寺子スタジアム


 バッシィィィィン


 激しく轟くミット音。

 豪速球が場内を騒然とさせる。


『170㎞/h』


 誰もが電光掲示板のその表示にどよめきを隠せない。

 この寺子スタジアムは、学園国家サイバイガルが所有するプロ野球チーム『寺子プロフェッサーズ』のホーム球場。

 投げたのは、このホーム球場でしか登板しない特殊なエースピッチャー。

 年齢は十九歳。

 丸刈り頭でどこかまだ幼さの残る顔つきの青年。

 彼自身、その投球の反動を受けて野球帽を地面に落とした。


「……ふぅ……」


 スタジアムの空気をたったの一球で支配すると、彼は帽子を拾い上げ、ゆっくりと被り直した。

 このサイバイガルで最も年収の高い学生は間違いなく彼だろう。

 国内では『野球部』と称されるこの『寺子プロフェッサーズ』を最年少でけん引する若き天才。

 そして、七人しか存在しない謎の力『カース』をその身に宿す異能力者。

 彼の名は――――レイゼン・ルース。


     *


二週間前 中央キャンパス 一号館


 中央キャンパスは文系の多くの学部が利用するキャンパスだ。

 一号館は主に人文・社会学部が利用している。

 そして、君口兄斗もその学部の人間だった。


「……球技大会?」


 三限の講義を終えると、教室にずかずかと四葉が入ってきた。

 あらかじめ兄斗がここにいると把握していたのだ。

 監視役である彼女は定期的に兄斗の様子を窺いに現れる。


「はい。私一年だから初めてなんですよね。楽しいんですか?」

「うーん……どうだろう。僕は参加したことないからなぁ……」

「え? そうなんですか?」

「うん。そもそも僕運動系のサークルにも部活にも入ってないし。いや、というか無所属だからね。球技大会っていうのは、全サークルが参加可能な一方で、徒党を組んでいない僕みたいな一般人はお呼びじゃないんだよ。学生間の交流が目的とか言うけど、交流する気の無い人間は端から除外ってこと。当然さ」


 兄斗は自嘲気味に鼻で笑いながら言ってのけた。

 少し自分の印象が悪くなったのではないかと不安になるが、出た言葉はもう戻らない。


「寂しい人ですね。友達少なそう」

「……」


 不安は的中した。否定可能な事実は無い。


「……まあ、私も人のこと言えませんけどね」

「え?」

「私、友達いないので。そういう意味では……先輩が私と同類と知れて嬉しいです」

「……!?」


 四葉はニッコリと笑みを見せた。

 その笑顔が、兄斗の胸と脳に強く焼き付けられる。

 人生で最も幸福な時間を得られたような錯覚に陥る。いや、錯覚ではない。この瞬間が自身にとって最も幸福なのだ。

 ……などと、彼は意味不明なことを考え始めた。


「先輩?」

「あ、いや……何でもないよ。その……ただ、今日も花良木が……き、き……」

「危機? ああそうだ! 『危機』なんですよ! 見ましたか!? 野球部の対外試合!」


 本当は『綺麗だから』と言いたかったのだが、彼女との会話を切ることはしたくない。


「……対外試合? それって要するにプロの公式戦だろ? 何が『危機』なんだよ」

「野球界の危機です!」

「……はぁ?」


 どこか彼女は興奮気味に見えた。

 慌てるような姿に見とれている兄斗の心境には気付けないだろう。


「『170㎞/h』ですよ! 『170km/h』!」

「何が?」

「球速です! 野球部のエースが『170km/h』のボールを投げたんです!」

「……ああ。初めて見たのか? テレビとかで見たことなかったの?」

「私、テレビは嫌いなので」

「ネットは?」

「嫌いなので」

「新聞は?」

「嫌いなので」

「……人から聞いたことは?」

「嫌いなので」

「……どうやって情報収集するんだ……?」


 驚き呆れる兄斗だが、四葉はそんなことお構いなしだ。


「でもスポーツ観戦は嫌いじゃないですよ。特に野球は良いですね。『スリー』アウト制な所が良い! 『スリー』ストライクでワンアウトというのも美しいと思います。惜しむらくは、『四』番バッターに注目が集まる一方で、その前にチャンスを作る『三』番バッターの方が私は素敵だと思うのに、そのことをあまり応援してる皆さんが気にしていないことですかね」

