02.死者蘇生術

 アレッシアは強風吹きすさぶ屋外の廊下を渡り、王宮の隣にある警備隊の詰め所に連行されて地下の牢屋へ来た。暗くて湿っぽく、寝床として藁が積み上げられている他は何もない粗末な場所だ。警備兵はアレッシアのために鉄格子の戸を開けた。


「聖女様、どうかお入りいただけますか」


 アレッシアは大人しく自ら檻に入ったが、警備兵の、命令されたから仕方なくやっているのだ、と言わんばかりの堅い恭しさには傷ついた。戸は静かに施錠された。


「……おい、正気を無くしたんじゃないなら、聖女様と聞こえたが、本当なのか?」


 どこかの檻が男の声で囁く。見張りの警備兵は反応しなかったが、声の主は勝手に納得した。


「とうとう王様が死んじまったってぇことだな? その責任が聖女様にあるなら、こりゃきっと処刑だな」

「静かにしろ」


 警備兵に一喝されると、声の主は引きつったような小さな笑い声を残響させた後に黙った。

 しかし今の話はアレッシアの耳にこびりついた。宰相ベルナールのあの冷徹さなら、処刑は王の死と釣り合いの取れる妥当な処罰だと訴えそうだ。

 地下牢の冷たさがローブから不快に染み込んでくる。アレッシアは居ても立ってもいられなくて檻の中をうろうろと歩き回ったが、やがてため息をつくと藁の上に腰を下ろし、蘇生術の失敗について考え始めた。

 理論を一から思い返し、術式陣を頭の中で諳んじる。あらゆる角度から見つめて、疑問をひねり出しては自問自答したりして、間違いがないかをつぶさに調べ、そして確信した――やはり完璧だ。だから、失敗という結果に打ち砕かれた理屈だとしても、無意味なものではなかったはずだ。

 今、アレッシアの勇気は論理的思考からしか得られなかった。四年間の王都での暮らしを王の治療と秘術の研究に費やしてきたのだ、駆けつけてくれる友人も居なければ、減刑を求めてくれる後ろ盾もない。嵐のような恐怖を凌ぐ心の避難所を作れるのは自分しかいなかった。


 一夜明け、王都の嵐は日の出の頃にはすっかり止んでいた。街路樹の枝葉や、どこかの窓から千切られてきた鎧戸などのガラクタが街中に散乱しているが、太陽にあまねく照らされると静謐そのものだった。

 アレッシアは檻の錠前が開けられる音で目を開けた。しかし一睡もしていなかったので、顔は疲労しており、目の下には隈ができていた。


「宰相閣下がお呼びです」


 アレッシアは檻を出て、警備兵の後に続いて外廊下を渡った。しかし来た時とは違う廊下だ。

 次の行き先は裁判所だった。大法廷には既に裁判長とベルナールが待ち構えていたが、他には誰もいない。アレッシアが証言台の前に立つと、裁判長がおもむろに木槌を叩いた。


「聖女アレッシア。あなたはステファン陛下への不忠義のためにここに呼ばれました。それを分かっていますか?」


 答えようのない質問だった。苦し紛れにベルナールを窺ってみたが、無関心そうに見えた。


「……はい」

「では証人、ドミニク・ベルナールさん。被告の行いについて述べてください」


 ベルナールが裁判長の横にある証人席に立った。


「昨夜、ステファン陛下の寝所でのことです。発作を起こして危険な状態にある陛下に対し、聖女は何もしませんでした。それどころか、死者を蘇生する方法があると嘘をつきました。結果は裁判長も既に御存知の通りです」

「つまり聖女は陛下を裏切った、と?」

「そうです」

「結構です。では判決を言い渡します。被告人、聖女アレッシアはその役割に期待される務めを十分に果たさず、ステファン王を見殺しにしました。よって処刑とします」


 この台本は夜の間に決まっていたのだろう。しかしアレッシアも同じく決めていたことがあったので、拳を握り、木槌が叩かれる寸前に声を上げた。


「私の蘇生術を試させてください」

「なんですって?」

「研究の成果を私自身で実験します。死者蘇生術は私が陛下に最後にできることの全てでした。その価値を計りたいのです」


 裁判長はベルナールに困惑の視線を投げた。アレッシアもそちらを強く見つめた。判断を迫られた宰相は、間もなく考えを終えて答える。


「いいでしょう。ただし、もし成功したとしても一度の死があなたの罪を償い切るわけではないと思ってください」


 アレッシアは黙って頷いた。

 今度こそ木槌が叩かれる。アレッシアは警備兵に連れられて、裁判所の敷地の奥にある処刑場へ向かった。宰相と、この例外的な処刑を見届けるため裁判長も同行した。

 古い石畳が敷き詰められている露天の広場は、雲のない爽やかな朝の空が見えているにも関わらず、なんとなく陰気で寒かった。中央に斜めの大きな刃を備えた断頭台が立てられている。まるで夜の嵐に吹かれてもびくともしなかったのではないかと思わせる不気味な存在感がある。

 ベルナールが呼んだ王宮の使用人が蘇生術のガウンを持ってきた。アレッシアはその刺繍がどこもほつれていないことを確認して、しっかりと羽織った。

 跪かせられ、丸い穴が空いている木枠に首を固定されながら、アレッシアは少しだけ震えた。しかしそれは夜の内に時間を掛けて理解し、納得してきた恐怖の名残が最後の抵抗をしたに過ぎなかった。

 執行官がレバーを引き、重たい刃が落ちる音を聞いた。

 しかし、次に気がつくと、アレッシアは処刑場に寝転んで空を見上げていた。手が動かせる。自分の首は確かに繋がっている。

 ――生きている。

 周囲がざわめき、誰かが悲鳴を押し殺し損ねたのが聞こえる。そこへ、恐る恐るといった様子でベルナールがこちらを覗き込んできた。


「私が正しかったですね」


 興奮して思わず微笑みかけると、ベルナールは目を見張って強張った。

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