和国かずのくに。それは大陸とは切り離された島国である。上代かみよの頃から恩恵を受けている「神秘」が残る一方で、和国の人々は大陸と交流を深め、その文化を吸収、消化した国風くにぶりの文化を築いていた。人々は文化の中心「みやこ」を形成し、今もなおその発展は留まることを知らない。

 だがしかし、一つだけ困ることがあった。

 人々の活動が一層盛んになり、神秘はこの営みの影響を受ける。その結果、京の外には人を害するような魑魅魍魎までもが跋扈するようになってしまった。

 国の中枢である朝廷では、未だこの問題を解決できないでいた。


「桜の大臣、この事態をどう思われるか」


「仕方あるまいよ。彼らは神秘の影響を受けている故、神祇の末席ともいえる。修祓しようにも、うかつに手を出してはならんのだ、橘の大臣」


「それについては神祇頭じんぎのかみからも見解をお聞きしたい」


「桜の大臣のおっしゃるとおりであります。我々も、どうしたものかと考えあぐねておりまして」


「では、魑魅魍魎共を神として祀り上げるのはいかがか」


「いやあ、それは数が多すぎるのではないか?」


「魑魅魍魎の類は京周辺だけの話ではありませんぞ」


「やはり祓う他ないのではなかろうか。人に害を及ぼすのだろう?」


 桜の大臣、と呼ばれた男が収拾のつかない会議に一つ息をついた。そして、つい、と隣の簾に視線を投じる。


すめらぎ、いかがいたしましょう」


 その問いかけに、皇は困ったように息をついたようだった。

 大臣たちは同時に重苦しい息を吐く。既に百年はこの問題と向き合っている。そろそろどうにかならないものか。


「その話、私も混ぜていただけませんか?父上」


 沈黙を破った人物は、会議の間の入り口に立っていた。


「おい、ここは殿上人以外が入ることは許されない場だぞ!」


「あれは……桜の大臣の、三男殿?」


「ああ、やんちゃ坊主、暴君等と呼ばれている、あの」


 無邪気な子供の用に目を輝かせている三男を見て、桜の大臣は頭を抱えた。


道晴みちはる……。一体何用だ。ここが厳粛な場であることを分かっているのか」


「分かっておりますとも。私は父上に忘れ物をお届けに参っただけでございます。ですが、聞こえてきたくだんの問題に対する案が浮かびまして、つい」


「……ほう。道康みちやすの三男坊、道晴、といったか。どのような案か聞かせてはくれないか」


 どこか面白がっているような皇の言葉に大臣たちはぎょっとする。

 道晴は、にやりと口端を吊り上げてこう言った。


「妖たちを盛大に饗応してもてなして、お帰りいただくのです!」






饗応きょうおう、とは、具体的にどのようなことを考えている?」


 橘の大臣が眉間に皺を寄せる。

 こほん、と道晴が咳払いをした。


「では、私が今考えていることを全てお伝えいたします」


 道晴が一歩分だけ、座したまま前に出る。


妖饗応あやかしきょうおう。京に入らんとする妖達を、京の門前でもてなし、満足してお帰りいただくという案でございます。もてなす方法は料理、管絃、舞楽などがよろしいでしょう。神々への奉納品と同類のものと考えていただくのが分かりやすいかと」


 ふむ、と大臣たちは思案する。


「そのもてなしとやらを、誰が主催するのだ?」


「勿論、私が。まずは試しに、一度宴を開いてみるのもありかと考えております。」


 皇の声が、明らかに興味を持っていることがわかる。国の統治者である彼が作り出す空気は、すぐに他の者達へ伝染うつるのだ。大臣たちまでもが、案に対して少し前向きになっている。

 父である桜の大臣、道康は額を抑えてため息をついた。


「道晴。それを実行するための資金はどこから出すつもりだ。料理を振舞うにしろ、管絃を披露するにしろ、まず京外に邸がいる。そして御馳走の材料、管絃の手配と奏者への給料」


「それについては、こちらが善処しよう」


 皇が応える。


「皇……!」


「よい。朕が支援したいと思っておるのだ。此度の道晴の妙案、実に興味深い。面白い息子に育っているではないか、道康」


 はは、ありがたきお言葉。と道康が平伏する。


「道晴よ。饗応に使用する食器や道具はこちらから用意しよう。饗応の邸を建設する手配もさせよう。なに、使わなくなれば関所なり衛士の常駐場所なりにすればよい。が……、それは少し寂しいではないか。必ずや、その妖饗応とやらを成功させて見せよ」


