第3話 佇む人

朝はざわついたスタートだったけど、いつもと同じように学校は終わった。部活の修哉を除いて、 私と里依紗、真理、恭平は帰りに学校の近くにあるファミレスで他愛もない話に花を咲かせていた。

「うちら帰宅部はお気楽だけど、部活やってる奴は大変だよな」 ストローでグラスの中を回しながら里依紗が言う。

「試合前とか帰るのが、私がご飯終わってる時間だもん」 私が言うと真理が「未来、マネージャーになったら?」 と、私をつついて言った。

「いや~そこまではなぁ~」 苦笑いする私。

たしかに一緒にいる時間は増えるけど、それは私の中で少し違う。

「だったら放課後はみんなと会っていたいよ。修哉とは他の時間にも会えるし」

「時間は合理的に使わないとね」 恭平が笑みを浮かべながら私に賛同した。

「そういえば、恭平はまた学年トップだったじゃん!凄いな!」 里依紗がポテトを口に運びながら言う。

「ありがとう」 「また私に勉強教えてくれよ」 「それはいいけど、キレないでくれよ」 「それはわからない。頑張るけど」 二人のやりとりを見て、私と真理は笑った。

里依紗は以前、恭平に勉強を教わったが一時間もしないうちに問題にキレてしまった。 「僕は教えるのは向いてないみたいだ」 恭平はそのことを思い出してか笑って言う。

「恭平君はやっぱり大叔父さんを目指してるの?」 真理が尋ねると恭平は頷いた。

恭平の大叔父さんは研究者だった。 過去系なのは、今は亡くなっているから。

「もっとも僕が生まれる前に亡くなってるから会ったこともないけどね」

「でも同じ道を目指してるのだから、なにか影響を受けたんだよね?」 真理が恭平に尋ねる。

「書斎はそのままだったから。いろんな本やノートを見たよ」

「ふうん...なんかいいね。そういうの」

私は身内に影響を与えてくれる存在がいる恭平が少し羨ましかった。

「私の周りなんて凡人しかいないから。私も含めてね」

私が言うと里依紗も、 「私なんか身内はムカつく奴しかいないよ」 と、笑いながら言った。

それからも話して解散したのは6時を過ぎた頃だった。 私と里依紗、恭平は家が近所なので同じ方向に帰る。 真理は一駅となりなので皆で改札まで送った。

手を振って改札に入った真理を見送ってから駅の空を見上げると血を流したような真っ赤な色に染まっていた。

「なんか気持ち悪い……血の色みたいに真っ赤」いつもの夕焼けと違う空が心を不安にさせる。

「気持ち悪いのはわかるけど、まあ気にすんなって」里依紗が笑いながら私に言う。

「なあ、ちょっと聞いていい?」「なんだよ?」恭平が里依紗に遠慮がちな感じで話した。「家を出て……生活とかってどうするの?」「なんとかなるんじゃん?」里依紗はあっけらかんと答えた。

「なんかならないよ。そんな簡単にいくわけないじゃないか」恭平が語気を強めた。

「なんだよ?どうしたんだよ?いつも穏やかな恭平らしくないじゃん」里依紗が驚く。

「恭平は心配してるのよ」私が言うと里依紗は苦笑いした。

「サンキュー、恭平」

「僕は幼馴染の君に苦労して欲しくないんだ。僕たちは高校二年生だろう?卒業まで我慢したほうが絶対に将来プラスになると思うんだよ」

「わかってるよそれくらい。でももう限界なんだよ」

「限界って?」私が聞くと里依紗は家の事情を話しだした。

「どうもお母さんは今の男と再婚するみたいでさ。そいつが胡散臭い奴なんだよな~。仕事も何してるかわかんねーくらいぶらぶらしてるし。私とお母さんに集ろうっていうのが透けて見えるんだよな」

「集るって、高校生に君にどうやって集るんだよ?」恭平が驚く。

「いくらでもあんでしょ?歳ごまかしてお水や風俗とか。店がダメなら個人営業ってね」「それは犯罪だよ」

「でも食うためにはしょうがないじゃん?自分でもそういう状況になったらお母さんのため、生活のために仕方ないって思いそうで嫌なんだよ」里依紗は一旦、口をつぐんでから付け加えた。「あいつがきたら確実にそういう環境になりそうだっていうのは感じるんだよな」あいつというのはお母さんの再婚相手なんだろう。

「私と恭平でおばさんに話してみようか?」幼馴染の私達はお互いの両親を知っている。特に、里依紗のお母さんは小さい頃、私達にとても優しかった。

「無理無理。もうあの頃のお母さんじゃないから。男で変わったんだよ。今は母親じゃなくて「女」だから」里依紗は鼻で笑いながら言った。

「と、いうわけで私にとってはとっとと家を出るのが一番自分にとっていいわけ」それを聞いて恭平も私も言葉がなかった。

「いつ出て行くんだ?」恭平が下を向きながら聞く。

「今月中かな。彼氏には話してるから」里依紗は家を、この街を出て彼氏と二人で暮らすと私達に打ち明けたのはつい最近だった。

今はこうしてあっけらかんとしているが、話してくれるまでそうとう悩んだのだと思う。そのうえで決断したのだと。

「私達になにかできることってある?」

里依紗は真っ赤な空を見ながら「ないよ。気にしないでいいから」と、笑った。

その明るさが私にとっては辛かった。今までずっと一緒にいると思っていた親友が、もうすぐいなくなってしまう。こうして一緒に学校から帰ることもなくなってしまう。しばらく黙ったまま三人歩いていた。


