7 お爺ちゃん。そんなもの食べて大丈夫?

 空を見上げる。七瀬屋を出たときはまだ低い位置にあった太陽も、今となっては傾き始めていた。


「はい。お茶持ってきたよ」


 布が外され、ただのちゃぶ台と化したコタツの上に茶が注がれた湯飲みが並べられている。

 注いできた張本人である氷華へと礼を述べると、氷華は興味なさげに視線を逸らした。


 東さんを薫子さんの元へ連れて行くべく裂界から戻って来たまではいいものの、肝心の東さんは眠っているようであった。

 氷華いわく東さんはこの数日間全く眠っていなかったらしく、しばらくは寝かせてあげて欲しいらしい。

 その様な事情なら仕方あるまい。コウと話合った結果、宿木ご一家に薫子さんの霊について伝えた上で、今後の方針を決めることにした。

 その結果今日の夕方までに東さんが目覚めれば、墓場の大木の元へお連れし目覚めなければ、後日お伺いすることにした。


「ありがとうございます」

「あのさ――」

「なんでしょう?」


 氷華が向かい側に座る。


「あんた、さっき私に『私の事嫌いなのか?』って聞いたよな?」

「えーと、気に障ったようでしたら謝罪します」

「別に謝らなくていいよ。そうやってすぐに謝るの辞めてくれない?」

「ごっごめんなさい」

「言い方を変えろって意味じゃない。こんな言い方したくないけどさ。あんた、少し変わっているというか……」

「そうですね」

「認めるなよ」


 出されたお茶を啜ったコウが首をかしげる。


「つまり梓の性格故に、接し方を決めかねていたと?」

「そういうこと。あの頃の梓はいつも何もかも見通している様な物言いをしていた。偉そうなくせに、いざ問いただしてみればいつも謝ってばかり」


 本当に全てを見通していたとは口が裂けても言えない。


「それ以上は口を慎め」


 コウが眉をひそめる。


「失礼しました。私は本音を話したかっただけだよ。喧嘩をしたい訳じゃない。ただあの頃はアンタのことが理解できなかったの。その結果、アンタを傷つけることばかり言っちゃった。それを謝罪させて。今まで本当に、本当にごめん」


