私はお前のことが嫌いだけど

第1話

 高校三年の春。それは高校最後の一年の始まり。進路やらなんやらで忙しくなる未来を見据えて、私は切実に平穏を願っていた。


 しかし、だ。


 私はいま、放課後の社会科準備室にいる。

 本来であれば、さっさと学校を後にしてバイトに行ったり駅近のファストフード店で勉強をしたりしている。それがどうしてか、今の私は縁もゆかりもない社会科準備室で、部屋の隅に追いやられている。


 埃をかぶっている地球儀を一瞥してから、視線を正面に戻す。私の目に映ったのは、頭の高い位置で縛られているツインテールをさげ、返しのついた棘のように人の心を突き刺して離さない猫目と、全体的に可愛らしい顔立ちをした女子。

 妙に威圧感のある視線に気圧されて、私は生唾を飲み込む。

 社会科準備室の奥の壁にぴたりと背中をくっつけて、逃げ場である入り口方向はそいつによって物理的に塞がれていた。


 私をこの部屋に呼び出し、逃げ道を塞いでいるこいつの名前は、同じクラスの女子・大島彩蝶おおしまあげは

 クラスで――いや、学年で――ううん、この学校のヒエラルキーの頂点に位置する存在だ。

 大島彩蝶はアイドルのような可愛らしいルックスを持ち、圧倒的なオーラを放っているにも関わらず、誰にでも優しく接し、誰彼構わず愛想を振りまいている。大島彩蝶の周りには常に人だかりができていて、まさにこの学校のアイドル的存在だ。

 学校中の生徒や先生たちはみんな、大島彩蝶のことを好いている。恐らく、私を除いて……。


「わざわざこんなところに呼び出して……どんなご用件?」

 黙ったまま私のことを見つめてくる大島彩蝶を睨み付けて、あくまでも私は怯んでいないということを態度で示す。


 はっきり言うと、私は大島彩蝶のことが嫌いだ。


 誰彼構わず取り入っているくせに、ときどき面倒そうに目を細めるような仕草をする。その仕草が何を意味するのか……憶測の範囲でしかないけれど、あれは恐らく『見下し』だ。大島彩蝶にとって自分を取り巻く連中は、大島彩蝶を引き立たせるためのモブ、オーディエンスに過ぎない。

 あの他人を見下すような表情をうっかり見てしまってから、私は大島彩蝶が怖くなり、嫌うようになった。

 元々ああいう誰にでも愛想が良い手合いは苦手だったけれど、私は大島彩蝶が周囲の人間を利用して自己肯定感を満たしているということに気付いてから、私の苦手意識はやがて嫌悪へと変わっていった。可愛いを演じている裏で、何を考えているのか分かったもんじゃない。


 私のこの気持ちに気付いたのか、今こうしてひと気のない場所に呼び出されている。どうせ私が露骨に嫌悪を態度で示しているから、そのことについて問いただしてくるんだろう。


 大島彩蝶は久しぶりの瞬きをすると、ふっと鼻から息を吐き、口を開いた。


「あたしたち、付き合ってみない?」

「………………は?」


 意味が解らなかった。理解不能だった。同じ言語で会話をしているはずなのに、大島彩蝶の言っていることの意味が理解できなかった。

 思いもよらない言葉を聞いて、私は訝しみながら、眼球を動かして説明を求めた。


「聞こえなかったの? あたしたち、付き合ってみない?」

 大島彩蝶はやれやれと言わんばかりに、もう一度繰り返した。


 ちげーよバカ。聞こえなかったんじゃなくて、言葉の意味を説明しろってことだよ。


「なんで?」

 今度は目ではなく言葉で訊いてみる。

 クラスの一軍の中心的存在で、うちの高校の頂点にいるような奴が、私に告白をする意味が分からない。

 男子に興味がないのだとしても、大島彩蝶の周りには可愛らしい感じの女子がたくさんいる。私は可愛いとは縁遠い風貌をしている。身長は高いほうだし、目付きが悪いし、人当たりも良くない。どうして取り巻きの可愛い女子ではなく、わざわざ私に――。


 大島彩蝶が言葉を発するのを待っている間に、私はその答えに辿り着いた。


「……なんかのいたずら? 告白系の罰ゲーム的な?」

 私の呆れるような物言いに、少し伏せていた大島彩蝶の視線がまた私を捉えた。ドキッっと、心臓が強く脈打ったような気がした。愛想を振りまいていない大島彩蝶の表情――主に目は、とても魅力的だと思った。しかし、それ以上に私は形容しがたい恐怖心を抱いた。


「そういうのじゃないって」

 少し不機嫌そうに大島彩蝶が言った。不機嫌になりたいのは私のほうなんだけど。

 それから、大島彩蝶は軽く咳払いをすると、萌え袖を口元に当ててから、私の元へと一歩二歩と近付いてきた。私の眼前にまで迫った大島彩蝶の頭頂部。顔を上げた大島彩蝶は、鋭い目付きで私のことを再び捉えた。自然と仰け反ろうとしたけど、踵と背中が硬い壁にぶつかって、自分が壁際まで追い詰められていることを思い出した。


夢月めるなちゃんのことが好きなの。わかってよ」

「………………」

 子猫のように目をきゅるるんと輝かせていた。

 好き……? 何が一体どういうこと? 