私たちが歩いていると対向車線の方を走っていた車がふらふらと蛇行しながらふいに逆車線にハンドルを切り道路沿いにあるコンビニに突っ込んだ。

ほんの二十メートルほど前で起きた突然の事故に私たちは脚を止めてしまった。

「なになに!?」

「なんだよ!?」

「車が突っ込んでる!!」

いきなりの状況が呑み込めていない。

「マジか……」

里依紗がボソッと言った。

呆然と見ている私達の横を何人かの人が駆け足で通過する。

車の周りにはいつの間にか、何人もの野次馬ができて騒然となった。

中にはスマホで撮影してる人までいる。

コンビニの店員が車の窓からなにか声をかけていて、もう一人は電話をしている。

車の中の人は出てこない。

私も、恭平も、里依紗も固唾を飲んで車の方を見ていた。

運転していた人はどうしたんだろう?

まさか死んでしまったの?

でも見たところフロントガラスは損傷していないから大丈夫なのかも。

そのうち、周囲にいる人の中から何人かが救助活動を手伝い始めた。

車のドアのロックが外れているらしく、そこから中の人を外に出すようだ。

何人かが車の中を覗きこんだときに突然車が揺れだした。

助けようと覗きこんだ人達が驚いて車から離れる。

私たちのいる場所からは車が揺れていることと、周りの人達が動揺していることしかわからない。

「なんだよ?なにがあった?」

里依紗が脚を止めて揺れる車を見る。

私と恭平も同じように魅入ってしまった。

車の中からは獣の咆哮のような物凄じい叫び声が聞こえたと思ったら、車の揺れがピタッと止んだ。

「なんだ今の?大型犬でも乗せてるのか?」

恭平が警戒するよう言ったが車の周りにいる人達は離れるでもなく、さっきのように助けに入るでもなく、ただ呆然と立ち尽くしているだけだった。

その様がとても奇妙に見える。

私たちはその横を少し距離をとりながら通過する。

そのとき車の周りにいる人達の話し声が聞こえてきた。

「あれ……死んだのか?助けようとした俺たちを見ていきなり暴れだして、すぐに動かなくなった」

「シートベルトがあったから平気だったけど、叫んで飛びかかりそうな勢いだったぞ……」

「目や鼻……口からも血を流してた…… 」

事故現場を通り過ぎてから里依紗が口を開いた。

「大型犬じゃなかったんだな。あれ人の声だったのかよ」

「あんな声……聞いたことない」

耳にまだ残っている獣じみた叫び声。

あんな声が人から出るものだとまだ信じられない。

「なにか薬物でもやっていたのかな」

恭平が事故現場を振り返りながら言った。

 通り過ぎるときに耳に入ってきた内容を整理すると、コンビニに突っ込んだ車に人が集まり、ドライバーを助けようとした。

その瞬間、ドライバーがあの獣の咆哮にも似た声を上げ周りの人達に襲いかかろうとした。

したがシートベルトが邪魔をして車からは出られなかった。

あの車が揺れていたのは中で身悶えしながら暴れていたからなのか。

そして動かなくなった。

周りの人達が「死んだ」と思うほどに。

まだ救急車のサイレンは聞こえてこない。

「それにしてもなんだろうな?こんな見晴らしの良い通りで」里依紗が不思議そうに言った。

「街灯もあるし明るいのにな」恭平も首を傾げる。

「やっぱり恭平が言うように薬物なんじゃない?走り方が今思えばおかしかったよ」

車は減速してふらふらと蛇行してコンビニに突っ込んだ。

普通に運転していて平坦な道路であんなになるものだろうか。

私が感じたことを口にすると里依紗が「っていうか、危なかったよな?私らに突っ込んできてもおかしくなかったよね!?」

「言えてる。コンビニでなく僕たちがあの車に轢かれた可能性だってある」恭平が青い顔をしながら返した。

私もそれを考えるとゾッとする。たまたま、タイミング的にラッキーだっただけだ。

「勘弁して欲しいよな~私が死ぬと彼が悲しむから」里依紗が冗談めかして言うと、私も恭平も小さく笑った。

「とりあえず、その日までは変わらずに一緒にいようよ」

「もちろんだって」私が言うと里依紗は明るく返した。

「でも、真理は悲しむだろうな」

「それを言うなって。私もそこは気にしてるんだから」里依紗は言いながら恭平の背中を叩いた。

真理は里依紗のことをお姉さんのように慕っている。

この話自体は知っているけど、いざ日が近くなったら泣いちゃうだろうな。

「とにかく、あんま辛気臭い顔はするなって」

その後は、もう里依紗のことについては話さないで他の話をしながら帰った。


家の近くになり、私は二人と分かれて大通りを左に曲がった。

空は血を流したような夕焼けから徐々に薄暗くなっていた。

