第7話 別れ

朝、学校に行くときにお母さんから注意された。

「最近はおかしな人が多いから気をつけなさいよ」

「おかしな人って?通り魔?」

「そうそう。薬物中毒じゃないかってテレビでも言われてたわ」

「薬物中毒?」

お母さんがテレビのチャンネルを回してニュース画面を出すと、ちょうどキャスターがこの地域の事件について話していた。

「目撃者の話では素手で突然襲いかかったと。噛み付いたり辺は血だらけだったそうです」キャスターと解説者のやり取りが続く。薬物反応はなかったと言われてもコメンテーター達は一様に新しい危険薬物ではないかと憶測を好き放題喋っていた。

「昨日の時点で同じような事件の容疑者は十八人で、いずれも所謂「突然死」のように亡くなったとの事です。なにかのウイルスではないのかという意見もありますが現時点では不明です。次のニュースに移ります……」

「やあねえ……おっかない事件」お母さんは顔をしかめた。

私は昨日お婆さんから聞いた病院での大惨事を思い出した。


 外に出るととてもいい天気だった。こんなときに通り魔が現れたらどうしよう?そう考えると気持ちのいい朝も台無しになる。

嫌な気持ちを振り払うように頭を振ると学校へ向かって歩いた。

 学校に着くと教室は異様な雰囲気でざわついていた。

「未来、おはよう!」 私を見つけた真理が手を振る。 横には里依紗がいた。

「何かあったの?」 教室の雰囲気を見ながら二人に聞く。

「あの婆さんが死んだらしいよ」

里依紗に教えてもらって驚いて、口に手を当てる。 昨日会ったのに。

「でも」 私が言いかけると里依紗が厳しい目でなにか訴えてきた。

「犬に噛み殺されたって」 私が黙ると真理が横から死因を教えてくれた。

「犬!?」私の頭に、昨日襲ってきた黒い犬が浮かんだ。

「みんな騒いでるから、ほんとかよ?って思って検索したらマジだったよ」

里依紗がスマホを私に見せる。 ウェブのニュースにお婆さんの件が載っていた。

教室を改めて見回すと、修哉も友達何人かと話している。

一人、恭平だけが我感せずと言った感じで本を読んでいた。

「未来!」 修哉と目が合うと呼ばれた。

「あれ?腕どうした?」

「これ?昨日転んじゃったの」

「大丈夫かよ?」 腕に巻かれた包帯を見て心配そうに修哉が言う。

「うん!擦りむいただけだから」

包帯を見るとお婆さんを思い出す。

「未来!ちょっと!」 里依紗に呼ばれた。

修哉に一言断ると、里依紗のところへ行くと小声で言ってきた。

「昨日の婆さんと会ったことや家に入ったことは誰にも言うなよ」

「なんで?」

里依紗のさっきからの雰囲気で、なんとなく昨日のことを詳しく話してはいけないと察してはいた。

「めんどくさいことになりそうだろ?人が一人死んでるんだし」

「うん」

「誰かに聞かれたら言えばいいんだよ。少なくとも自分からは言わない方がいい」

「わかった」

 里依紗の言うことは理解できた。 私だって面倒に巻き込まれたくない。

お婆さんの死に私達は何の関係もない。

だけど、死ぬ前に会っていたというのは嫌な感じだ。 聞く人によっては、いろんなことを考えるだろうし。

自分のスマホで、お婆さんのニュースを検索してみる。

私が気になったのは、その異常な死因だ。犬に噛み殺されるなんて……しかもあの家に犬なんていなかった。

あくまで私が見た範囲だがペットを飼っているような様子はなかった。

 記事によると、深夜に庭に面したガラスを破って野犬が襲い掛かり、噛み殺したとある。その直後に犬は死亡したらしい。

お婆さんが抵抗した結果とかそういうものではないみたいだ。

「なんなのこの事件……」

「おかしいよね?犬がいきなり家を襲うなんて」スマホを見ていた私に真理が言う。

「うん……」もしかして私達が追い払った仕返しに?でもそれならお婆さんじゃなくて私達を襲うはずだし、犬が仕返しとかするんだろうか?あの黒い犬だとしたらだけど……

 やがてチャイムが鳴り、武藤先生が教室に入ってきた。 挨拶をして出欠を取り終わると、咳払いをして先生は話始めた。

「もう知っている人もいると思いますが、田島さんが亡くなりました」 先生はお婆さんの名前を口にした。

