第一章 再出発

04.荷造り

 追放刑が効力を発揮するまでに数時間の猶予が与えられた。アレッシアは拘束を解かれたので、荷物をまとめるため聖宮に戻った。

 聖宮は、国王付き秘術師の聖女とその付き人である女性聖職者だけが入れる場所で、聖女の礼拝堂であり寝所であり、かつ研究所である。

 女司祭たちは戻ってきたアレッシアに駆け寄ってきたが、一様に何を言えばいいか分からないという悲痛な顔だった。他人が心を痛めてくれていると思うと、アレッシアはむしろ落ち着いてきて、蘇生術のガウンを脱いで彼女らに預けた。


「荷物は最低限にと言われたので、研究は全部置いていきます。お昼ご飯は外で食べるので何か用意してくれますか?」

「はい、只今……」


 一人がか細い声を残して厨房へ小走りに向かった。残りの三人と一緒に、アレッシアは自分の部屋に入った。

 クイーンサイズの天蓋付きのベッドをあと二台は置けそうな広い部屋だが、書き散らしたメモやノート、参考文献などが散らばっているせいで、足の踏み場は僅かだ。それに、ソファとテーブルを壁際に追いやって空けた部屋の中央には、ノートの千切ったページを繋ぎ合わせて描いた蘇生術式陣の原案が広げてある。

 時間に余裕はないのに、アレッシアは最後に部屋を片付けたくなって、メモを束ね、ノートや本を元の場所に戻し始めた。司祭たちは黙って手伝った。

 蘇生術式陣のページも拾ってまとめ、それを片付けようと机の引き出しを開けたところ、彫刻の美しい木箱に目が留まった。手紙を入れている箱だ。

 久しぶりにその中身を見たくなって蓋を開けた。手紙はもうすぐ箱から溢れそうなほどあるが、差出人は全て同じだ。


『アウロラ修道院 院長ルピナス・クィニー』


 その丁寧な文字を見ると、アレッシアの内に懐かしいような悲しいような感情が込み上げてきて涙が溢れた。司祭たちは驚かなかった。皆で包み込むようにアレッシアに寄り添い、落ち着くのを待った。


「……修道院に戻ってみます。あそこが私の家だと思うので……」

「長く歩ける靴をご用意しましょう」

「ありがとう。ここに来た時に持ってた鞄はどこでしたっけ?」


 クローゼットの隅から麻紐を編んだ肩掛け鞄が出された。日記帳とリボン一巻き、それから有り合わせの端切れやボタンで作られた熊のぬいぐるみを入れるといっぱいになる程度の小さな鞄だ。最初の私物であるそれらを本棚や戸棚から集め、手紙の箱と一緒に鞄へ詰め込んだ。

 次は着替えをした。四年前の修道服は背丈が伸びた今ではサイズが合わないため、代わりに休日のための普段着に袖を通した。アレッシアは滅多に街へ出かけず、お洒落へのこだわりがなかったため、これは司祭たちが用意した当たり障りのない服だ。休日の楽しみというと読書や聖宮周辺の散歩、そしてその途中で風に乗って聞こえてきた王宮の音楽に耳をそばだてることだった。人里離れた場所で育ったので、その程度でも都会の喧騒というものに十分浸れたのだ。

 司祭が頑丈そうなショートブーツを持ってきたので、それを履いて靴紐を結び、姿見の前に立った。シャツと長いスカートを着たどこにでもいそうな十七歳の少女が映っている。最後に肩掛け鞄を斜めに掛けてドアへ向かった。

 振り返って改めて見てみた部屋を、信じられないほど広いと感じた時、ふと、四年前この部屋へ案内された時も同じ感想を持ったことを思い出し、自分の価値観が変化していないことを嬉しく思った。修道院で見送られる時に散々、聖宮で女王様みたいに扱われても謙虚さを忘れないように、と忠告されて来たのだ。

 変わらなかった自分を修道院の皆も喜んでくれるといいと思ったが、すかさず追放刑という現実がそういう気分を打ち砕く。アレッシアは置き去りにするように部屋を離れた。

 玄関ホールに戻ると、昼食を頼んでおいた司祭がパンパンに膨らんだ背負い鞄を抱えて待っていた。


「何日分のお昼を詰めたんですか?」

「三日分の食料です。上の方からお召し上がりください。下には保存食を入れております」

「ありがとう……後で他に何が入っているか見てみます」


 鞄は背負うとちゃぷちゃぷと水の音がして、見た目通りに重たかった。

 準備は整った。玄関扉を自分で開けて外へ出ると、太陽に照らされている花いっぱいの庭園は、白い光晶灯こうしょうとうが多い聖宮の中と比べると極彩色に見えた。暖かで気持ちの良い日だ。

 門へ向かって庭園を歩いている間に、司祭たちは一人また一人と鼻をすすり始めた。アレッシアにとって彼女たちは四年間身の回りの世話をしてもらったり、時には談笑したりして一緒に暮らしてきた存在だ。しかし年上の彼女たちがこんなに感情を出したところを見るのは初めてだった。

 感化されたアレッシアは目を少し潤ませ、門の手前で体ごと振り返る。


「皆さん……今までたくさんお世話になりました。ありがとうございました」


 聖女になってからは王族と同等に扱われていたので、人にお礼を言ったのは久しぶりだった。普通の人に戻った実感がしたが、司祭たちはアレッシアに頭を垂れた。


「こちらこそ、アレッシア様……」


 皆は言うべき言葉が見つからないといった様子でいっそう泣いた。アレッシアも掛ける言葉が見つからず、諦めて門へ向かおうとした。その時、司祭の一人が叫ぶ。


「こんな仕打ちはあんまりです! 貴方様は何もお悪くないのに!」


 他の皆が彼女の口を塞いだ。

 裁判所の判決へむやみに反対すると、王国法を侮辱したと見做されて捕まることがある。しかし司祭たちは仲間を守っただけではなかった。アレッシアへ向き直ると、涙を拭いて笑顔を見せたのだ。


「お気をつけて行ってらっしゃいませ……」


 それはまるで新たな門出を祝福してくれていた。アレッシアは刑罰に追い出されるのではなく、聖女という役柄から自由になるだけなのだと言わんばかりだった。

 目が覚めた気分になり、アレッシアは自然と柔らかい表情になった。


「はい。皆さん、お元気で」


 そして甘い風に吹かれ、門を跨いで街へ下っていった。

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