「御意」


 道晴は深々と頭を垂れた。






「で、大事に首を突っ込んだと」


「うん。まあそういうこと」


 午前の出来事を聞いていた短髪の少年は、呑気に答える道晴の胸ぐらをつかみ、ぶんぶんと前後に揺さぶった。


「まーたそうやってすぐなんでも首を突っ込みやがって!お前の後始末、今まで誰がやったと思ってるんだこのやろー!」


「安心しろ、八千彦やちひこ。今回は成功する気しかしない」


「何回も聞いたわっ、その台詞!」


 八千彦はずずい、と道晴に詰め寄る。


「お前。第一妖見たことあんのか?」


「小さいのしか見たことない」


「問題点大有りじゃねえか!」


 邸の女房たちが、賑やかな二人を微笑ましそうに眺めている。この二人がやいのやいのと騒いでいるのはいつもの事。家の者達はこれくらいでは動じない。


「あー!お兄ちゃん、また道晴様に向かって偉そうな口利いて!いけないんだー」


 廊下を通り過ぎようとした小袖の少女が、目を据わらせて八千彦を睨む。


「構わないよ、八千梅やちめ。俺が許してるから」


「ほら、道晴もこう言ってる」


「道晴様が許してても、これは礼儀の問題!見た目と人格とは裏腹に、結構高い位の人なんだから!それに対して私たちはお仕えしている立場なの!」


 どことなく棘のある八千梅の言葉に、道晴はぐ、と呻く。確かに齢十六の成人済み男性ではあるが、宮以外では童子のような恰好をしている。人格は自分ではいまいち自覚がないが、皆から暴君、お騒がせ者、藤家の問題児と言われる始末。


「ま、人格は行動力があることを妬んだ奴の評価と受け取っているけどな!」


「お前に振り回されている奴からの評価だよ」


 前向きな道晴に八千彦がぼそっと呟く。

 道晴。姓をふじという。この藤家は長らく皇、朝廷と密接な関係を持ち繁栄してきた有力貴族の一族である。現在、朝廷でも最高官位である「桜の大臣」藤道康ふじのみちやすの三男坊が、道晴だ。未だ妻を持たぬ彼は、母と姉、弟、妹たちと同じ邸で過ごしている。

 家付きの女房は二人ほどしか持たず、代わりに随身として八千彦と女房として八千梅の兄妹を雇っている。この二人は朽ち果てたあばら家で過ごしていた孤児であり、それを道晴が発見した、という経緯がある。

 三人が出会った際、道晴の第一声が。


「友達になろう」


 だったため、八千彦、八千梅はともに「なんだこいつ」と困惑したのだった。

 閑話休題。

 

「んで、饗応するのは良いが、いつやるんだ?」


「邸の手配が整ってから、というのは遅い。まずは事前調査と行くぞ!」


「はい!私はなんか面白そうなのでお供します!」


 八千梅は頼もしいな、と道晴がわしわしと頭を撫でる。で、八千彦は?と二人が問いかける。


「……行く。どこでやるんだ」


 道晴はおもむろに立ち上がり、胸を張って言いのけた。


「勿論。牡丹門外で」



京、牡丹門ぼたんのもん。外と内を隔てる四門の内の一つである。一番南に位置する牡丹門は文字通り赤く、一番大きい。

 人通りも多く、中へ入るためにはここの検問を通過しなければならない。

 道晴たちは門を通り抜け、道へ出る。京とは打って変わり、広大な草原と、水路、その間に敷かれた道が広がっている。もう少し離れれば各貴族が所有する田園とそれに携わる人々の集落が広がっていることだろう。

 夕暮れ時の人通りは少ない。代わりに、人ではない者たちで小路は賑わっていた。


「に、賑わってるって言っていいのか?これは……」


 八千彦がその光景に絶句する。京周辺をうろうろしている虫のような異形、ちらちらと道晴たちを見ている鬼、首のない馬や宙に浮かぶ髑髏、手足の生えた食器や楽器。


「噂以上の数だなあ……!これは朝廷が百年も手こずるわけだ」


「わあ……!あっちにも、こっちにも……!」


 どうしてこの二人はこんなにも目を輝かせているのだろうか。

 見たことのない魑魅魍魎に興味深々、といった様子の道晴と八千梅に、八千彦は一つ息をついた。

 

