第8話 為すべきこと

夏鈴の元へ着いた白菊は、再び夏鈴を優しく抱き起す。

 

「おい、大丈夫か! 夏鈴!」


 瞳を閉じていた夏鈴は、その呼びかけに瞼を開く。

 

「う、うん……へへ……頑張って生きてたよ……」


 死ぬために頑張って生きるなんて……なんて皮肉だ。

 

「ねぇ……? そういえば私、葬儀屋さんの名前、聞いてなかったな……」

「そんなこと、今は……」

「良いから、教えて?」

「……白菊だ」

「へへへ。白菊さんかぁ……葬儀屋さんにぴったりな名前、だね」

「あんまりしゃべるな」

「イヤ。だって……今しかないじゃん、白菊さんと最後に話せるの」

「そうだが……」

 

 白菊は止めきることが出来ずに黙り込む。痛みよりも白菊との会話を優先する夏鈴。ほんの少し沈黙した後に、夏鈴が口を開ける。

 

「私ね、白菊さんのこと……好きになっちゃった」

 

 予想もしない言葉に目を見開き、言葉が出ない白菊。

 

「お、お前……」


 それが、やっとのことで絞り出した言葉だった。

 

「そこは……名前呼んでよ」


 先程呼んだが、夏鈴は意識が朦朧もうろうとしていたためか、覚えていない。こうして呼んでと言われて呼ぶのは気恥ずかしい。少し、目線を外した。

 

「そっか……失恋かぁ。初恋は実らないって、言うもんね……」

 

 その気持ちにどう応えればいいのか分かりかねて居たら、失恋ということになってしまった。

 

「でも、最期に出逢えたのが、白菊さんで良かった」


 いつも通りに儚く微笑む彼女は、やはり美しかった。

 

「……そろそろ、眠いや。言いたいことも言えたし。葬儀屋さん、お願い」


 白菊は無言で夏鈴を寝かせ、刀を手に取った。膝で立ち、柄を両手で掴み、刃を夏鈴の心臓の上に持ってくる。後はもう、そのまま突き刺すだけだ。


 しかし、一向に白菊は刀を降ろさない。不思議に思った夏鈴は、閉じていた瞼を開ける。そこには手が震え、刀さえも震わす白菊の姿があった。夏鈴はゆっくりと、負傷していない方の手で白菊の頬を撫でる。

 

「白菊さん」


 名前を呼ぶと下を向いていた白菊の顔が、夏鈴の顔を捉える。その顔はあの時のように儚い微笑みで、且つ縋るような願うような、苦心を帯びた表情だった。

 

 トラウマの再来に怯えていた白菊は、自分の為すべきことを思い出したかのように目を見開く。自分で夏鈴をここまで導いておきながら、トラウマで出来ませんでしたじゃあ葬儀屋としても、夏鈴に対しても面目が立たない。そんなのは嫌だ。

 

 白菊は夏鈴の手を上から優しく包み、剥がす。そして、その手をゆっくりと夏鈴の横に戻す。夏鈴がもう一度目を閉じるのを確認し、刀を構える。

 

 ――これは、俺の仕事。俺の為すべきこと。たとえ誰かに責められようと、依頼人本人の意思を尊重し、為すべきことを遂行する。たとえ愛するものを、二度この手で殺めようとも。それがお前の願いなら、俺は願いを叶えるだけだ。

 

 俺は優しく、かつ迅速じんそくに刀を下ろした。夏鈴の胸からは大量の血液が溢れ出す。血液の暴動に、夏鈴の口からも血が出てくる。夏鈴は白菊を見上げながら口を動かす。その言葉は声にならなかった。白菊を見つめていた瞳から生気が消え失せる。キラキラと輝いていた宝石は濁り切ったビー玉のように朽ち果てた。

 

 先ほど自分から剥がしたまだ温かい夏鈴の手を再び手に取る。しかし、反応する気配は当たり前のようにない。そんなこと分かりきっているが、この愛する者を亡くした虚無感はいつになっても慣れない。慣れてはいけない。

 

 手に取った夏鈴の手を握りしめる。先ほどまで自分を鼓舞していた緊張感が、破れて溢れる。瞳からは熱された涙が次々と生成され、夏鈴の手の甲に落ちては流れる。ただ、嗚咽おえつした。

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