「知ってのとおり、田島さんは生前少なからず学校との関わりがありました」 先生は言葉を選びながら話す。

関わりといえば私と里依紗はクラスの中では間違いなく一番関わっているだろうと思った。

「田嶋さんは生前に学校に来られて我々教員ともお話をされています。その姿を見た人もたくさんいるでしょう」 教室がざわつく。

「もしかしたら、そういったことを聞いてくる人がいるかもしれません。ですが、くれぐれも無責任なことは言わないように」

「先生、それってテレビとか新聞の取材ですか?」 男子の一人が聞いた。

「取材だけじゃないぞ。ネットにもいい加減なことは書かないように」

「え~それって表現の自由の侵害じゃん」 今度は女子の不満そうな声が後ろからした。

「いいか?先生が言いたいのは、偏ったイメージだけで故人を語るのはよくないということなんだ」 武藤先生は一旦、区切ってから、 「もちろん田嶋さんの人柄を知っていて、死を悼むのであれば構わない。ただ、そうでなければ謹むべきじゃないだろうか?」

 武藤先生が言いたいことは理解できた。

ただ、教室を見ると納得している顔もあれば、そうでない顔もある。

 学校では終日、その話題で持ちきりだった。中にはいつマスコミが来るのか、休み時間のたびに窓の外を見る生徒も多かった。しかし期待を裏切って、マスコミは学校に来なかった。


放課後になって、里依紗が大事な話があるというので私達は学校の近くにある公園に集まった。大事な話というと駆け落ちのことなんだろうけど、日にちが決まったのかな? 私と真理、修哉と恭平を前にして、里依紗が口を開いた。

「明日の夜に町を出ていくから」 「えっ!?」 みんな驚いて同時に声を発した。

「明日って、そんないきなりすぎるよ!」 真理が抗議するように言う。

「ごめん」 里依紗は真理をまっすぐ見て謝った。

「もっと事前に教えてくれるかと思ってた」 私が言うと里依紗は、 「悪い。彼氏の仕事の都合でさ。急に決まったんだよ」 と、答えた。

「私も同じ仕事場で働けるようになったし、月曜からって言われたら断れないじゃん?」

「仕事が決まったの?」 里依紗に恭平が聞く。

「ああ。ちょうど彼の仕事場で欠員が出てさ」

「私……今までは何も言わなかったけど……いなくなるのは嫌だよ」真理が弱々しそうな声で言う。

「真理……」その様子を見て里依紗は弱った顔をした。

里依紗は真理の手を取ると、「大丈夫だよ。隣町に引っ越すだけだから!いつでも会えるって!」

「でも……」

「連絡だっていつでもできるし」

「でも……」

「待ってろよな」

「うん……」

里依紗は子供に言い聞かせるように真理を説き伏せた。

「落ち着いたら連絡をしてよ」「わかってるよ」恭平に答える里依紗。

「元気でな」「ああ。未来のこと頼むよ」里依紗はそう言うと、修哉と握手した。

そして私を見た。

「里依紗……」「……じゃあ、な」笑みを見せる里依紗に私は笑顔で頷いた。

「なあ?明日は土曜で昼には学校終わるからみんなでカラオケでも行くか!?」

「そうだね。最後にみんなでパッと弾けようか」修哉の提案に恭平が賛成する。

「それくらいは時間あるだろう?」

「もちろん。なんなら学校行かずに朝からでも」修哉の問いに里依紗は笑って答えた。

「じゃあ決まり!行こう!真理!」「うん!」私が肩をポンと叩くと真理はようやく笑顔を見せた。

 里依紗が言っていたように、これからもみんなで遊ぶことはいくらでもできる。ただほんの少しの間、寂しくなるだけだ。


土曜日。学校が終わった後にみんなで集まって、里依紗の壮行会を兼ねたカラオケに行った。

 あっという間に時間は過ぎてしまい、私たちは彼氏の家に行く里依紗を駅まで見送った。

名残は尽きることがないけれど、二度と会えないわけではない。


 家に帰ってから落ち着いても明日から里依紗がいない日常が始まるという実感がない。

月曜日に学校に行けば、いつものように通学路の途中で里依紗に会うような気すらしてしまう。

「嘘みたい……どうしてさ……」

 私はまだ里依紗がいなくなった現実を受け入れることができなかった。

真理はどうなんだろう?

見送りのときは笑っていたが、今一人になりどうしているだろうか?

