たわごと.5 53 ai あがりましたけれど……への応援コメント
私、恥ずかしながらずっと「ツギクル」のことをカクヨムの「ネクスト」と勘違いしておりまして……(汗)。
ぼんびゅくすもりーさまが作品を投稿されているようでしたので、ネクストで検索するも出てこず、よく分からないまま「何だろな……」と疑問に思うもそのまま。
で、先ほど通知でこちらに新たなエピソードが投稿されたと知ったので、何の気なしにウェブで検索をかけてみましたら、何と別サイトのことでした……という、本当にマヌケな私で申し訳ありませんです……。
言い訳ではないのですが私、カクヨムにしか投稿していないこともあって、他サイトと言えば「なろう」「アルファポリス」くらいしか知らなかったのです(汗)。
どうしてこんな勘違いをしてしまったのか分かりませんが、何となく意味が似ているのと、イメージ画像(表紙?)があるという共通点ということだろうと今さらながらに考えております。
それで、さっそくぼんびゅくすもりーさまのところにお邪魔してみました。
ようやくぼんびゅくすもりーさまが書かれていたことの意味が分かりました。
AI診断、興味深いですね。
どんなアルゴリズムやロジックで生み出しているのか分かりませんが、自分の持つ以外の尺度、視点から見ると言う意味で一定の参考にはなりそうに思えます。
ただ、ぼんびゅくすもりーさまと同じような戸惑いを私も感じそうな気がします。
「読みやすさ」については結構参考になると思いますが、「文章の傾向」のところは作家性と言うか個性の部分とかなりぶつかりそうに感じるんですよね……。
個性が自然に滲み出るところもあるでしょうし、敢えて常道を外して表現する場合もあるでしょうし、何よりここでの評価が面白さにつながるとも限りませんしね。
私は、小説でもマンガでも映像作品でも、面白いかどうかがほとんど全てだと思っています。
そう言う意味で、ぼんびゅくすもりーさまの作品は「面白い」ので、あまり問題はないように考えます。
とは言え、文章自体のブラッシュアップを目指すという意味では、私も一度は評価してもらう必要があるかも知れません。
恐らく、編集部に持ち込んで指摘されるようなことは、この機能でも十分補えるような気がします。
作者からの返信
おはようございます。
コメントありがとうございます。
そういえば、カクヨムさんに新しい項目が増えましたね。
いくらか前、参加者の募集らしきお知らせがあがっておりましたが、なんとなく目を通しただけで、よく理解していなかったりします。
「〇話まで無料」とかあるので、有料コンテンツのあるセミプロさんとかプロの方がいらっしゃるところなのでしょうか?
覗いたら参考になるかも……と思いつつも、自分のことだけでも、いっぱいいっぱいなので、なかなかそこに手が向かないです。
カクヨムさんにとっては、わたくし、頭数にしかならないあてにならないユーザー枠に成り下がっておりますね💦(読むのも書くのも遅ければ、もよおしにおける参加意欲も乏しいときた)。
いや、もともとのキャパ上限の限界と性分はいかんともし難いので、そこは大目に見てもらうしかないです。
人間、割ける時間や気分には波がありますが、そうあるだけに、自分が見定めたものに専念するのは、利口な選択だと思います。
世の中、情報と手段があふれかえっているので、目移りしてしまいがちです。
あちこち手を出しすぎると足場も定まらなくなってしまうので、溺れるくらいなら、触れてみて、これと思うものに出会えたら、それに集中するのが正解なのだと思います。
そう出来ることが、その場所での強みになると思うのです。
さまざまな分野に興味見識足場をそなえる不特定多数によって築きあげられている現場が秘める可能性・情報や企画は膨大で、一個の生身の人間に御しえるものではないから、
変化し続けてもいて、きっと見通すことなど不可能だから、
自身の基盤を保持しながら、必要だと思ったときや興味をおぼえたとき、そのありがたい情報の海に手をつっこんで、気になる部分をつつくくらいでちょうどいい気がします。
自分の現状を省みて、自身を立たせ保とうとするかのような戯言におつきあい下さって、ありがとうございます。
目にあまる部分を見いだしてしまったなら、申し訳ないです。
自分が打ち出す文体やストーリーと向き合っていると、こんなんでいいのかな、と。
よく程度の上限下限がわからなくなるのです。
好きに書いているようであっても、ままならないのです `(*>﹏<*)′
☆ 追加記入で失礼いたします。
このあほう、お礼するのを忘れました。
ツギクルさんの方も覗いてくださり、ありがとうございました。
少しでも何かの参考になりましたら幸いです
編集済
仰ることよくわかると思いながら読みました。
私も「子供」はいけないので「子ども」と書いてましたが、その後認められるようになったと聞きましたが、今更癖が直せない。「私達」などの「達」がいけないと知り「私たち」と書くようにしましたが、ワードが勝手に変換してしまったり、癖もありもうごっちゃになりつつあります。なにより、その時の気分もありますしね。
論文では統一しなきゃいけないけど、WEB小説だからいいかなと本当はいけないけど怠けています。(書籍化の時は、色々直してと指摘が入るようですが)
三点リーダーや、一字下げは公募の時にそれが基本だったので、それに沿って書くようになりました。気になる小説もありますし、それを指摘している方もいますが、WEB小説は規定がないからと、そういうものだと思うようにしています(ただすごく気になる小説もありますけど)
作者からの返信
コメント、ありがとうございます(うれしいです)。
「私達」や「子供」に関しては元の字があるので、キャラクターの年齢や個性の表し方として「あり」だったのではないでしょうか?
