10. 二人は夢で

「酔い覚めのせいかな。少し室温をあげようか」


「先生の体温がいい。すごく気持ちいい」


 私はそう言って、先生の腕をぐいっと引いた。予想外の動きだったらしく、先生はバランスを崩して私の上に覆いかぶさるような形になった。


「ティナ、寝ぼけているのか?」


「うん」


 私はそう言ってから、先生の脇腹から背中に手を這わせて、ぐっと自分のほうに抱き寄せた。先生は私を下敷きにしないように、横向きに体勢をかえてベッドに横たわった。


「先生、あったかあい。すごく抱き心地いい。いい匂い」


「ティナ、ダメだよ。離しなさい」


 先生の声は聞こえたけれど、何もかもが気持ちよくて、もう起きていられなかった。私は先生に抱きついたままで、シーツに沈み込んでいくような感覚に身を委ねる。


 愛してる。


 これは、私が言った言葉だった? それとも先生?  夢の中? 願望が夢に出てきたの? 眠くてもう目が開けられない。きっと、天国に行くってこんな感じなんだ。私はそのまま、眠りの淵へと落ちていった。


 翌朝、バスルームからの水音で目が覚めた。ああ、先生がシャワーを浴びてるんだ。起き上がろうとしたら、なぜかうまく力が入らなくて、体がふらりと揺れた。え、これって二日酔い?


 体は少し気だるいけれど、よく眠れたのか頭はすっきりしている。少しだけ筋肉痛のような痛みがあるので、もしかしたら変な体勢で寝てしまったのかもしれない。寝違えた?


 でも、起き上がれないほどではないし、むしろ気分はいい。先生がバスルームから出てこないうちに、メイドさんに朝の支度をしてもらおう。


 そう思って呼び鈴をならそうと、ゆっくり立ち上がったとき、私は鏡を見て驚いた。肌は昨日よりもずっとつやつやだし、瞳はキラキラと輝いている。唇は真っ赤で口紅がなんていらないくらいで、心なしか少し腫れていた。


「うそ。アルコールのせい? それとも、ワイナリーでのキスのせい?」


 明らかに、噂に聞いていた女性ホルモンとやらの仕業だと思われた。すごいわ! 今日の私はかなり色っぽい。自分でも美しくなったと思う! 恋が女を綺麗にするって本当になんだ。


 自分の体からポートワインの甘い匂いに混じって、先生の香りが立ち上ったような気がして、体が震えた。私、相当、重症なんだな。先生が好きすぎて、匂いにまで妄想に抱くようになるなんて!


 まずいまずいと思いながら、私は急いで呼び鈴を鳴らした。こんな不埒ふらちな想像に惚けた顔、先生に見られたら、きっとはしたない子だと思われちゃう! お風呂に入って、きっちりお化粧しなくちゃ。女も武装が必要なの。


 私は鏡の中のすっぴんの自分から目をそらした。


 先生の出身大学がある街は、馬車で片道二時間くらいだった。街全体が丘になっていて、大学はその頂上にある。大学まで続く坂道に、可愛い雑貨やお土産を売っている店があると聞いて 私は歩いて登ることにした。


 この国での私たちの格好は裕福な庶民風。ただし、見る人が見れば階級が分かる。デザインは地味だけれど、生地は高級品で仕立てもいい。だから、こうやって歩きやすい靴でも目立たないし、どこに行っても門前払いされることはない。外国のお忍び貴族だと思われて、丁重に扱ってもらえる。


「タイルだわ。綺麗な色」


「この辺で採れる粘土を使った焼き物だ。アズレージョと呼ぶんだよ」


「昨日の街でもたくさん見かけたわ。藍も蒼もとっても素敵」


「店の奥に工房があるようだね。絵付をしてみるかい?」


「できるの? やっていいの?  やりたい!」


 先生は店員さんに声をかけて、奥に入って行った。店内には他には人がいなくて、私はゆっくりと作品を見て回る。そういえば、屋敷の中の壁にも、このタイルが貼ってあったし、お風呂場にも使ってある。


「まるで陶磁器みたいな美しい肌ですね。奥様は壊れ物みたいに大事にされていらっしゃるんでしょう」


 お風呂のお世話をしてくれた若いメイドさんの言葉を思い出した。傷一つない肌を褒めてくれたのだけれど、仮にも新婚で体になんの愛された形跡もないのがバレているんだと思う。キスマークとかあった方が、それらしいのに。指南、お願いしようかな。


「ティナ、おいで。工房に入っていいって」


 アズレージョの絵付はすごく楽しかった。縁飾りになる葡萄と蔓は私が、中心に置かれるワインボトルと二つのグラスは先生が描いた。


「ジルって何でもできるのね。絵も上手いなんてずるいわ」


「僕みたいなのを、器用貧乏って言うんだよ。ティナこそ、センスいいじゃないか」


 それって、褒め言葉? 芸術は爆発だっていう感じの理解不能系って意味じゃないよね?


「ありがとう。初挑戦にしてはまあまあよね。でも、ジルと合作なのは嬉しい。宝物にするわ」


「ティナ、君は本当に可愛いね。僕を喜ばせるのが上手すぎる」


 それはどういう意味? 先生は私をどう思ってる? 一番知りたいことは、いつも聞けないままだった。

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