私以上に里依紗を慕っていた真理だ。

スマホを手に取ると真理に電話した。

電話に出た真理は泣いていた。

無理もない。

それから一時間ほど話して、明日二人で会う約束をして電話を切った。

しばらくして修哉から電話がきた。

こちらはいつもの日課である寝る前の電話だった。


 修哉との電話も自然と話題は里依紗のことになった。電話を終えて、そろそろ寝ようかと思ったのは二十三時を過ぎた頃だった。

さっきまで窓からは気持ちの良い夜風が入ってきていたが、今は止んでいる。

その代わりに遠くから犬が吠える声がやたらと聞こえてきた。

なんだろう……?

今までも夜に犬が鳴いてるのは聞こえてきたときがあったけど……

最近は頻繁に聞こえる気がする。

しかも今日は特に多くて、なんだか普通じゃないみたいな感じ。

不安を煽り立てるような声だ。

犬に噛み殺されたという田島さんのことを思い出してしまい、余計に不吉な思いに駆られる。

嫌な感じの夜だな。

カラン…カラン…

フワッと風が入ってきて、風鈴が鳴った。

犬の声も一層強まる。

私は窓を閉めようとした。

こんな聞こえてきたら気になって寝付けない。

窓を閉めるときに、何の気なしに外を見たときだった。

「あっ……」

思わず声が漏れた。家の前に誰かいる……。

 向かいの家の塀のところ、電柱の陰にうちの学校の制服を着ている女の子が立っているのが見えた。

外がいつもより暗く感じるのは街灯が消えているからだとわかった。

おかげで立っている子の顔が見えない。

長めの髪…… しかも制服……

なんでこんな時間に、あんなところにいるんだろう?