児童むけとか、ライトとか、アダルトとか、シニアむけ、学者むけなど、読み手の年齢層のはばというものがありますし……。
だから、受けいれられ易くあったのだと思います(すみません、自分が表現として、ありだと思っております/だめなのでしょうか?)。
「そうゆう」と「ゆう」に関しては、元の表記がなくて口語から始まっているので、なかなか受け入れ難いのかも知れないなぁ、とも考えるのです。
けっこう場当たり的な採択で「い」にするか「ゆ」にするかの定まりをつけかねる部分もありますし。
友人同士のメールやらなんやらのやり取りの影響からきちゃっているのかも知れないなぁとも。
距離がある相手には、かしこまった文面にもなりますが、気楽な者同士だと、くだけた口語文になりがちなので……。
さらには現実に、その音を表す文字がないわけでもない。
結果。
そこに表現として発音の違和感をおぼえれば、使いたくなる💦 ←どうしても嫌なら流れや表し方を変えればいいだけのことなのに、時には考えることを怠け、こだわってしまうのです。
詩では句読点の省略もありがちな現象で、web小説では、けっこう気のままの自由な表現も飛び交っていることですし……と。
三点リーダーに関して。
個人的なものなのでしょうけれども、
「…」が一呼吸の感覚で、「……」となると、なんとなく三拍くらいはありそうに感じられて、ひきが長すぎると思ったとき「、」でも「。」でもないなと思ってしまえば、不足打ちをしてしまいます。
ダッシュとの組み合わせも好きです。
みなさん(読んで下さる方)の長さの感覚はそれぞれだというのに「絶対ではないが、偶数打ちが望ましい」という認識の「絶対ではない」にすがってしまいます。
困ったものです(暗黙の了解、ルールをスルーしているのではないかとも思う)。
いずれにせよ、webでは肩の力を抜いて楽しく書くのが最良のような気がしている今日このごろ。
(程度は個人の気分と自由・任意にて/とことん追いつめられたら、もう、達観・韜晦するしかないレベルです(笑)
わたしとしては、ほどほど伝わる文章をめざして、気が向いたとき推敲を重ねるだけでも、いっぱいいっぱいなのです(見返すと必ずといっていいほど、どこかで、ひっかかります。直しても直しても、なかなか、おかしな部分がなくなりません)。
長くなりました。
わきまえが足りなくて申し訳ありません。
反応いただき、ありがとうございました(重ねてお礼を申し上げます/いたらぬまでも、かしこまってみました(*^_^*)🍀)。
仰ること、いちいち頷きながら拝読しました。
私にも頭が固いところがありますので、「言葉は生きている」を免罪符にして間違いを開き直るような真似をするのは好きじゃありません。
まずは正しく(正しさも変遷していくのが厄介ですが)使うという姿勢が基本だと思っています。
そもそも言葉は「コミュニケーションツール」ですから、同じ言葉で両者の解釈が違っていると、ツールとして成立しないと考えているからです。
でもその上で、小説は「芸術品」という側面もあると思います。
そうすると、言葉を使って行う表現の自由という余地が出てきます。
仰るように論文や記録分は、表現の解釈に幅が出ては困ってしまいますから正確性に重きを置くべきでしょうが、小説は必ずしもそうではありませんよね。
書籍でも、数ページに渡って同じ単語が繰り返されて(例えば「死ね死ね死ね死ね……」みたいに)主人公の心情を表していたり、一ページの中にある平仮名が渦のように印刷されていたりするものもありました。
昔の私は、割と真剣に眉を顰めましたけれど、最近はそれもまあアリかなと思うようになっています(笑)。
ものすごく定式にこだわる方もいらっしゃいますし、そうでない方もいる……という現状でいいと私は考えます。
小説の場合、記述の正確性を競うのじゃなくて「面白さ」が唯一の判断基準だと思うからです。
どれだけ正確に文章を綴ろうと、面白くない小説ではあんまり意味がないでしょう。
私の考えも、あくまで個人的なものですので、そんな考え方もあるんだぐらいに思ってくだされば幸いです。
作者からの返信
こんばんは。
コメントありがとうございます。
