№22 仲間

 宿には二週間ほど逗留した。その間中、ジョンはずっと浅い眠りと覚醒の間をさまよっていた。目が覚めれば神の声が怒鳴り散らし、疲れれば眠る。その繰り返しだ。


 徐々に神の声が収まってきたのを見計らって、ジョンはようやく外に出た。この二週間ヒキコモリだったジョンには、外の太陽の光はまぶしくて仕方なかった。


 街を出て、街道に進む。こうして目立っていれば、『最強』は向こうからやって来るだろう。望む望まざるに関わらず。


 今度はどんな敵が現れるか、ジョンは心底うんざりした。


 もう追ってこないでくれ。頼むからひとりにしてくれ。


 しかしジョンのウワサは各地にとどろいている。ひとつ手合わせを、と願う『最強』はごまんといた。ジョンを討ち取り、武勇を上げようと襲い掛かってくる。


 逆に、普通の人間はジョンをおそれ、遠ざかっていく。近頃では、顔を見ただけでどこの酒場も出入り禁止になってしまった。ものを売ってもらうのも難しく、宿に入るにもいやな顔をされる。


 嫌われ者のジョン・ドゥー。かわいそうなジョン・ドゥー。


 まるで土砂降りの雨に濡れた無力な子犬のような気分になった。


 誰も助けてくれないし、誰も寄り添ってくれない。


 ジョンは孤独だった。


 もはや戦い以外のコミュニケーション手段を持ち合わせていなかった。


 せっかく守り抜いてきた人間としての尊厳も、こうなってしまっては無意味だ。


 誰か、あいさつだけでもいい。こんにちは、と言ってほしかった。


「こんにちは、ジョン・ドゥー」


 最初はまた神の声かと思った。が、すたすたと歩くジョンを呼び止める声が続けざまに聞こえた。


「ああ、待って待って! 置いていかないで!」


 どうやら神の声ではないようだ。ようやく立ち止まったジョンが振り返ると、そこには優男がひとり、立っていた。どこにでもいるような、特徴らしき特徴のない青年だ。


 しかし、この青年は自分をジョン・ドゥーだと知っていながら『こんにちは』と言ったのだ。ただものではない。


 身構えるジョンの誤解を解こうと、青年は慌てて首を横に振った。


「いや、落ち着いて。たしかに俺は、君が『最強狩り』だと知ってる。知ってるけど、別に君を倒そうとして来たんじゃない」


「……じゃあ、どういうつもりだ?」


 注意深く尋ねるジョンに、青年は快活に笑って答えた。


「ぜひとも、君と組んで冒険がしたくてね。俺の仲間になってくれ、ジョン・ドゥー」


 ジョンは耳を疑った。


 仲間になってくれ、だと?


 散々忌避されてきた自分が、仲間?


 理解が追いつかず、ジョンはしばし静かに混乱した。


「君はものすごく強いんだろう。強すぎてみんながこわがるほどに。そんな『最強狩り』との旅、めちゃくちゃに楽しそうじゃないか! 俺は君と世界を見て回りたい。君こそ、俺の背中を預けるのにふさわしい。いっしょに旅に出よう、ジョン」


 青年の言葉に、次第にジョンの頭がほぐれていく。


 共に旅に出ようと、青年は提案しているのである。脅すでもなく、見下すでもなく、ただジョンを認め、興味を持ち、いっしょに歩もうとしているのである。


 こんな嫌われ者のジョンとともに。


「……伊達か酔狂か知らないが、お前、俺と組むって意味をわかってるのか?」


 穴倉に隠れる小動物のように警戒心を丸出しにしながら、ジョンは問いかける。


「ああ、承知の上だ。俺はたぶん、君と同じくらいには強いと思うし、『最強狩り』を狙ってやってくる追手もいっしょに倒そう。足手まといにはならない。伊達でも酔狂でもないよ。ジョン、俺は君といっしょに旅がしたいんだ。あちこち探し回ってやっと見つけたからな、今更逃げ出さないでくれよ?」