街灯の照明がジジッ…っという音を出しながら点滅している。

点いたり消えたりしているおかげで、馴染みの帰り道もいつもよりも暗く感じてしまう。

なんとなく気持ちの悪さを感じた私は少し脚を速めた。

もう家が見えてきたときだった。

「あれ?家の前に誰かいる?」

暗くなった道、その先にある私の家の前に誰かが立っているのが見えた。

正確には私の家の手前にある電柱の横に。

暗がりだが髪の長い女の人だとわかる。

なんだか気になってしまった私は目を伏せ気味にしながらチラッと見える程度に、その女の人を視界に入れながら歩いた。

あれ?あの服は……うちの学校の制服じゃないだろうか……

暗がりに佇む女の人との距離はどんどん近づいてくる。

近付くにつれて鼓動が大きく聞こえるような気がした。

女の人は相変わらずこちらに背を向けている。

「未来…… 未来……」

「えっ」

思わず声を出してしまった。

耳に入った私の名前を呼ぶ声。

聞いたこともない声に驚き、周囲を見回す。

誰もいない。

私に背を向けた女の人以外は。

「未来……」

声の主はその女の人だった。

背を向けたまま、私の名前を発したその人はゆっくりとこちらを振り向く。

私はこのときになり、おかしなことに気がついた。

この距離で何を着ているか、どんな格好をしているのか全然見えないのだ。

さっきまでは、うっすらと学校の制服みたいな格好に見えたのに、今はただ黒くて影みたいで、輪郭しかわからない。

全身から汗が噴き出し、動悸がどんどん早くなる。

まずい!逃げろ!見てはいけない!

理屈でなくそう感じた私は短い悲鳴と一緒に咄飛び退いた。

「なに…?」

すると私の目の前にはスマホを持った仕事帰りっぽい女の人が怪訝な顔をして立っていた。

声もさっきまで聞こえていたものとは全く違う。

表情からは、不審な行動をとった私に対する警戒心がありありと見える。

「いえ…すみません…」私は恐縮して頭を下げる。

 女の人は呆れたように首を傾げると、スマホをバッグにしまって歩き出した。

あの人はただ立ち止まってスマホをいじっていただけだった。

それを私が勝手に怖がっただけという、なんとも情けないオチがついた話だ。

安堵とともに疑問が浮かぶ。

直前まで聞こえた声はなんだったのだろう?それに瞬間的に感じた、心の奥から告げるようなあの恐怖。

汗は引いているけどまだ動悸が激しい。

私が誤解したとはいえ、これほど恐怖が体に現れた記憶はない。

気味の悪いものを感じて、急いで家に入った。

「ただいまー!」

いつもよりも大きな声を出して家に入った。

するとリビングの方から、お母さんの返事が聞こえたことでほっとした。

脱いだ靴を揃えることもしないで、バタバタとリビングへ急ぐ。

ドアを開けると、お母さんがソファーに座ってテレビを観ていた。

「どうしたのよ?血相変えて」

「いや……」

飛び込むようにドアを開けた私の顔を見て、お母さんが呆れたように言う。

ようやく動機も落ち着いてきたのを感じて大きく息を吐いた。

「お腹すいちゃってさ」

「だったらもっと早く帰りなさいよ。晩ご飯冷めちゃうわよ」

「ごめん。ちょっとみんなと話しが盛り上がっちゃって」

見るとテーブルの上にはサランラップをかけた晩ご飯が置いてある。

「すぐ温めるから、早く着替えていらっしゃい」

「は~い」

返事をすると、私は自分の部屋がある二階へ上がっていった。

制服から部屋着に着替えるとさっきのことに想いを馳せた。

あれははなんだったのか。

今まで、どんな暗がりでも人があんなふうに見えることはなかった。

しかも、うちの制服と間違えるなんて……全然違う格好だったのに。

「えっ!?」

風が頬を撫でた。

見ると窓が開いている。

そこから、この季節にしては冷たい風が、カーテンを揺らしていた。

私ったら、窓を開けっぱなしで学校に行ったのか。

窓を閉めると、風に煽られていたカーテンが静かに止まった。

窓の鍵を閉めると、ご飯を食べに部屋を出ようとしたとき背後から視線を感じた。

振り向くと今閉めたばかりの窓の向こうに、暗い夜の空間が見えた。

たしかにいま視線を感じた。でも、ここは二階だ。

誰もいるわけがない。

振り向いて、誰かがニタニタしてこっちを見ていたら、それこそパニックだ。

気のせいだと納得すると、部屋の電気を消して下に降りていった。

窓のそばに垂らしている風鈴がカランカランと鳴ったような音が聞こえた。


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