言葉は「コミュニケーションツール」——いわれてみれば、その通りなのです。なるほどと思いました。
必要程度に通じなければ、意味をなさないものになりますものね。
言葉や文章で自分の考えを伝えるのって、なかなか難しい作業です。その点、ほぼ統一された言語を主軸とするこの国は、非常に恵まれているのだと思います。
異国の言葉も本気で学ぼうと思えば、比較的楽に情報集められますし……
それを覚える能が充実しているかとなると別の話で……面白そうだとは思うけど、なかなか覚えられませんね💦
どうしても興味が向く方に流されてしまうので、自国のものでも知識が偏ってしまって、四苦八苦——気のままにつつくばかりで、全貌なんて全然見えてこないです。
ともあれ、なにげなく使っていますが、母国語の良さを活かせるようになりたいです。
でもって、やっぱり、わたしとしては自然な感じを出したいので、小説では普段使っている口語も反映させたいのです。それで思うままに主張してしまった次第です。
お粗末さまでした💦
それとひとつ。夏井さまに、おことわりしたいなと……うずうずしていたことがあります。
夏井氏さまの方で〝六花ちゃん〟という、かわいらしい女の子が出演しておりますが、この文字、手前も利用してまして💦
なんだか被ってしまうのって、とても気まずいし心苦しいのですが、このまま使ってゆきたいのです。
人名ではなく、極北付近の集落の名として、いま連載中の続編になる間章で、ちらと出てきます。
1400年ほど前に失われてしまっている集落という位置づけなのですが……。
ご気分、害してしまったら申し訳ないです🙇♀️
たわごと.8 表記の仕方で、望んでしまうことへの応援コメント
カッコ系の記号の使い方については、確かに私も悩む時がありました。
そもそも、その辺りに明確なルールなど考えもせずに書き始めていましたので(汗)。
しかも同じ記号でも――例えば「」も会話文に使うこともあれば、強調に使うこともあったりと、複数の用法を適用していたりしますよね。
もしこの辺りの明確な基準について著した本があれば私も拝見したいと思います。
とは言え、ある時点でルール化されていたとしても、その当時と今とでは状況が変わっているような気もします。
ただ、私個人の感覚で言いますと、使う記号はなるべく少ない方がいいように思えます。
前述のように、同じ記号を別の使い方をしても、それは表記や文脈で読者の方々が自然に読み進められるようにすればいいからです。
物語を追う上で、話の内容以外で変に引っ掛かって、読者の没入感を台無しにしたくないという思いです。
作者のこだわりと、読者の読みやすさ……場合によっては相克状態になる時もあるかも知れませんが、私としては読みやすさを優先するというスタンスです。
作者からの返信
うう、おはようございます。
コメントありがとうございます。
以下にみられるたわごとにして反省は、自分にとって必要なところでもありますので、気にしないでくださいね。
夏井さまが、冷静な一見解として述べているのは、重々承知しております。
それは文面からもにじみ出ております。問題になるような部分は微塵もございません。
わたしが勝手に「そこ」に行きついてしまっただけなのでございます。
とにかく、ただただ、参考になりました。
ごもっともでございます。わが身に染みいるお言葉でした。
わたくし、注釈や〝※〟やなんやらで、読者の没入感をだいなしにしてしまっているかも知れないです。
やりだすと、際限なくやり始める……いかんですね。
なんとなく、感じてはいたのですが……。
君子じゃないので豹変まではできません(うん。たぶんできない)が、わが身の不徳と心に刻むにいたりました。
この曲がった根性、少しづつでも矯正してゆきたいと思います。
わかっているつもりのようでも、やってしまう。ということは、きっと、わかっていない。節度を守れていない。
わたくしの大きな欠点なのでございます。
思い知ることが必要だったのです。
いろいろと気づかされることがあるので、これからも気軽にご意見をお聞かせいただけると、ありがたいです。
こんごとも、これと思われた時には、よろしくお願いいたします。深謝です😊