 氷華はそう言って。頭を垂れた。

 学生時代の私からしてみれば想像しがたい光景だ。

 クラスのリーダ格であった彼女が素直に謝るなど。


「氷華さんもどうか謝らないで下さい。私は気にしていませんでしたから」


 気づけば私の口はそう返答していた。

 まぁ、実際彼女に対して嫌悪感を覚えたことは無いのだが。



*



「そういえば、ここは氷華さんの実家ですよね?」

「そうだよ」

「なら、今まで管狐を見たことは?」

「無い。無いけど――奇妙な体験ならしたことがある」

「奇妙な体験?」


 氷華と話し始めてから二時間。

 あと少し待てば空が鮮やかな青色から切ないオレンジ色へと切り替わる頃だ。暇を持て余した私達は学生時代の思い出話に明け暮れていた。


「たまに近所のあぜ道を歩いていると視線のようなものを感じるの」

「視線ですか。振り向いても誰も居ないとか?」

「そう。その通りだよ。振り向いても誰も居ないの」

「思い当たる怪異はいくつかありますね。例えば『びしゃがつく』とか」

「なにそれ?」

「福井県に伝わる怪異です。みぞれや雪が振っている夜道を一人で歩いていると後をつけて来たりします」

「なにそれ。ストーカーじゃん」


 氷華が目を見開く。

 怖がるのも無理は無い。

 そもそも宿木家が管狐がいる……即ちクダ憑きであることを考えれば、氷華も何かしら怪異に関する力を持っていても不思議ではない。

 少なくとも私のように裂界を『見る』力は無くとも『感じる』力はある可能性が高い。


「分かります。慣れない方からしてみれば怖いですよ」

「くそ。私にも見えるなら一発ギャフンと言わせてやるのに」


 氷華は怪異に対して好戦的であった。


「おぉ」


 彼女の威勢を見たコウも拍子抜けしたかのように口をパクパクさせている。

 氷華は握りしめた拳を、誰もいない方向へと振るった。まるでそこに怪異がいるように。


「ぎゃふぅん!」


 そして、誰も居ないはずの方向から老爺の叫び声。


「なんじゃ。なんじゃ。最近の小娘は荒々しいのう」


 殴った本人である氷華が声にならない悲鳴を上げた。


「隣にいる怪異が見えるのですか?」

「見えないけど……なんかいるのは分かる。あと、声も聞こえる」


 こちらの質問に対し氷華は困惑した表情で頷いた。氷華に見えていないということはここに現れた怪異は、本来裂界の中にいるはずの本体であろうか。


「ふぅ。寿命が十年縮んだわい。元々ワシに寿命なんて概念はないがのう」


 老爺は氷華に殴られた頬を優しくさする。


「ほう。先程いただいた『りんごあめ』は美味かったぞ。君は塞の神か」


 コウの質問に対し老爺――否、塞の神はゆっくりと頷く。

 塞の神。村や集落の境界にて疫病や厄災から人々を守る存在。ポピュラーな名前を挙げるならば道祖神か。

 道祖神といえば文字が書かれた石碑か、夫婦の像として飾られていることが多い。コウは老夫婦からりんご飴を貰ったと言っていた。つまり今目の前にいる老爺は道祖神の夫の方か。



「おや、兄ちゃん。ヌシからワシらと似た気配がするぞ。いや、少し違う気がするがの」

「塞の神って何? もしかして私神様殴っちゃった?」


 当たりを見回す氷華。

 それに対し塞の神は「ふぉっふぉっふおっ」と愉快そうに笑った。


「なぁに、この程度気にせんよ。最近は道路の改修だのなんだの、ワシらを撤去しようとする奴らが多くての」


 親切な神様御夫婦は時代の変化にさらされている様であった。

 

「賽の神は村の境を守る神です。たまに道ばたで夫婦の絵が彫られた石像を見かけませんか?」

「あぁ。この近くにもある」

「恐らくその賽の神です。ちなみにご本人は殴られたことに対してご立腹ではないのでご安心下さい」

「それでも面目ないというか……今度お供え物でも供えておこうかな」

「なるほど。私の実家は社家……代々神社を継いでいるのですが、確かお供え物には、野菜とか、米とか、御神酒とか、果物が使われていたと思います」


 今ではすっかり抜け落ちてしまった記憶をつなぎ合わせて実家にいた頃を思い出す。しかし数秒後これが無駄な努力であることに気がついた。


「ワシと妻は甘味が好きじゃ。特に『ざっはとるて』が食べたいのう」


 なぜ、道端に佇んでいるだけの神がオーストリア発祥のケーキを知っているのか。


「賽の神は甘味が好きとのことです。十円のガムでも買いましょう」


「待て待て」


 必死に何かを反論しようとする賽の神より先にコウが口を開く。


「賽の神よ。一つ質問しても良いか?」

「何じゃ?」

「どうして君はなのだ?」


 言われてみればその通りだ。

 道祖神には夫婦をかたどった像から名前だけを彫ったものまであるが彼の場合前者だ。妻に当たる方もいるはず。


「そりゃあワシだってたまには一人で出かけたいぞ。ここだけの話この家からは見目麗しい女人の気配がしてな。あぁ、彼女の無念はなんと悲痛なことか」


「それ浮気ですよ――あの、もしかして、その女性は薫子さんですか?」


「あの女の名までは知らんが、彼女の境遇はあまりにも哀れだ。かの男に何かをつたえようと足掻いておる」


「かの男?」


「ほれ、東という男じゃ。あの女は夫に何かを伝えるべく、執念の権化として怪異となった。ふむ。真に哀れじゃ」


 執念……。何かを伝える。

 どうしてだろう。何かが引っかかる。

 本当に薫子さんは東さんに仇なす怨霊であろうか。







 


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