 茶目っ気を含めてそんな言葉を口にする青年は、どう見ても普通の青年だ。


 しかし、ジョンは知っている。


 真の強者は、おのれの強さをひけらかさないものである。普段は気配を消し、普通にふるまっているものだ。


 だとしたら、この青年はやはりただものではない。


 仲間。


 孤独の底に追いやられていたジョンが、こころから欲していたものだ。


 ひとりではなくなるのだ。背中を預ける仲間ができるのだ。


 孤独の闇に打ちひしがれていたジョンのこころに、一筋の光が差した。


 ただただ、ジョンを忌み嫌わないでいてくれることだけがうれしかった。


 これからは、共に旅路を歩むものがいる。もう誰にも打ち明けられない闇を抱えて苦しむ必要はないのだ。


 勝利の快楽とは違う、内側からじんわりとにじみ出るあたたかさのようなよろこびに、ジョンは泣き笑いに似た笑みを浮かべて青年の手を取った。


「……ああ、逃げない。なんたって仲間だからな。望むところだ、いっしょに連れて行ってくれ」


「よかった! よし、今日から俺たちは仲間だ! いっしょにいろんなところを旅しよう!」


 青年の手ががっちりとジョンの手を握り返す。


 ……おかしい。


 ジョンが最初に感じたのは、立ちくらみだった。頭から、すうっ、と血の気が失せていくような平衡感覚の喪失。


 よく見れば握手を交わしている手が小刻みに震えており、背中には大量の冷や汗をかいていた。ばくばくと心臓が壊れそうなリズムで脈を打ち、呼吸が荒くなる。ジョンほどの肉体の持ち主がこうなるのは、どう考えてもおかしい。


 しかし、ジョンの体調の変化のすべては実際に起こっているのだ。


 パニック発作、というものだった


 極度の不安に駆られたときに、人間のからだに出る拒絶反応。それをストレスだとこころでは感じていなくとも、脳は抑圧だと判断し、肉体に指令を送る。その結果、ジョンのような拒否反応が出てしまうのだ。


 必死に落ち着け、と念じても、脳の出す指令には逆らえない。この青年が不審に思う前に、なんとか落ち着いてくれ。


 ジョン・ドゥー! あなたはまだそんなくだらないことを考えているのですか!?


 神経を逆なでするような神の声が頭に響き渡る。


 あなたに仲間など必要ありません! あなたはただひとり、孤高の最強であるべきなのです! 弱い仲間など、あなたの道行きの枷にしかなりません! あなたはたったひとりなのです! ひとりで完成し、完了し、完結した生き物なのですよ!


 でも、せっかく仲間になろうとしてくれているんだ! 嫌われ者の俺をわざわざ探して、あたたかい言葉をかけてくれた! 対等だと認めてくれたんだ!


 対等!? あなたと対等など、おこがましい! あなたはこの世界で唯一にして無二! 比肩しうるものなどいてはいけません! 最強の友は孤独のみ! 孤高こそが最強にふさわしい!


 違う、違う違う違う!! 弱くてもなんでもいい、俺はただ、いっしょに同じものを見て笑いあえる仲間が欲しいだけなんだ! だれからもおそれられる俺に声をかけてくれた、この男こそ仲間にふさわしいんだ!!


 ジョンの必死の弁明に、神の声は呆れたようなため息をついた。


 きっと、この男もなにかしらの『最強』であるはずです。早く倒しなさい。


 けど、俺は!!


 神に逆らうつもりですか!?!?


 雷の直撃を受けたようにびくんと震えたジョンを、青年は心配そうに見つめた。


「どうした? 調子でも悪いのか?」


 冷や汗をだらだら流しながら、ジョンはかすれた声で問いかける。


「……お前は、『最強』のなんなんだ?」


 頼む、答えないでくれ。


 ジョンの願いもむなしく、青年はさわやかに笑って答えてしまった。


「ああ、言い忘れてた。俺は『最強の召喚士』。異次元の魔物を呼び出すことにかけて、俺より優れたものはいないよ。だから、きっと君にも釣り合うと思う」


 震えるジョンの手を、『最強の召喚士』はより強く握ろうとした。


 が、ジョンはその手を振り払ってしまう。


「……?」


 『最強の召喚士』が異変を察知した時にはもう遅かった。


 ジョンの琥珀の瞳は虚無を映している。光の消え失せた目で間合いを取り、ジョンは極めて機械的に『最強の召喚士』に告げた。


「……お前の『最強』、狩らせてもらう」


「ジョン……!」


 『最強の召喚士』が呼びかけるが、その声はジョンには届いていない。


 今ジョンの頭の中にあるのは神の声だけだ。


 その声が、戦え、倒せ、と言っている。


 ならば、それに従うしかない。


 かなしげな顔をする『最強の召喚士』を前にして、ジョンはゆっくりと構えを取った。

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