「なあ、本当にこいつらと意思疎通できるのか?」


「彼らは皆神秘から生まれた者達だ。会話はともかく、筆談なりなんなり、いくらでもやりようはある!」


「いや、そういうことじゃなくてだな……」


 八千彦はあたりの魑魅魍魎を見渡す。そもそも興味なく、通りすがっている者もいれば、明らかに獲物を見る目で様子を伺っている者もいる。あれは完全にこちらを「喰う」気だ。

 万が一の時があれば、道晴だけでも生きて帰さなければ。

 そんな心配をする八千彦をよそに、道晴は妖怪たちをじ、と眺める。そして、京に入りたそうにしている一匹の妖を見つけると、そちらの方へ駆けて行った。


「すまない、ちょっと尋ねたいことがあるのだが」


「……ナんだお前?」


「京に入りたそうにしていからな。理由を聞いても?」


 怪訝そうに眉を顰めるのは、白色の狼の妖だ。額には赤い不思議な文様と三つ目の眼が備わり、脚の毛が炎のように揺らめいている。道晴よりも二回りほど大きい狼は、赤い瞳で道晴を見下ろす。


「最近は山の食べ物が少なくてだナ、ここならたくさん食べものがあるだろう?だが、結界があるとは知らナんだ」


「ちなみに、食べ物とは何をお求めで?」


 狼はにやりと口端を吊り上げた。


「それはもちろん、肉に決まっていル」


「ほう、肉。確かに京には牛もいるし、他にも犬やら鳥やら鼠やら……」


 他には何があったっけな、と道晴は考える。


「人間も食べルぞ」


「ああ。確かに人間も例外ではないな!」


 狼は道晴の答えに、眼を瞬かせた。まるで何も気にしていないかのように。


「……人間も食べるぞ?いいのカ?」


「うん?まあ、確かに食べられては困るのだが、他人の食べ物にとやかく言うのは野暮というものだ。それが異なる種族であればなおさらよ。人ではなくともその種には種に伝わる本能や信じる文化があるのだしな」


 狼は想像と異なる反応に驚きつつ、少し不満げだった。


「お前、変な奴だナ」


「はは、よく言われる」


 その時、草むらの影から野犬に似た妖が五匹飛び出してきた。低く唸り声をあげている。


「……どうやら俺を食べたいらしい」


「こんなところに人間が居たら、そりゃこうなるゾ」


 白狼が呆れ交じりに息をつく。背後から近づいて来る気配が二つ。


「道晴!お前、ひとりでふらふらするな!」


「狼さん、こんにちは。主が御迷惑をおかけしております」


 八千彦が刀を、八千梅が弓を構える。その様子を見ていた白狼は、おもむろに立ち上がると、野犬と道晴の間に、立ちはだかった。一回りも二回りも、それよりも大きい相手に野犬は委縮する。