向かいの家には同年代で同じ学校に通っている子供はいなかった。

「なんで……?ああっ……」

私はこの前のことを思い出した。

血のように真っ赤な夕焼けの日、里依紗と恭平と別れて帰ってきたときに不気味な人が立っていたのを。

 あのとき私は普通の女の人を、どういうわけか間違えて必要以上に恐怖を感じた。

そう……

近付いてその人が振り向くまで、全然違うものに見えていた。

今下に見える子は見た感じがそれに似ている。

 私は魅入られたように、下に立っている女の子を見ていた。

女の子はじっと佇んだまま、ぴくりとも動かない。

息を殺して見ている私の鼓動は高鳴っていく。

いつの間にか全身に汗をかいていた。

それが蒸し暑さのせいなのか、別のなにかのせいなのかわからない。

「誰なの?あれは……!?」

うめくように言ってから私は唾を飲むと、意を決して部屋を出た。

この前感じた恐怖よりも、あれが誰かという興味が勝った。

 玄関のドアを開けて外に出ると、電柱の陰に立っている女の子を認めた。

うつむき加減にじっと立っている。

でも、こちらに背を向けていた。

おかしい。上から見ていたときはたしかにこちらを向いていたのに。

訝しく思いながらも、私は一歩踏み出した。

心臓がばくばくして、息苦しくなる。

それでも近付かずにはいられない。

 向こうは私が近付いていることに気がつかないのか、まったく動かない。

どんどん近付いていくにしたがい鼓動が大きくなるような気がした。

着ている服はやっぱりうちの学校の制服……この子……裸足だ。

やっぱりおかしい……

でも止まらない。まるで誰かに動かされてるみたいに。

近付くたびに胸が圧迫されるような感覚がして、息遣いすら荒くなる。

しかし、あと二三歩で触れられるくらい近付いても女の子は振り向かない。

「ね……ねえ」

私は絞り出すように声をかけた。

このときになって喉がからからに渇いていることに気がついた。

「なにしてるの……?」

私の声が聞こえないように、反応はゼロだった。

依然として黙って背を向けたまま。

「こちらに振り向かせよう」

私の頭にそんなことが浮かんだ。

薄気味悪いけど、このままではもっと気持ち悪い。

それにこの前だって普通の人だった……

今回だって……

そう思いながら肩を叩くべく、手を伸ばした。

瞬間、私の足下から頭までえも言われぬ恐怖がぞわぞわと這い上がってくるような感覚に襲われた。

ダメだ!振り向かせてはダメだ!自分の奥底から警告するかのような声が響く。

しかし反対に手は止まらない。

鼓動がどんどん早まり、手が伸びていく。

恐る恐る伸ばした手が、ついに女の子の方に触れそうになった。

私の手が肩に触れようとした瞬間――

「ダメ!未来!」

「えっ?真理?」

真理の声がして振り向いた瞬間、目の前が真っ暗になった。

「暗い…… あれ……?」

ここは私の部屋だ。

天井が見える。

「夢……?私寝てたんだ……」

枕元に置いたスマホを見ると夜中の二時近い。

全身汗でぐっしょりとしてる。

「いやだ……気持ち悪い……」

着替えようと体を起こしたときだった。

「きゃあああー!!」

部屋の隅、一際真っ暗なところにさっきの女の子が俯きながら立っていた。


 私が目覚めたのは翌朝だった。窓から差し込む朝日で目をうっすらと開ける。

「ひゃあっ!!」

悲鳴を上げて飛び起きた。

部屋の隅を見る。

夜中に見た女の子はいない。

朝日に照らされた部屋には私以外はいなかった。

「あれはなんだったの……?」

昨日のはいったいどこまでが夢だったのかわからない。

修哉と電話を切った後に窓の外を見たら女の子が立っていた。

犬がやたら吠えていて…… 私は女の子が気になって外に出て…… でもそれは夢だった。

どうして目が覚めたんだっけ?

思い出せない。

でも、とにかく目は覚めた。

そして部屋の隅を見たら外にいた女の子が立っていたんだ。

それから私は……

どうしたんだろう?

目が覚めたら朝だった。

なんだか頭が重い。


 私が見た不気味な夢とは対照的に、外は気持ちのいい朝だ。

蝉の声がそよ風と共に聞こえてくる。

「私ったら窓開けて寝てたのか……」

とりあえずシャワーを浴びて気持ちを切り替えよう。

いつまでもあんな夢を気にしていても仕方ない。


一階に降りるとお母さんが朝食の支度をしていた。

「おはよう」キッチンにいるお母さんに声をかける。

「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど」

「なに?」

「昨日は何時ごろ寝た?十一時くらいまで起きてた?」

「どうだったかしら…なんで?」

「そのくらいの時間にすごく犬が吠えてたから。そこら中のが」

「そうだった…?全然聞こえなかったけど」

お母さんたちの寝室も二階だ。あれだけの鳴き声が聞こえないはずがない。現実のことだとしたらの話だが。

「そっか。ありがとう」

「なによ?どうしたっていうの?」

「ううん。ちょっと変な夢見たからさ」

私が笑って言うと、お母さんは首をかしげた。

「シャワー浴びるね」

「はい」

お母さんは返事をすると、再び朝食の支度にとりかかった。

洗面台の前に立つと鏡を見た。そうか…… あれは完全な夢だったんだ。

スマホの履歴を見ると修哉には電話をしていることから、修哉と話したまでは現実だったのだ。

その後で私は寝たということになる。

納得してシャワーを浴びた。

熱いお湯が目を覚ましてくれると同時に頭も冴えてきた。


昨日の気持ち悪い夢がどうにも気になった。

最近なにかおかしい。

具体的になにがどうとは説明できないが、今まであんな夢は見たことがなかった。

田島さんに手当してもらった日に見た奇妙な実験の夢といい、なにか影響されているのだろうか?

 実験の夢については、田島さんの話を聞いて自分でも知らない間にああいう場面を想像してしまったのだろうと結論付けた。

記憶にない人達が出てきたのも、自分が覚えていないだけで、テレビやなにかで過去に見た顔なのだろう。

では昨日の夢は?と、考えると思い当たる節はある。

あの恐ろしさすら感じる真っ赤な夕焼けの日、家の前で女性を見間違いをした件だ。

あのときは何故かやたらと怖かった。

それが昨日のような形になって夢になったのかもしれない。

他に理由は考えつかなかった。


 準備を済ませると約束の時間に合うように家を出た。真理の家は一駅隣にあるので電車に乗ることになる。

気温はすでに三十度を超えていて、歩いているだけでも汗が流れてきた。

駅に向かって歩きながら真理に家を出たことをラインで送った後にハッとする。

最近は通り魔事件が多発している。

外出したら周りに注意をはらわないと。歩きスマホなんてしてる場合じゃない。

お母さんにも気をつけるよう言われたのを思い出した。


 駅に着くまでの間、幸いにも通り魔に出くわすことはなかった。

道行く人達ものどかというか普通で、いくらニュースで言われても、この町で通り魔事件が多発してるなんて実感がわかない。それほど平穏な日曜日の昼下がりだった。

電車に三分程揺られて隣駅に着くと真理は先に来ていた。

私たちは駅から五分程歩いたところにあるファミレスに入った。

昼時を過ぎたせいか若干空いている。

「はあ~涼しいね」

店内に入り座ると開口一番、自然と口から言葉が出た。

「でもだんだん冷えてくるんだよね」

「そうそう」

真理の言葉に返すと二人で笑ってからドリンクバーに飲み物を取りに行った。

飲み物を置いて落ち着くと、やはりどことなく真理が沈みがちなのを感じる。

「どうしたの?元気ないよ。里依紗のこと?」

「うん。それもある。でも里依紗のことは悲しむのは止めようって思ったの。里依紗だって向こうで頑張るんだから私もくよくよなんてしてたらいけないって。悲しむのは昨日でお終いにしたんだ」

