第4話 白菊の過去

『怨霊に身体を乗っ取られるんだって。怖いね~』


 今とは比べ物にならないほどに広い実家の居間に置かれている4Kテレビを眺めている高校生の頃の俺と幼馴染の春音の姿が思い出される。自分には起こらないだろうという、人間特有の謎の自信でもあるのか、まるで他人事のように話す春音。

 

『ねぇ、もし私が怨霊に身体を乗っ取られちゃったらさ、白菊が私を解放してくれない?』

 

 いたずらに微笑む春音は冗談で言っているのか分からない。俺は当時、冗談だと受け取って軽く受け流した。日常的に春音はそうやって俺を弄ることが多いからだ。

 

 でも少しだけ、春音の笑みの裏にあった儚さ……人生を諦めたような……そんな雰囲気を感じた。しかし、俺は気の所為としてあまり気に留めなかった。

 それが、いけなかった。春音からのSOSを見逃したのだ。

 

 いや、そもそもSOSなどではなく、乗っ取られる運命を受け入れ、かつそれに抗ってみせようとしたのかもしれない。そうやって自分を正当化しなければ、俺は春音の苦しみに気付けなかった自分にどうしようもなく怒りが湧いて出る。

 

 俺がそう嘆く通り、あの会話をした日を境に春音は心労でみるみるうちにやつれていった。原因は怨霊による呪いのせいだった。怨霊は身体を手に入れるためにわざと死期を近づける真似をした。


 そいつが俺の決めた階級的に上級に当たる、強い力の持った怨霊だったからか。隠れるのが上手かったのか。俺は全くもって怨霊の存在には気が付かなかった。


 俺は悲劇を未然に防ぐことが出来ず、事は起こった。俺が学校の部活から帰って来ると、家に遊びに来ていた春音がひょっこりと玄関に顔を出した。

 

『白菊―! お帰り! 部活お疲れ~』

 

 ずっと心労でやつれていた春音は何事も無かったように元気に姿を現し、目を疑った。


 春音の様子は勿論、ある特有なものが俺の目を疑わせたのだ。それは霊媒師一族の者が目にできるもの。邪悪なオーラ――怨霊のオーラが、春音から漏れていた。それは春音が、怨霊に身体を奪われた何よりのサインだった。

 

『お、お前……』

『ん? なぁに、白菊』

 

 その仕草や話し方は春音そっくりで、もし自分が霊媒師一族の末裔では無かったら、力が無かったら……そう考えるだけで全身に虫が這ったように悪寒がした。そんな俺を目覚めさせるように、ある言葉が脳内を反芻した。

 

『ねぇ、もし私が怨霊に身体を乗っ取られちゃったらさ、白菊が私を解放してくれない?』

 

 春音からの願い。それが冗談でも、俺は叶えるべきだと自分に覚悟させた。身体を解放するには、怨霊を成仏させなければならない。人の身体に入った怨霊は外からの浄化では、人間の肉体に阻まれて浄化の力は届かない。かと言って怨霊を身体の外に出すのは至難の業。悠長ゆうちょうにやっていたら春音の身体で悪さをしかねない。

 

 ならば――アレしかない。


 俺は怨霊の真横を通り抜け、ある一室に入る。怨霊に名を呼ばれるが、悪寒やら諸々を無視し、あるものを手に取る。カチャリと静かに鳴った。

 

 それは家に代々伝わる『鎮魂たましずめの刀』。俺の父親なんかはこれを使わずとも霊や怨霊を祓えていた。しかし、俺は霊力がそれほど強くない。だから、この刀に頼る他なかった。

 

『どうしたの~白菊?』

 

『鎮魂の刀』を背に隠し、俺は春音――もとい、怨霊と向かい合った。

 

『お前は、誰だ?』

『なぁに、急に? 春音だよ? どうしたの?』

 

 未だに春音に成り続ける怨霊に、俺は怒りを覚えた。

 

