彼方からの失せ物

十余一

一、隕石

 天明二年六月八日、明け六つ(あさ4時) 頃。

 丑寅うしとらから辰巳たつみの方角へ、光り物が通った。


 安房国あわのくにの浜にて水揚げをしていた青年は、にわかに明るくなった空を見上げた。いまだ顔を覗かせぬ太陽によって仄明るく照らされた空に、燦然さんぜんと光り輝くものがある。しかし、青年がそれを何と認識する間もなく、雷が空を引き裂くような轟音が耳に届いた。

 臆病な彼は一目散に手近な小屋へと逃げこんだ。転がるようにして駆けこむと、地に伏し頭を抱え、ぶるぶると震えている。

南無なむ阿弥陀仏あみだぶつ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏――」

 いったい何が起きたのか。彼にわかるはずもなく、必死に念仏を唱え救済を求むほかない。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏――」

卯吉うきち。おい、卯吉。いつまでそうしてんだ」

 しかしてのち、漁夫仲間が少しばかりの呆れを含み声を掛けた。卯吉と呼ばれた青年は、びくりと肩を震わせる。そうして、おそるおそるという様子で外をうかがった。

 突然の光と音に身をすくめた漁夫たち。卯吉のように逃げはしなかったものの、空を見上げ困惑している。

 雲ひとつなかったというのに稲妻か。それとも、どこかの山が噴火でもしたか。もしくは、実物など見たこともないが大筒おおづつとやらが放たれたのか。

 薄明の空に伸びた一条の白雲は、山向こうまで続いている。

 そこで卯吉は、はたと気づいた。白雲の続く方角は、兄の住む海士あま村がある方向ではないか。途端、彼は駆ける。


「兄ちゃん、兄ちゃん! しん兄ぃ!」

 卯吉が海士津村へ到着したころ、太陽はすっかり顔を出し四方よもを照らしていた。清らかな朝だ。平素ならば今ごろ、一仕事終えて朝餉でも摂っているだろう。

 だというのに、屋敷はもぬけの殻だ。兄も、兄嫁もいない。仕えているはずの下女の姿すら見えない。それどころか隣家もしんと静まりかえっている。海辺は、道すがらすでに見た。舟はあるものの人影はなかった。この辺りの村民は大半が半農半漁。であるとするならば、残るは――。


「おお、卯吉か」

 壮年の男が朗らかに微笑むのを見て、卯吉は安堵あんどした。

「兄ちゃん! 義姉ねえちゃんも、みんなも、大丈夫か。空が光って大きな音がしたろう。それで、心配で」

「駆けつけてくれたのか。ありがとう、卯吉。皆、無事だ。怪我はない」

 兄の言う通り、見知った顔ぶれに特段変わった様子はない。しかし、足元に異変がひとつ。畑には一間いっけんほど(約1.8m)の穴が開いていた。それを囲うようにして人々は集まり、ある者は好奇の眼差しを向け、ある者は憂慮している。

 やがてすきを持ってきた村民とともに、卯吉の兄――辰一郎しんいちろうは穴の検分を始めた。

 土を掘り進めると妙に暑い。降り注ぐ初夏の陽射しのせいばかりではない。足元からじりじりと蒸され、汗が流れる。

 そう深くないところに、それはあった。

「あつッ……!」

 ぬくもりと言うには少しばかり熱すぎるそれを、男たちはむしろで包み如何どうにか地上へ出した。

 大きさは七寸五分 (約23cm) ほど。平たい楕円形の石だ。全体が黒く焼け焦げてはいるが、よくよく見れば黒の中に陽光を反射する細かな粒がある。見る方向を変えるたびに数多の粒が煌めき美しい。感嘆の溜息を漏らす者すらいた。

 人々が注意深く視線を向ける最中さなか、石は、脈動するように青白い光を放った。臆病な卯吉などは腰を抜かしてひっくり返る。

 どよめく人垣。どうにも気味が悪い、人知を超えた物体。石の飛来は良くないことの前触れか。不吉。凶兆。招禍。不安は伝播し、誰ともなく発する。

「海にでも放っちまえ!」

 それを辰一郎が制した。

「待ってください。これは天からの授かりもの。きっと、妙見みょうけんさまが遣わしてくださったのです」

 光り物は不吉なものとして恐れられる一方で、崇拝を集めることもままあった。

 妙見信仰、あるいは北辰ほくしん信仰ともいう。北天に輝く不動の星・北極星を神格化し、拠り所とするものだ。特に、平安時代末ころから歴史の表舞台で活躍する千葉氏は、一族を守護する神として定めあつく信仰した。古くは千葉氏の所領であったこの地において、空より飛来した石を天降石として奉るのは自然なことだろう。

 加えて、辰一郎の立場と人徳。若輩ながらむら名主なぬしを務める彼を前にして聴衆は落ちつきを取り戻し、異を唱える者はいなかった。

 それでもなお不安げな視線を向ける卯吉に対して辰一郎は、まるで幼子おさなごをあやすように頭を撫でた。

「大丈夫。怖いものではないよ。妙見さまは私たちのことを見守ってくださるんだ」


 かくして天降石を納めるためのほこらを作り、この地を星宮ほしのみやとした。


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