 ……ていうか、こいつ私のことを名前で呼びやがった。キラキラしてて、あんまり好きじゃないんだよな。


「わからない」

 私はぐっと目を閉じてから、再び開く。

「お前の言っていることの意味も意図も、何もかもがわからない。ていうか、私は――」

 その言葉の続きを言うか言わないか逡巡する。けど、いっそのこと、私の気持ちを伝えてしまったほうが、今後を考えればいいかもしれない……。


「――私は、お前のことが嫌い」

 はっきりと、何の濁りも淀みもなく言葉にした。


 誰にでも愛想を良くして取り入って、他人という存在を、自分を目立たせるための道具としか思っていない大島彩蝶のことが、私は嫌いだ。


「………………そう」

 棘を乗せた私の言葉に傷ついたのか、大島彩蝶は視線を落とした。

 さすがにはっきりと言い過ぎた。落胆しているように見える大島彩蝶の表情は、私の良心に訴えかけてきた。


「ごめん、無神経すぎた――」

「だろうね」

 私の謝罪を、大島彩蝶は遮った。

 妖しく薄ら笑いを浮かべ、細めた目で私を見ていた。

 こいつ、やっぱり私をからかってた。大島彩蝶は、確実に裏の顔を持っている。それも、常人とは比べものにならないほどに、表と裏に深く恐ろしい乖離がある。


「知ってるよ。夢月ちゃんがあたしのこと嫌いなの」

 また私の名前を呼びやがった。

「苗字で呼べ」

 たまらず、私は大島彩蝶に指摘をする。

「不思議でしょ? 嫌われているのを分かっておきながら、どうして夢月ちゃんに告白したのか」

 私の指摘をガン無視して、大島彩蝶は冷え切った表情で続けた。

「でも、だからこそ、なんだよ?」

「……分かるように言ってくれない?」

 元々嫌いな奴なのに、回りくどい言い方でさらにイライラしてきた。その苛立ちが私の強い語気に現れ出た。


「夢月ちゃんだけだから」


 大島彩蝶は声のトーンを落とした。耳にしたことのない大島彩蝶の低音を聞いて、ぞくりと背中に寒気が走る。まるで、とんでもなく怖い話を聞いたときのような……。


「この学校で……ううん、今まで生きてきたなかで、こんなにも露骨に私のことを嫌悪している目で見てくるのは、夢月ちゃんが初めて」

 目を細くさせ、全てを見透かしたかのような視線を向けられて、私はつい大島彩蝶から目を逸らした。


「もしかして、バレてないと思った? あんなに熱い視線で見られたら、そういうのに敏い私だったら余裕で気付くよ?」

 逸らした視線の先に、上半身を左に反らせた大島彩蝶がちょこまかと現れる。

 そこまであからさまに大島彩蝶のことを見ていた憶えはない。ただ、周りをよく見ていそうな大島彩蝶なら勘づいてもおかしくはない。


 だとしても、だ。


「なら、なんで告白してきたわけ? 嫌われてる自覚があったんでしょ?」

 反抗的な口調で、大島彩蝶を睨んだ。

 詭弁はいいから、さっさと罰ゲームの一環ですって言えよ。


「前に何回か、夢月ちゃんに話しかけたこと、あったよね」

「そんなことあったっけ」

 大島彩蝶は全然怯まない。それなりに身長が高くて、目付きが悪いとよく言われては避けられている私の威圧に、全く動じていない。流石は学校のアイドル――なんて感心している場合じゃない。