「去れ駄犬。この人間は俺の獲物ダ」


 がう、と威嚇する。その圧に、野犬の妖は一目散に逃げていった。


「おお。尻尾を巻いて逃げ出すとはまさにこのことか」


 道晴は感心したように、野犬たちが逃げる体を見送る。そして、白狼へ向き直った。


「貴殿には借りが出来てしまったな。ありがとう、助かったよ」


「お前は変な奴だが、面白イ。食べてしまうのももったいなイ」


 白狼はそう言うと踵を返した。


「食べ物がないならここにはもう用がないし、そろそろ帰る。家族が待っているからナ」


 道晴は白狼を制止した。


「ちょっと待ってくれ!せっかく京まで来てくれたのだ。手土産の一つでも持って帰ってくれ」


「手土産?」


 ちょっと待ってて!と言い置くと、道晴は京の中へ駆けて行く。その背を見て、取り残された八千彦、八千梅、白狼は互いに顔を見合わせた。




 走ること三分。家に戻ってきた道晴は、夕餉の支度で厨にいる母と女房に息を整えながら問う。


「母上、肉か魚はありますか?あと干果なども……」


「貴方が好きな鮎なら知り合いの方に沢山もらいましたよ?三十ほどだったかしら」


「十尾ほど私にいただけませんか?」


「ええ。構わないわ。食べきれないと思っていたから」


 道晴の母は鮎を十尾取り出すと、布に丁寧に包み、道晴に手渡した。


「道晴様、こちら桃の干果でございます」


「ありがとう。母上もありがとうございます」


「大丈夫よ。いってらっしゃい」


 道晴は一礼すると再び牡丹門まで駆け出した。門の奥には白狼と八千彦、八千梅の姿が見える。どうやら門まで移動していたようだ。


「待たせたな!これが土産の鮎だ、持っていくと良い。桃の干果もあるが、食べられるか?」


「ああ。食べられるが……いいのカ?」


 道晴は額の汗をぬぐいながら、笑顔で頷いた。


「勿論いいに決まっているとも。貴殿には助けられた恩がある。……そうだ、また是非京に来てくれないか?その時は今日のお礼に、ここで盛大にもてなしをさせてもらうぞ!肉も用意しておく!」


 自信に満ち溢れた道晴に、白狼は思わず噴き出した。


「っ、ははははは!中々面白そうナ誘いだ。お前、名前は何だ」


「俺は藤道晴という。皇より妖饗応の任務を任されたものだ!」


「そうか、道晴か。俺の名前は真神まがみダ。近くを通る際は、また京に寄らせてもらおう」


 白狼、真神は道晴に顔を近づける。道晴が少しだけ戸惑ったようにおずおずと手を伸ばす。真神はその手にそっと頬ずりをした。


「なるほど。これが貴殿らの挨拶か」


「また会おウ、道晴」


「ああ。またいつか」


 真神は跳躍すると、闇の中へと消えていった。ふう、と八千彦と八千梅が息を吐いた。


「まったく……ひやひやする……」


「真神さんと仲良くなれて良かったですね、道晴様」


「ああ。お前たちもついて来てくれてありがとう。もう少し調査したいところなのだが、どうだろう?」


 八千彦と八千梅は苦笑した。


「ついて行くという選択肢しかないだろ?」


「こんどは私も妖さんたちとおしゃべりしてみますね!」


 え。と八千彦が八千梅を振り返る。そうかそうかー。と道晴は呑気なものだ。


「情報収集は人手が多い方が良いですからね!ささ、道晴様、もっと妖のご友人を作りに行きましょう!」


「おー!」


「ちょ、八千梅!?」


 八千梅は兄を引きずり、話を聞いてくれそうな妖の元へ駆けだした。道晴はそのあと追いかけようとして、少しだけ真神のことを思い出した。白く、美しい狼であった。それに加えて思いのほか友好的で。


「……狼……真神……おおかみ、……大、神……」


 道晴は思わぬ答えにたどり着き、冷や汗を流した。


「……まっさかあ……」




―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ――――年、一月二十八日。

 事前調査成果

 遭遇者

 ・大鬼 八千梅が対話 目的は珍品の見物、楽の音を聞いてみたいらしい

 ・付喪神五体 八千彦が対話 舞を見たいらしい

 ・蜥蜴の妖 道晴対応 美味な料理求める

 ・首のない馬と武者 道晴対応 強いものを求めている。戦いたいか。

 ・姫の霊 八千梅が対話 生前のように誰かと琴を弾きたい


 ・白狼真神 道晴対応 肉を求めて京へ。家族有。いつか来るかも。来てくれたらいいな。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――



「ふう。こんなところかな」


 道晴は筆をおく。八千彦と八千梅は疲れて既に眠ってしまったようだ。大分振り回してしまったからなあ、と道晴は苦笑する。

 今記しているのは饗応の記録である。後には来客の記録と、対応と、結果を纏めようと考えている。第三者の視点も欲しいところだ。誰かに観察者として記録してもらうのもありだろうか。

 思考を、想像を膨らませるたびに期待と高揚感に満たされる。饗応場所が完成するのが楽しみだ。


「完成する前にもう少し調査を進めるか……。それに、今の所必要な人材は料理人と舞人と楽人。あとは……」


 思いつく限りの案と計画を紙に記す。気が付けば紙三枚に文字がびしりと並ぶほどになった。


「うーん……料理人かあ……」


 どこかに良い人材がいないものだろうか。大炊寮おおいのりょうあたりにならいるかもしれない。

 明日の出仕の合間に覗いてみるか。

 

「真神がまた来たときに、驚かせるようなもてなしをしないとな」


 少年、藤道晴十六歳。室内からもよく見える北斗の七星を見上げ、期待に胸を躍らせる。これが、妖饗応の始まりであった。


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