【2】 旦那様の名前はアベル=ミリウス。


 嫁ぎ先の屋敷に到着し、馬車のドアを開くと――黒髪に翠眼の、いわゆる容姿端麗な青年が、私に手を差し伸べた。 


「ようこそ、いらっしゃいました。アプリコット姫。――私はアベル=ミリウス。この領地『オキザリス』の領主です」 


 目が合った。

 一瞬、彼は眉をピクリ、と動かして私を見た。


「はじめまして、ミリウス辺境伯――って、あら? でも、お父様が領主様ですよね?」


 ミリウスが追放された事をまだ知らない私は微笑んで短く挨拶し、彼の手を取った。


 ――彼のほうは、微笑んではいない。

 どちらかというと、無表情で感情のこもらない瞳だ。


「その事は今からご説明します。まずは応接室へどうぞ」


 彼にエスコートされ、馬車から屋敷へ歩く。

 そして立ち並ぶ使用人たちからも、冷たい……歓迎されてないムードが漂っている。



 親戚から引き取られた養子の彼は、全ての業務を押し付けられてきたと言う。


 ……苦労しただろう。


 この人、私の息子になるのか、と婚約者が追放された事をまだ知らない私はこの時そう思っていた。

 

 しかし、容姿端麗な青年だ。


 目を惹かれるのは確かだ――しかし、私は母親が見たらヨダレを垂らしそうだな、としか思わなかった。

 母の悪癖のせいで、私はもう容姿端麗な男性を見ても、何も思わなくなったのである。



 好きになりかけた男性は、みんな母のものになった。


 この人だって、私と関わるなら、いつか母親の毒牙にかかるかもしれない。

 そもそもこの人からは私を軽蔑するような雰囲気を先程から感じる。

 やはり王都での私の醜聞を聞いて嫌悪してるんだろう。


 *****


「えっ」


 私は、はしたなくも、そのような声をあげてしまった。

 母に捨てられ、私の婚約者になったミリウスが追放された事をたった今、聞かされたのである。


「では、わたくしは、王都へ帰らなくてはいけないのですね」


 なんてことかしら。

 せっかく城から逃げ出せると思ったのに。


「申し訳ないですが、今日は日が落ちてしまいましたので、一泊だけは――」


 と言いかけた時、アベル様が無表情で言った。


「いいえ、アプリコット姫。あなたは私と結婚したことになってます」


「えっ」


 結婚する、じゃなくて結婚した? え?


「――王命は、『ミリウス辺境伯』との婚姻である……とのことで、私が数日前からミリウス辺境伯です。したがって貴女と私は本日付で夫婦となります」


 アベル様は感情のこもらない声で事務的に言う。


「……あ、そうなんですね」


 よかった。

 どれだけ空気が冷たかろうと、ここは城に住むよりかは、マシなはずだ。


「そこでお伝えしておきたいことがあります」

「はい」


「――私はあなたと一般的な夫婦関係を持つつもりはありません。跡継ぎは私の父のように養子を親戚筋からひっぱってくる予定です」


「――あ。はい、わかりました」


 私はすぐに察した。

 つまり、私を妻として、家族として歩み寄るつもりはないって事ですね。


 良かった。共寝しなくていいんだ。正直助かった。やりたくなかった。


「こちらが、あなたに割り当てる予算です。ご自由に使ってください。毎月支払います。もし残れば貯蓄にして頂いて結構。そして別棟をご用意しましたのでそちらにお住まいください。別棟の敷地内に限り、ご自由に生活なさってください。そしてなにぶん私も忙しいので、結婚式も挙げませんがよろしいですよね?」


「……はい、結構です」


 結婚式しなくていいんだ。助かった。やりたくなかった。


 結婚式なんてしたら、母親を招待することになる。

 そうすれば、この容姿端麗な若き領主も、また王宮に入り浸るようになるに決まってるし。

 おまけに歓迎されてない私が花嫁なんて、祝福されないムードがただようだろうし。


「口を一文字にされて若干震えていらっしゃるようですが……ご不満がお有りのようですね。ですがこれはもう決まったことで。ご了承頂きたい」


「いいえ。それで、結構です。侍女を一人つけてくださいましたし、不便もないでしょう。ただ……もし用事がある場合は、本棟を訪れてもよいですか?」


「できるだけ侍女にことづけてください。他になにか必要なことがあった場合、可能な範囲であれば用意させますので、今後は執事の方に仰ってください」


 あ、何が何でも本棟には近寄るなって事ですね。

 わかりましたよ、もう……。

 彼の傍に立っていた、白髮の老紳士にお辞儀される。


「セバスと申します」

「よろしくね、セバスさん」


 値踏みするような目で私を見ている。

 いくらなんでも、ちょっと不躾ではないでしょうか。


「その別棟とやらに、もう行ってよろしいですか?」


 疲れた、もう休みたい。


「どうぞ」


 本日付で私の夫になった彼は、無表情でそう言った。

 この人、ずっと無表情ね。

 さっきはこの無表情から私の事を軽蔑しているんだろう、と思ったけれど……ひょっとしてこの人、この顔がデフォなのでは? ……いや、まあ、どうでもいいか。


 私は私付きになった侍女について別棟に向かった。

 ……なんとなく、これでもう旦那様と会う事はあまりないんじゃないだろうかと思った。


 実はちょっぴり、妻としては歓迎されなくとも、まともに付き合える家族にはなれたらいいな……という気持ちはあったので、彼と打ち解けられない事には少し残念さはあった。


 でもまあ、仕方ない。気持ちを切り替えよう。


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