悪いね、なんとかならないの、と。狭い暗室は現像液の臭いがたち込めるし、夏は暑く冬は寒い。

「確かにね。今やこんなことしているのは酔狂なマニアだけだよ 。デジタル技術の発展はすごいからね。解像度は日々、向上するし効率ではとてもかなわない」

「UFOは写せる? 」

「なんで? お父さんの趣味だったかな」

「どっちかって言うとあたしの興味。昔からテレビでやっていたじゃない。アダムスキー型とか葉巻型とか。父さんも一時期、いろいろ調べていたけどああいうの、みんな嘘? 写真やっている人ならわかるでしょう」

「合成するのはそんなに難しくないけど」

「やっぱりそうか。でもね、なんだかいるような気がするの。さっきみたいにふわっ、て暗がりから出てきそうで」

「写真はインチキかもしれないけど宇宙人はいると思うよ」

「ここにいるよ、あたし、宇宙人」

 そう言って美津子は楽しそうに笑うのだった。

「いや、もっと遠くだよ。宇宙は百三十八億光年の歴史と広がりがある。今はいなくてもかつていたかもしれないし、これから生まれるかもしれない。一番近い恒星はアルファ・ケンタウリだけど四光年、光の速度でも四年かかる。今のロケットなら三万年と言われている。なかなか会えない。望遠鏡でできるのはせいぜい痕跡を探すことかな」

「見つかるの? 」

「今のところ成果はない。もし見つかったとしても例えば百光年の距離にある星だったら見えているのは百年前の光だから今、どうなっているのかはわからない。無線で連絡しようとしても電波の速度は光と同じだから片道百年、往復二百年かかる。アルファ・ケンタウリにいる恋人に、愛している、結婚しよう、と送信しても相手が受け取るのが四年後、返事が来るのは八年後だからね。答えがイエスだったとしてもお互いに心変わりしていないって保証はない」

 アハハ、と美津子は笑った。そして、あなた、物知りだね、と感心したように頷いた。「父さんはね、宇宙人はずいぶん前から地球に来ていて意外と身近なところにいるはずだ、って言っていた。UFOの名所にもよく出かけていたの」

「名所があるのか」

「岐阜のひるがの高原とか、熊本の阿蘇のあたりとか、あと北海道ね。富良野の近くはあたしも行ったことがある。今度、一緒に行ってみよう」

 と言い出すのだった。そして二階の父親の部屋から資料を持ち出してきてリビングに並べた。雑誌や写真が丁寧にファイリングされており、年号やタイトルが付けられよく整理されている。作成した人間の性格がうかがえた。

「お父さんは器用で緻密なタイプだったみたいだね」

「そうよ。あたしとは大違い。でも会社では出世できなかった。曲がったことができないとか言っていたけど。そんなものかな? 」

「どうだろうね。僕は出世しようなんて考えたことがないからわからない。でもとにかくすごいよ、これは大した資料だ」

「病院で言っていたでしょう、これ、全部あなたものだから。記者だって聞いたから嬉しかったのよ。あの人の執念そのものだもん。意味のある活かし方をして欲しかったの」

「そんなこと言われてもね。参るな」

 資料の中核は写真と目撃談だが今となっては根拠のない物語に過ぎない。面白くないわけではないがある意味、ゴミだ。かと言ってそのまま捨てるわけにもいかないし、困ったものだと思った。

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