「そうだね。一緒に応援しよう。それに私たちも里依紗に負けてられないって」

安心した。

真理は私が考えているよりずっと強かった。

彼女は昨日の時点で踏ん切りをつけていたのだ。

では、私がさっき感じた真理の沈んだような雰囲気はなんだったのだろう?

「なにか気になることとかあるの?さっきからちょっと沈んでるなって思って」

アイスティーを飲んでから聞くと、真理は無言でうなずいた。

「うん。実はね、昨日変な夢見ちゃって」

「夢…?」

夢といえば私も気持ちの悪い夢を見た。

「どんな夢を見たの?」

「うん……」

真理はなにか言い辛そうな表情を見せた。

「それがさあ……」

真理の見た夢は、私と修哉、恭平が知らない建物の中を歩いているというものだった。

「それがとても気持ちの悪い場所で……知らない場所なんだけど知ってるような」

「まあ、夢なんてそんなもんだよね。私も知らない人とか夢に出てくることあるし」

何気ないように言ってはみたが私は内心穏やかではなかった。

同じ夜におかしな夢を見た。これって偶然なのだろうか?

口にこそ出さないが自問した。

「遠くから悲鳴がたくさん聞こえてきて逃げようとするんだけど……その先にあるのが開けてはいけない扉なの」

一旦間を置いてから真理は続ける。

「でもそのことに直前まで開けてはいけない扉だって気が付かないで、未来がドアノブに手を掛けたところで私が止めたら目が覚めたの」

「私が扉を……」

「ごめんね!気分悪いよね、こんな話」

「ううん、そうじゃないの。そういう意味じゃなくって」

真理に止められたというのがなぜか気になった。

なぜだろう?

「それってなにから逃げていたの?」

「それもわからないの。ただとても恐ろしいものだったと思う。脚がすくんでしまうくらい怖い感じがして」

「それで落ち込んでいたの?」

「うん。なんだか酷く気になって」

「大丈夫だって。昨日の夜、私も変な夢を見たもの」

「えっ?未来も?」

「うん。起きたら知らない女の人が部屋にいるの」

「ええっ!それって超怖いじゃない!」

「でも夢だから」

わざと笑って言った。

「でもやたらリアルでさ…… そういう夢ってたまにあるじゃない?だから気にしてたらしょうがないって」

言いながら真理を見た。

「そうだよね。ありがとう」

真理の笑顔からはさっきまで感じた微妙な影は消えていた。

私は彼女に言ったことを、半ば自分に言い聞かせるように言っていた。

 その後、私たちはあと一月もしたら始まる夏休みに里依紗を呼んで遊びに行こうと話をした。

もちろん里依紗は私たちと違って働いているから夏休みなんてないだろうけど、そこは私たちが合わせればどうにでもなるだろう。

里依紗には真理から連絡するということで決まった。


その日の夜。お風呂から上がって修哉との電話を終えて、そろそろ寝ようかなと窓の方を見た。

カラン……

夜風に吹かれて風鈴が鳴る。

するとどこからか犬の遠吠えが聞こえてきた。

触発されたように他の犬も吠え出す。

「これ…… 夢のまんまだ……」

冷たい汗と一緒に声が漏れた。

窓から流れ込む犬の咆哮がじわじわと恐怖を染み込ませてくる。

時間は?と、思い時計を見ると二十三時。

昨日の夢を再現するかのような状況に心拍数が上がる。

窓を閉めようと近付いてからハッとした。

そのときに佇む女の子を見たことを思い出したのだ。

「どうしよう……」一瞬 迷ったが窓を閉めるために手を伸ばした。

顔は外を見ないように背け、目を強く閉じてから手探りで窓に手をかけるとそのまま閉めた。

 恐る恐る目を開けて部屋を見る。

蛍光灯の明かりに照らされた室内に私以外は誰もいない。

安堵の息が漏れた。

今日はこのまま電気を消さないで寝よう。

そのままベッドに横になると、眠くなるまでネットで動画を観た。


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