40. 恋愛指南【修了試験】

「先生、私の気持ちは知っているでしょう。先生が好きなの。父としてじゃなく、男性として先生を愛してる。だから、先生が辛いときに一緒にいたい。ううん、そうじゃなくて、私が辛いときは先生に一緒にいてほしい。どうしても、この気持ちは止められない。迷惑なら、そうはっきりと拒絶して。じゃなきゃ、諦めることもできない」


 私は先生に抱きついてキスをした。どうしても先生にキスをしたかった。拒絶されてもいい。今、求めなければ、もう二度とチャンスはない。


 すぐに引き離されると思ったのに、先生は私を突き放したりしなかった。それどころか、先生の手が私の頭を掻き抱いて、キスが次第に深まっていった。


 大人のキス。蕩けるような甘美な感情が、全身を駆け巡る。


「これ以上はダメだ。ティナ、今すぐにこの部屋を出ていってくれ」


 足に力が入らなくなって、その場に崩れ落ちた私を立たせながら、先生は絞り出すようにそう言った。


「嫌。私が去ったら、先生は伯父様のことを考えるわ。医者として正しいことをしたのかと、お母様のために道を間違えたのではないかと。きっとそう思って苦悩する。たぶん、それはこの先もずっと続くと思うけど、でも、今夜だけはそれを忘れてほしい」


「そんなことのために、君を利用させないでくれ。取り返しがつかないことになったら、僕の苦悩が増えるだけだ」


「私のために苦しんでくれるなんて、それはものすごく甘い誘惑だわ。愛されないなら、むしろ嫌われたい。無関心でいられるよりも、憎まれたほうがずっといい」


「ティナ、いい加減に……」


 先生が私の肩をつかんで、自分から引き剥がした。そして、私から目をそらすように後ろを向いてしまった。先生の荒い息遣いが聞こえる。ここで引いたら、一生後悔する。


 私は震える手で、着ていた部屋着の胸のリボンを解いた。簡単な作りの服なので、胸元が緩むと、そのままスルリと床に落ちた。


 布が床に触れた音で、先生は私のほうを振り向いた。貧相な体が恨めしいけれど、もうそんなことを言ってられない。


「先生、閨房指南の最終レッスンをして。これで私が先生を誘惑できたら、指南は修了。先生を解放してあげる」


 月明かりの逆光で、先生の表情は見えないけれど、その瞳だけはギラギラと輝いていた。これが男の欲望。先生は私に欲情してくれている。


 全身を舐めるように見つめられて、体中の血が沸騰するような熱を感じた。これが女の欲求。好きな男を前にすると、女の体はこうして発情するんだ。


 あっと思う暇もなく、気がついたときには先生に抱きかかえられていた。先生は寝室のドアを乱暴に開けて、そのまま私をベッドに押し倒した。

 暗闇で見上げる先生の目は爛々と輝き、私は狩人に狙われた獲物のように、動けなくなってしまった。


 ベッドサイド・テーブルの上に半分ほど残っていたポートワインのコルクを開けて、先生はそのまま一気に飲み干した。


「いいか。僕は酔っている。これは酒のせいの過ちだ。君は僕に襲われたんだ。いつか君の恋人に咎められたら、そう言って僕を告発してくれ」


 私は黙って頷いた。それが先生の免罪符になるのなら、私は黙って受け入れるしかない。それしかもう方法はない。


「先生。それなら、私にもお酒をちょうだい。未成年の飲酒で、泥酔した私は抵抗できない状態なの」


「ティナ、君は本当に飲み込みの早い生徒だ。今夜は修了試験だ。教えた技を使って、僕を落としてみせろ!」


 先生は口の中に残るワインを、自分の唾液に溶かして私の口内に流し込んだ。それは、お酒というよりは媚薬で、その強烈な威力に本当に正気を失うかと思ったくらいだった。


「これは悪い夢だ。明日になったら忘れる。いいね?」


 私がそれに頷くと同時に、先生は私に触れた。


 試験だと言うのに、今までに教えてもらったことは、何一つ思い出せなかったし、使うこともできなかった。ただ、情熱に押し流されるようにして、本能でそれを受け止めるだけで精一杯だった。


 明日になったら忘れてしまう悪い夢。先生はそう言った。でも、私にとっては一生忘れることのできない、忘れたくない甘く切ない夢。


 あの夜のことは、どの一瞬でも思い出せるくらいに、記憶の奥に刻みつけた。先生と愛を交わした、たった一度の夜。


 翌朝、先生が起きる前に、私は屋敷を後にした。王宮へ戻るというメモを残して、まるで何もなかったかのように。


 先生は酔いたがっていた。あれは現実ではないと思いたがっていた。昨夜のことは、先生に責任はない。気に病む必要もない。先生は私の願いを叶えてくれただけ。


 王宮に向かう馬車の中で、私は微かな痛みが残る下腹部に手を当てた。昨夜の行為が夢ではない証拠。このままずっと痛みが消えずにいてほしい。心だけじゃなく、この体にもいつまでも先生のことを覚えておいてほしい。


 無理なことだとは分かっていたけれど、私はそんなことをぼんやりと考えていたのだった。

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