「『四』球は?」

「良くないです! だからこそ『四』という数字がお似合いですね。是非ともピッチャーの方々にはそんな忌み数のボールを投げないで頂きたいです」

「……自分の名前だって『四』葉なのに……」


 そう言うと、四葉は眉を引きつって震えを見せ始める。


「……私のことを名前で呼ばないでください。嫌いなので」

「……わかったよ。花良木」


 憤る四葉とは裏腹に、兄斗は悲しい表情を見せる。

 彼女のことを一生名前で呼べないと思うと、密接な距離になることも難しいのではないかと考えた。

 彼はあまり四葉が『三』を好む理由を詳しく知ろうとしていなかった。

 それをするにはまだ信頼関係が足りないような気がしていたからだ。


「……で? どこが『危機』なんだ? レイゼン・ルースは野球界の至宝だよ。うちの野球部……もとい寺子プロフェッサーズは彼が入ったことで実力人気共に最弱の球団から一気に大人気球団に様変わりだ。もっとも、ピッチャーがどれだけ良くても点が入らないから弱いままだけど」

「……わかってて言ってるんですか? 先輩」


 どこか怪訝そうな表情で尋ねる。

 兄斗は彼女が何を言いたいか察しがついていた。

 彼が言わなくても、四葉は自ら説明する。


「彼は『狂信者ファナティクス』です。先輩と同じ……異能力者。このままだとその異能力者に野球界が滅茶苦茶にされてしまいます」

「……いや、もう彼がプロになって二年目なんだが……。彼はこの学園国家サイバイガルから出られない。だからホーム試合でしか登板しない。花良木は今まで他所の国の試合しか観戦してなかったから知らないんだろうけど……彼はもう世界に認められてるよ」


 それを聞いて四葉は目を細めた。


「……本当に? ズルだと思われないんですか?」

「そういう段階はもう通り過ぎた。ま、寺子プロフェッサーズが弱いうちは文句を言う奴も少ないだろうさ。野球規則に『カースの使用は禁止』って決まりが無いのが悪い」

「ドーピングと何が違うんですか?」

「彼自身が『その力』を抑えられないところ。『お前は狂信者ファナティクスだから野球するな』なんて言う奴はいないだろ? まあ世界のどれくらいの人が、カースを知ってるか知らないけど」

「……納得いかないです」

「じゃあどうする?」


 四葉は顎に手を乗せて思案した。

 そして、先程の会話から『何か』を思いつく。


「……そうだ。せめてぎゃふんと言わせたいですね。『カース』を使っても、プロどころか素人に負けることもあるんだとわかれば……私も納得できるし、彼にも一泡吹かせられるでしょう」