『クサイ演技も大概にしろ、怨霊』

『!! な、なによ。人のこと怨霊だなんて人聞きの悪い』


 拗ねたように顔を逸らす怨霊。ほんの少しだが、焦りが見て取れる。

 

『じゃあ俺がなんの一族か分かるよな』

 

 その虚勢を、春音の皮を、取り除いてやる。

 

『は? あ、当たり前じゃん! えっと……た、たしか……』

『答えられないか?当たり前だよな、お前に言った覚えは無いからな、怨霊』

『だ、だから、なんで怨霊なの……』

 

 ……春音。今、助けるからな。怨霊の化けの皮を剥がしてやる。

 

『だが聞いたことはあるはずだ、お前達は聞いただけで恐れ、戦く』

『ま、まさか……』

『そのまさかだ』


 俺は隠し持っていた『鎮魂の刀』を抜き、そのまま流れるように怨霊に斬撃を与えた。後退っていた怨霊は斬撃に背を向け、攻撃が当たるかと思われたタイミングで足を滑らせた。まだ人間の身体に慣れていないということだろう。運の良い奴め。


 こけた怨霊を仰向けに転がし、馬乗りをする。

今度こそは仕留める。目をギラリと見開き、急所を目で捉える。暴れふためく怨霊を左手で押さえ、心臓を一突き。ぶしゅりと鮮血が吹き出し、その紅は俺の手や頬に執念のごとくへばり付いた。


 怨霊は絶叫を上げたのち、身体は指一本も動かなくなった。その体から染み出た光の綿毛は家の壁をすり抜け、天へと昇って行く。怨霊を浄化し、ゆっくりと呼吸を繰り返す。俺の元に残るのは、血まみれた刀と、無残に横たわる春音の姿だけだった。


 この姿を見て今更恐怖する。血に塗れる刀。苦しみに悶えた春音の死に顔。春音の声で発された断末魔。すべては彼女のものであり、彼女のものではない。しかし、俺が春音を殺したのは紛れもないことだ。手にあった刀は金属音を鳴らし、床のフローリングを傷つけた。

 

『ああああああああ!!!』

 

外界からの情報をシャットアウトするように顔を手で覆い、出せる全力の声をただ放出させた。現実や悲しみ罪悪感を振り払いたかった。……そんなこと、叶うはずがないのに。


 いつしか顔から血が滲むほどに手に力を込めていた。血の存在を確認した途端、痛みが俺を襲った。俺よりも春音の方が痛いほど辛かっただろうに、そんなこと俺が言う資格はない。


 痛みのおかげで少し冷静になった俺は春音の上から退いて、手を合わし、追悼をした。春音の携帯電話を探し出し、発信履歴の最新の履歴の番号にかける。もしもしと、女性の声がする。特に普通の声色で、人物の特定はかなわなかった。

 

『自分、白菊です。春音さんの幼馴染の』


 そういうと、急に跳ね返ったかの如く興奮した声色で言った。

 

『あらやだ、白菊君!? 久しぶり! どうしたの急に』


 その声で俺は話し相手が誰か分かった。何も知らないおばさん。もとい春音の母親に無慈悲にも俺は告げた。

 

『……春音が、死にました』

『……え?』


 長い沈黙の末、絞り出したリアクション。なんでどうしてとパニックを起こす春音の母親に言う。

 

『説明は長くなります。とりあえず来てください、二時間以内に。でないと綺麗な娘さんを看取れなくなってしまいます』


 そういうと、春音の母親は何かを察したように覚悟して返事をした。「二時間以内」これは死者の身体がドロドロに溶けてなくなるまでのタイムリミットだ。

乗っ取られた身体は怨霊の霊力によって身体が保たれているから、中にいた怨霊がいなくなったり、怨霊の霊力が尽きたりすると身体は維持できなくなりドロドロに溶けてしまう。


 それが『その人自身で死ねなくなる』所以だったりする。

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