 もちろん、大島彩蝶に話しかけられたことは覚えている。けれど、お前のことなんか気にも留めていないということをアピールするために、私は素っ気なく嘘の返答をした。


「そもそもの話、あたしに話しかけられて嬉しくない人って、基本いないんだよね」

 大島彩蝶のことを何も知らない人が、この言葉を聞いたら、辞書にある『傲岸不遜』の説明に、大島彩蝶の名前を付け足すだろう――。

 ただ、それは違う。

 普段は全く傲岸でも不遜でもない。誰にでも優しくて、愛想がよくて、おおらかで、無邪気で、純粋だ。

 事実として、大島彩蝶に話しかけられて嬉しくない人はいない。

 認めたくないけれど、私もそうだった。

 大島彩蝶がどんな人間か知らないとき、「浅井さん、おはよっ」と、面と向かって挨拶をしてくれたことがある。

 もう本当に黒歴史でしかないんだけれど……正直、ドキっとした。少しだけ、アイドルにハマる人が理解できた。

 大島彩蝶に対して嫉妬している人でさえ、大島彩蝶と関わればイチコロだ。非の打ちどころがない完璧超人なのに、誰に対しても優しい人格者(外面だけど)。すぐに取り込まれて、大島彩蝶という人間の権威を示すピースとなる。

 大島彩蝶の素顔を覗き見てしまってから、私は大島彩蝶に話しかけられても、素っ気ない応対を意識した。


「…………でもね、夢月ちゃんだけは違った」

 少し間を空けてから、大島彩蝶が続けた。


「虐げられた小動物みたいに、あたしのことを睨み付けてきた」

 今みたいにね、と付け足しながら、大島彩蝶は笑みを零した。

「それで、夢月ちゃんのその顔を見たとき、こう思ったの――」

 大島彩蝶は右手で私の頬に手を添える。


「――夢月ちゃんをあたしのものにしたいって」


 ぐいっと口角を上げて、したたかに笑う大島彩蝶には、みんなのアイドルとしての大島彩蝶は、欠片も存在しなかった。

 同時に、私は心の底から恐怖を感じた。

 私が勝手に想像していた『裏の顔』なんかよりも、もっとずっと、歪んでいたのだから。


「だから、あたしのものになって?」

 今度は、大島彩蝶の瞳孔が開く。怖すぎる……。

〝だから〟の意味が分からないけれど、私はここで、大島彩蝶に対する認識を改めた。

 歪んだ自己顕示欲を満たすために、誰彼構わず取り入って、自らを彩るために、他人を花吹雪に仕立てる女――ではなく――。

 従順な奴も、反抗的な奴も関係なく、自らの支配下に置きたがる、底知れぬ自己顕示欲と支配欲を持った女だ。


「…………っ」

 私は頬に添えられた手を乱雑に振り払ってから口を開く。


「……意味わかんねーよ。私はお前のものになるつもりなんてない」

 大島彩蝶に押し負けないよう、私は力強く宣言した。

「夢月ちゃんこわーい。やっぱり、ヤンキーなんだね」

「ヤンキーじゃねえって!」

 今まで生きてきて何度もヤンキーだと揶揄われてきたのと、大島彩蝶の舐め腐った態度のせいで、私は怒鳴るように訂正した。いつしか本当にヤンキーになってしまいそうだ。

「ま、いいけどさ」

 予想とは違って、大島彩蝶はあっさりと引き下がった。かと思いきや――。

「あたし、熱狂的なファンがいるの。その人たちに、『夢月ちゃんにいじめられた』って言ったら、何をするのかな?」

「…………脅すのかよ」

「そんなつもりはないよ」

「そんなつもりしかないだろ」

 低い声で唸るように言った。

 大島彩蝶に熱狂的なファンがいるのは、簡単に想像できる。そういう、いわゆる〝熱狂的な〟人たちは、自分の信仰対象が攻撃に遭ったと知ったら、何をするかわかったもんじゃない。


「………………」

 眉間に皺を寄せ、反抗的な態度を向ける私を見て、大島彩蝶は恍惚な表情を浮かべた。

「あたし、やっぱり夢月ちゃんのこと、好き」

 またしても告白をしてきた。

 嬉しいとか嫌だとか以前に、表情も相まって、不気味で仕方がなかった。私は、とんでもない奴に目をつけられたのかもしれない。


「……私は、お前のことが嫌いだ」

「うん、知ってる」

 顔を合わせて、何度「嫌い」だと伝えても、大島彩蝶は全く動じない。それどころか、嬉しそうに見える。


 これが、みんなの知らない本当の大島彩蝶。

 一体どれだけの人が、この大島彩蝶を知っているんだろう。

 大前提として、私は大島彩蝶のことが嫌いだ。

 でも、それよりも――。

 私は、大島彩蝶に、同情のような……放っておけないと思うような、不思議な感情を抱いていた。どうしてだか、大島彩蝶は繊細さの欠片も無さそうだけれど、少しでも触れたら割れてしまうガラスのような感じがする。


 そして、その根拠不明の感情と同時に、私は大島彩蝶のことが怖いと思った。

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