「?」

「球技大会で、野球部に黒星を付けるんです。下馬評では驚異のオッズ一・〇倍! 優勝確定の空気をぶち壊すんです!」

「……誰が?」

狂信者ファナティクスに勝てるのは同じ狂信者ファナティクスのみ……わかりますよね?」


 圧のある笑顔を向けられる。

 だが、兄斗が感じているのは圧ではなく、その期待に応えたいと願う内から溢れる衝動。


「……人数がいる。僕と花良木だけじゃ足りない。今大会に限っては九人以下でも参加自体は可能だって聞いたけど……流石に二人はきつい」

「え? ふ、普通に了承してくれるんですか? 私、結構滅茶苦茶言ってるつもりだったんですけど……」


 半分冗談だったことは兄斗にもわかっている。

 しかし、彼女は兄斗が基本的にどういった信念で動く人物か知らなかった。

 ことこの学園国家サイバイガルにいる間は、兄斗は何よりも四葉の意志を最優先したいと願う人間になる。

 これが彼の持つ巨大な信念……下心だ。


「まずは人集め。さて……友達のいない僕等で何人集められるのか……」


 あくまで落ち着いた態度を見せるのは単に格好つけたいから。

 話に乗るのはただスポーツで良い所を見せたいから。

 彼は澄み切った青春の中で熱い恋に生きる、どこにでもいる普通の男子だったのだ。


     *


北キャンパス 第一レッスン室


 この第一レッスン室を利用するのは音楽系のサークルだ。

 特に最も歴史が深い音楽部の利用時間が一番長い。

 兄斗と四葉はその音楽部の部員に用があった。


「……あら初めまして。貴方が噂の君口兄斗君?」


 ロングの黒髪に、藍色の瞳。

 表情はまるで雪で固められたかのように硬く、そして冷たい。

 兄斗は彼女からどこか根源的な恐怖を感じ取った。


「……どうも。えっと……アンナ・トゥレンコさん……?」

「知っていてくれてありがとう。折角だから一曲演奏でも……」


 そう言いながら彼女は手元のバイオリンケースに手を伸ばす。

 しかし四葉が手で制した。


「いえ、大丈夫です。それよりお尋ねしたいことがあります」


 無表情のまま、アンナは冷たい目を四葉に向けた。


「ああ。花良木四葉さん。そうか……彼女から私のことを聞いたのね」

「あの、いいですか?」

「ええもちろん。何の用かしら? 同じ『ワンダー・セブン』の一人として……些細なことなら力を貸したいわ」


 無表情なので感情が一切読めない。

 本心からそう思っているのかもしれないが、冷たすぎる目の所為で腹に一物を抱えているような気がしてならない。


「……『ワンダー・セブン』……。フフ……」

「何笑ってんですか」


 兄斗はつい吹き出しそうになったのを抑える。

 そのネーミングに若干の香ばしさを感じたのだ。


「ああいや、何でもない」


 四葉は少しだけ憮然とした表情を見せると、すぐにアンナの方に視線を戻した。


「……確かにアンナさんは七人の狂信者ファナティクスを監視する役を背負ったワンダー・セブンの仲間です。でも……アンナさんは監視の仕事をちゃんとしているんですか?」

「……四葉ちゃんはむしろいつも彼と一緒なの? 仲良いのね」

「あ、バレました?」


 兄斗は嬉しそうに口を挟む。


「先輩は黙っててください」


 そう言われると、兄斗は口をへの字にしてそっぽを向く。


「レイゼン・ルース……彼はアンナさんの担当ですよね? どうして彼が試合にその力を使うことを許しているんですか?」

「許しているのは私じゃなくて枢機院すうきいんだけど……。球技大会の予選で当たることになったチームのメンバーとして、私に文句でも言いに来たのかしら?」


 彼女にその気はないのかもしれないが、途轍もない『圧』が二人にのしかかる。

 まるで、極寒の雪山に放り出されたかのような感覚だ。

 それほどアンナの冷たい目は周囲を凍てつかせる威力を持っていた。

 四葉は冷や汗をかきながら、なんとか引かないように息を飲む。


「……い、いえ。その……アンナさんは彼と対峙する気はありませんか?」

「……はい?」

「彼を倒すにあたって、精神攻撃は有効なはずです。彼ともそれなりに信頼関係を持っているだろうアンナさんが味方なら……とても助かるのですが……」

「……ああ、そういうこと……。でも、いきなり酷い戦法を考えるのね」


 少しだけアンナが笑みを見せた気がした。


「酷いのはこの球技大会のシステムですよ。競技が野球だったらそりゃあ野球部が一番強いに決まってるじゃないですか。何ですかこの出来レースは!」

「……そうね。まあ、この大会は参加賞が平等に与えられるだけで優勝賞金は無いし、誰も文句は無いと思うわ」

「でも、私は彼を倒したいんです。そういう気分なので」


 四葉は強い意志のこもった瞳を向けた。


「……面白い子」


 その言葉に、兄斗も心の中で頷いた。

 四葉は頑迷な性格だった。

 それが良い方向に働くこともあれば悪い方向に働くこともある。

 今回がどちらかはまだわからないが、兄斗は最後まで彼女に付き合うことを既に決めていた。


     *


中央食堂


「野球はな、最強のピッチャーが一人いれば勝てるんだよ」


 兄斗は唯一の友人である上柴の言葉を聞いて肩を落とした。


「いや、点入れないと勝てないでしょ」

「いいや。本当の意味でピッチャーとして『最強』なら、バッターとしても活躍できる。基本的に野球の才能がある奴ってのはみんなピッチャーやるんだよ」


 四葉は初めて会う上柴の言葉に違和感を抱く。


「じゃあ何でうちの野球部は弱いんですか?」


 すると、上柴は待っていましたと言わんばかりに笑みを見せた。


「簡単さ。何故なら、レイゼン・ルースは『最強』じゃないから」


 そう言いながら食事を終えると、皿の乗ったプレートを持ち上げて立ち上がる。

 まだ話の途中だったため、兄斗は一瞬彼を止めようとする。

 しかし、その必要は無かった。


「ま、君口がいれば余裕さ。あとはバッテリーを組む相手……俺がいるだけで十分だ」


 兄斗たちは彼をチームに誘いに来ていた。

 その返事はどうやらイエスということだろう。

 当たり前のように自分を頭数に入れる上柴に感謝を示しつつ、彼が去るのを見守った。


「……いるじゃないですか。友人」

「うん。アイツは良い奴だからね。僕みたいなはぐれ者にも仲良くしてくれる。でもそれはアイツが特別なだけで、僕がコミュニケーション能力に優れているとは思わないでほしいな」

「……そうですか」


 若干不機嫌なのは、兄斗が自分と同じ様に一人も友達がいないわけではなかったからか。

 兄斗は深く考えずに麦茶を飲んだ。


「それと……『彼女』がどこで話を聞いたのか自分も参加させてほしいと言ってきた。僕は断る気でいるんだけど……」

「駄目です。人数は多いに越したことはありません。それにあの人も狂信者ファナティクス。きっと戦力として数えられるでしょう」

「……そっかぁ……わかったよ。はぁ……」

「?」


 兄斗は大きく溜息を吐いた。

 何故なら、参加を希望してきた『その彼女』は、兄斗にとってはあまり自分と一緒にいるところを四葉に見てほしくない人物だったからだ。

 平たく言えば、自身が好意を持つ相手に、妙な勘違いはしてほしくないということ。

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