25. 伯父様の死

 あの日、いつものように私が医務室でまったりしていると、アルフお兄様が飛び込んで来た。


「先生! 母上がっ。すぐに来てください!」


 お母様? どうしたの? 何があったの?


「アルフ、落ち着きなさい。王妃がどうしたんだ 」


「すみません、気が動転してしまって。帝国のアレクセイから火急の知らせが来たんです。伯父様が危篤だと」


「そのことか。僕のところにも、ついさっき連絡が来た。それで王妃は?」


「今すぐに帝国へ行くと。取り乱していて、誰も手がつけられないんです」


「国王陛下は?」


「重臣たちと協議中です。アレクセイは若いし帝位を継いだばかり。後ろ盾になっている伯父様に何かあれば、帝位を狙う者たちに襲われる危険がある。父上の援護が必要なんです」


「分かった、すぐに王妃のところに連れて行ってくれ」


「お兄様、私も行くわ」


「ティナ、頼む。今はサラ殿がついているんだが、母上は半狂乱だ。助けてくれ」


 お母様の部屋に近づくと、悲鳴のような声が聞こえた。


「離してっ。行かせて! 今なら助けられるのよ。お兄様が死んでしまうっ」


 サラさんと侍女たちがお母様を取り囲んで、必死に足止めをしていた。私たちが部屋に入ったのを見ると、侍女たちはお母様から離れて脇に控えた。


「先生っ、お兄様には聖女の癒しが効くわ。知ってるでしょう?  どんな病気も怪我も治せるのよ。きっと救えるわ。今すぐなら間に合うのっ」


 お母様は先生に駆け寄って、その腕にすがった。先生はお母様の腕を掴んで、静かに言った。


「今は妊娠初期だ。長時間の馬車移動は、母子ともに危険だよ」


「大丈夫よ、聖獣がいる。森に行けば、きっと力を貸してくれる」


「覚えてないのかい。アルフォンソ様のときに無理をした君を、ニコライ殿がどれだけ怒ったか。彼と約束しただろう。もう絶対にあんな無茶はしないと」


「もちろん覚えてるわ。でも、今回はお兄様の命に関わるの。早くしないと……」


 お母様の目には、アルフ兄様も私も映っていないようだった。今のお母様は、いつもの冷静なお母様じゃないんだ。


「無理だ。今の君には、あの頃のような力はない。命の対価には、もうなれないんだよ」


「そんなこと、やってみなくちゃ分からないわ。お兄様を救えるなら、なんだって……」


「バカなことを言うんじゃない。 それがニコライ殿の望みだと思うのか? 君は誰より彼のことを知っているだろう。君がそんなことをしたら、彼がどれほど苦しむか!」


 お母様は先生の言葉を聞いて、ほんの少しだけ正気を取り戻したように見えた。それなのに、無情にもその静寂はすぐに破られた。お父様から急ぎの伝言がもたらされたから。


「国王陛下より伝言。ニコライ殿下、病によりご逝去」


 その報告を聞いて、お母様は片手だけ先生の腕を掴んだまま、その場にへなへなと座り込んでしまった。まるで魂が抜けてしまったかのように。


「お母様、少し休みましょう」


 私がそう言って手を貸すと、お母様はなんとか立ち上がって、フラフラとドアに向かって歩き出した。


「母上、大丈夫ですか?」


 アルフ兄様がそう聞いたのに、お母様の耳には届いていないようだった。


「ニコ兄に会いに行かなくちゃ。きっと何かの間違いだわ。だって、話したいことがまだたくさんあるのよ。聞きたいことも。もう会えないなんて、そんなの嫌よ」


「ダメだ。今は休むんだ」


 先生の手がお母様の腕を掴んだ。お母様さまはその手を振りほどいたかと思うと、全身から銀色の光を溢れさせた。


 これが大聖女の癒し。話には聞いてはいたけれど、実際に見たのは初めてだった。これが稀代の聖女と呼ばれたお母様の力。


「無理をするんじゃない! 遠隔治療をするだけの力は、君にはもう残っていない。命を削るだけだっ」


 銀色の光に包まれたお母様を、先生が背中から抱きしめた。


「お願いよ。まだ届くかもしれない。治せるかもしれない。ニコ兄を呼び戻せるかもしれない」


「もう遅いんだ。ニコライ殿は逝ったんだよ。蘇生は不可能だ。それは神の領域だ。人間にはできない」


 先生に抱きしめられたまま、お母様は伯父様の名を呼び続けていた。銀色の光は徐々に弱まり、やがて消えてしまった。


「アルフ、陛下にできるだけ早く戻るようお願いしてくれ。サラは医務室から鎮静剤を持ってきて。ティナは侍女たちに指示を。陛下が来たら、すぐに休めるように」


 私たちは先生の言葉に従って、それぞれの役目を果たすために動いた。先生に抱きすくめられたまま、泣き続けるお母様を見て、自分の心が微妙に揺れるのが分かる。


 こんなときに嫉妬するなんて、私って酷い娘だと思う。でも、気持ちが勝手に黒い方へ動いてしまう。


 すぐにお父様が駆けつけて、お母様を抱きかかえるようにして寝室に入った。サラさんから鎮静剤を受け取ると、先生も二人の後を追って中に入っていった。


 サラさんと私は次の間で控えて、お父様たちが出てくるのを待つことにした。

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