13.出鼻を挫かれる

 次の日。手伝いの手当てを精算してもらい、クレリアはコールハース家と共に八百屋の表へ出た。


「寂しくなるわね。娘みたいに感じていたのよ」

「いつでもご飯食べに寄りなよ。また手伝いをするのでもいいよ」


 クレリアはヘルダとラウラが作る料理が好きだった。お喋りしながらつまみ食いをする夕食のことも結局は楽しむようになっていたから、この家を離れるのが惜しかった。


「僕の方も君がいて助かったよ。もし士業の見習いをしたくなったらうちにおいで!」


 シモンは毎日一つはドジをするところがご愛嬌だった。しかし相談客の話を親身に聞く姿勢には学ぶべきところがあった。

 ブレフトは、とにかく寡黙だった。晴れの日は畑に向かい、雨の日は農業の専門書を読む真面目な人物である、ということ以外は不明であった。だがその居住まいから、クレリアを全面的に受け入れる雰囲気がなんとなく醸し出されていたお陰で、クレリアはこの家で安心感を得られていたような気がする。


「気をつけて」


 簡潔だが温かみのある言葉だった。

 クレリアは最後に皆へ深くお辞儀をした。


「お世話になりました」

「またね、クレリア!」


 朝、市場と町中の店が一日の最初の多忙を迎え、人々があちこちへ荷物を押したり引いたりしている中を、クレリアは縫うように通り抜けていった。コールハース家は、鞄を背負ったその姿が人混みに紛れてしまうまで、八百屋の表から見送り続けたのだった。



 クレリアは町の目抜き通りを進んだ。コールハース家は居心地の良い場所だったが、かれらと一緒にいればいるほど、自分の本当の家族への夢想ばかりが膨らんで、浸ってしまいそうになるのだ。だから振り返らなかった。

 今後の旅行計画は既に立ててあった。まず乗合馬車を使い、ウェールキという大きな街へ向かう。そこで馬車を乗り換え、北の山手にあるというアルメンへ向かうつもりだ。

 馬車はもう乗り場に停まって乗客を入れていた。時刻表の脇にいる御者にクレリアも話しかけて乗車賃を払い、幌を張られた馬車に乗り込んだ。

 中の向かい合う長椅子に数人が腰掛けている。仕事で向かうのか、四角い鞄を持った身なりの良い紳士や淑女が多い。かれらに倣い、クレリアもほどほどの間隔を保って席に座り、背負い鞄を膝の上に抱えた。

 背負い鞄の中身は聖宮を出た時からすっかり入れ替わっていた。聖宮で詰めてもらった食料はほとんどコールハース家にいる間に、忙しい朝につまんだり間食にしたりして上手く消費していた。残っているのは干し肉や乾パンなどの保存食で、非常食として取ってある。

 そしてスペースが空いた分、現金や多少の衣服の替え、そして王国大陸の地図が詰め込まれ、一番上には昼食の包みが載せられている。ヘルダとラウラが作ってくれた野菜と肉のパイだ。ウェールキに到着する昼の楽しみである。

 数分後、馬車は時刻表通り走り出した。

 ハニエの朝の賑わいが遠ざかっていき、馬車は町の門をくぐって街道へ出た。幌の出入り口が上がっていたため、長椅子の端に座っているクレリアは、この馬車が物を満載した商人の馬車を追い越していく様子や、日が刻々と高くなって木漏れ日が輝いていく経過を、余すことなく眺められた。

 他の乗客は、揺れる馬車の中で他にできることがないようで、目を閉じて休んだり、向かいの席の乗客とお喋りをしたりしている。クレリアの向かいのジャケットの男性も暇を持て余していたようで、声をかけてきた。


「いい天気になってよかったね」

「そうですね」

「この間の嵐はすごかったからね。次の日、この道に鉢植えが落ちていて驚いたよ。ところで、誰かに会いに行くの?」

「人を探しているところです」

「そう、それは壮大な旅だね。自分はウェールキに営業に行くんだ。お金持ちたちに宝飾品を売り込むのさ」


 街道は木立を抜けて平原を突っ切るようになった。清々しい空気の中、車を引く馬たちの足が心なしか軽やかだ。

 しかし、そこへ暗雲のように、草原に素早い影を落とす者が現れた。馬に乗った三人の男が後ろから馬車に追いつき、囲もうとする。


「野盗だ!」


 異変に気づいた御者は、すぐさま発煙筒を焚くと馬に鞭打った。だが車を引いている馬たちでは野盗たちの身軽な馬と競争するには分が悪く、あっという間に前後を固められてしまう。

 乗客たちは、馬車の後ろに馬を付けた荒くれ者がナイフを掲げたのを見て恐怖に陥った。馬車は為すすべなく減速して、とうとう停車してしまった。

 三人の野盗たちは御者を縛り上げた後、ニヤニヤと笑いながら幌馬車の中を眺めた。


「現金はもちろん、金目のものはぜーんぶ出しな! そしたら傷ひとつ付けないでいてやるよ!」


 真ん中の髭の男が叫ぶと、乗客たちは財布や身につけていた指輪や腕輪、懐中時計、ボタンなど、価値のあるものを全て放り出した。クレリアの向かいの男性も、泣く泣く鞄の中身をひっくり返した。

 野盗たちは輝く小山を眺めて笑顔だったが、ふと左の中折れ帽の男が気づいてクレリアを指さした。


「お前、なんにも出してないだろ?」


 指摘の通り、クレリアは鞄を抱えたまま微動だにしていなかった。


「はい」

「聞こえなかったのか? それとも命知らずなのかぁ?」

「売るものがあるならお金を出します。ただし正当な価値があるものにしか出しません」


 野盗たちは世間知らずそうな少女の言い分に目をぱちくり瞬いた後、わっとだみ声で大笑いした。右のスカーフの男が指を振る。


「お嬢ちゃん、これは訪問販売じゃねぇよ? お嬢ちゃんは俺たちに脅されてて、自分の命を買わなきゃいけないって状況なんだよ?」

「でもまだ脅されてませんよ」


 クレリアは強がって言い放った。

 自分で稼いだ大事な旅費を簡単に渡すわけにはいかなかったし、やはり彼らの主張は納得できなかった。

 それに秘術師にとって刃傷沙汰は敵ではないのだ。秘術の法則上、自分は無理だが、他人の傷なら治してやれるので、刃物を見せられただけでは脅しにならないのは半分事実だ。感じる恐怖を度外視すれば、の話だが。


「……この小娘ぇ……」


 帽子の男が持っていたナイフをまた掲げようとする。それを髭の男が止めて言った。


「この娘も連れていくぞ」

「なにぃ? どうしてだよ」

「俺分かったぜ。財布を渡したくない奴は、財布と添い遂げさせてやりゃあいい。そういうことだな、兄貴?」

「くっちゃべるのは後にしな」


 野盗たちはクレリアを馬車から下ろして縛り上げた。巻き上げた金品も、ズタ袋に入れて一緒に馬に乗せると、その場を走り去ったのだった。

 クレリアは理不尽にさらわれ、旅行計画を台無しにされ、野盗たちに腹を立てずにはいられなかった。だが抵抗しなかったのは、腕力を前にして自分が非力だと理解したからだ。こんなに悔しいことはなかった。

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