第21話 反魂香と生神様

 事務所を出て自室に戻ろうとした護の足が止まった。

 反魂香と聞いてからの清人の態度は明らかに様子が変だった。

 いつもなら受け身の直桜が、やけに積極的に見えた。

 それらの違和感は、護の胸に痞える不安の種を芽吹かせた。


 護の足は自室ではなく、事務所の扉に戻っていた。

 そっと耳をそばだてる。気配を消して二人の会話にだけ集中した。


「どういうつもりで言ってんだ。バディだからって、なんでも話していいわけじゃないだろ」


 直桜に向けられた清人の声が、明らかに焦燥と苛立ちを含んでいる。


「隠し事するつもりはないよ。護が他言しなきゃいいだけの話だろ」

「そりゃ、そうだけど。護の前でうっかり直桜様って呼ぶところだったぞ。本気で反魂香に関わるなら、敬語使っても怒るなよ」

「それとこれとは別だと思うんだけど。ちゃんと気を付けてよ」


 ドキリ、と心臓が嫌な音を立てた。


(直桜、様? 敬語? 二人は一体、どういう関係で……)


 二人の会話の内容が、よく理解できない。

 ただ、護が知らない関係性が存在しているらしいことだけはわかる。


「桜谷集落が俺に課したミッションは、反魂儀呪に下った八張やばり家の追跡と盗まれた反魂香の奪還だよ。情報収集は過程の副産物みたいなもの。清人なら、知ってるんじゃないの?」

「知ってるよ。だからこそ、集落に帰りたくない理由を聞いたんだ。あの場所が嫌いなのは本音だろうけどな。お前は、守るためにも動いてる。意外だと思ったんだよ」


 会話が途切れた。

 護は一層に耳を扉に押し当てた。


「集落に戻れば、俺は生神として一生、社に祀られて終わりだ。誰も触れられない孤高の存在になるんだよ。そんな場所には戻りたくない。あんなの、奉る虐待だ」


 胸が軋む音がした。同時に、理解できた気がした。

 直桜が何故、執拗に『普通』にこだわり、特別扱いを嫌がるのか。

 あの日、手を離してしまった少年が、どうして悲しそうな顔で護をずっと見詰めていたのか。

 

「直桜……」


 声を出しそうになり、慌てて自分の口を塞ぐ。


「それでも、あの場所は俺の故郷だ。大事でも、あるんだよ。何より、表に出しちゃいけない代物が多すぎる。そういうのも含めて、守らなくちゃいけないんだ」

「反魂香も、その一つってことか」


 清人が深い息を吐いた。


「藤埜家が集落を去った時、何も持ち出していなくて良かったよ。何かしてたら、潰さなきゃならない所だった」


 直桜の声に抑揚がないせいで、物騒な言葉が世間話のように聞こえる。


「本当に良かったですよ。直桜様に潰すと断言されるのは、死刑宣告を受けるのと同じですからね」

 

 清人が、ぞっとしない声を出している。

 話から察するに、清人は元々、直桜の故郷である桜谷集落に所縁があるのだろう。

 色々と合点がいった。


(直桜を13課に引き込むために、清人さんはわざと俺と直桜にバディを組ませたのか。あの広告は最初から直桜を釣る撒餌だった……。でも、どうして俺と? バディがいなかったことや腹の中の魂魄で釣りやすかったからか?)


 直桜を13課に引き込み繋ぎとめるためには都合が良かったのかもしれない。

 だが、直桜ほどの神力と才覚があれば、他部署にいくらでも適応がありそうに思う。


(そのうちに、バディを解消させられたり、するんだろうか)


 胸に湧いた悲しい疑問は、二人の会話に掻き消された。


「それで、直桜様は反魂儀呪に下った八張の人間を始末したいと。反魂香も取り返したいと思っておられる訳ですね?」

「別に始末とか物騒なことは考えていないよ。ただ、反魂香を返してもらって、反魂儀呪は解散してくれたらなって思ってるけど」

「13課が長年追い続けている反社を潰したいと。もう、このまま13課に残ってはいかがでしょうか?」


 やけくそのように吐き捨てた清人の言葉に、直桜は素直に返事した。


「不本意だけど、それが良いと、今は思い始めてる。正直やっぱり、陽人には関わりたくないんだけどさ。ミッションクリア、一人じゃ無理そうだし」

「当たり前なこと言うな」


 さすがにキレ気味な清人の心中を察して、扉越しの護も苦笑いする。


「……何よりさ、俺が辞めた後、護に別のバディが付くのが嫌だ。護がいるなら、13課に残っても良いかなって」


 直桜の声が弱くなった。

 少しずつ心臓の鼓動が早くなって、どくどくと耳に付く。耳の先が熱くなっているのが自分でもわかった。


「あぁ、もしかして、護と正式なバディ契約、組みたくなった?」


 直桜の返事はない。

 不安と期待が、護の中で膨れ上がっていく。


「……これからも、一緒に生きたいって、思ってる」


 ぽろぽろと零れた声は、照れているようにも泣いているようにも聞こえた。

 胸の奥が甘く締まる。


 あれ程までに望んでいた『普通』を捨ててまで、苦手な人間の下で働くことになってまでも、直桜は護を求めてくれる。

 愛した相手が同じ熱量で自分を愛してくれるなんて、そんな贅沢な奇跡がこの身に起こるなんて、信じられなかった。


 手を伸ばして抱き締めたくなる衝動に必死に耐えた。


(俺も、これからもずっと直桜と一緒に、生きていきたい)


 どうして今、この言葉を返せないのだろう。

 こんな扉、蹴破って抱き締めてしまいたい。


「最終的に惚気のろけですか、直桜様。試用期間終了後、正式採用でよろしいですかねぇ」

「茶化すなよ。それでいいよ。どうせ陽人は俺の選択を見抜いてるだろうから」


 不貞腐れた直桜の声が、可愛く聞こえてしまう。


 恐らく直桜は集落において誰より敬われる立場の人間なのだろうが、清人はどこか面白がって敬語を使っているように聞こえる。

 警察庁副長官の名前を呼び捨てにできる時点で、13課でもそれなりに敬われる立場になってしまうだろうが。

 嫌がる直桜の顔が目に浮かぶようだ。


「だったら、未玖の話はちゃんと聞いとけよ。まだ、何も聞いていないんだろ? だから、あの呪詛を祓えないでいるんだろ」


 清人の声色が変わった。

 

「反魂儀呪が反魂香を持っているのが確かなら、話が変わってくる。今すぐ祓う気がないのなら、呪詛の石は直桜が肌身離さず持っておけよ」

「……わかった」


 直桜が反論もせず、素直に頷いた。


(呪詛の石? 俺の腹の中の魂魄に関わるものなのか? 未玖の話……)


 直桜に聞きたいとせがまれた日は話が逸れてしまった。あれから離す機会を失って、未だにそのままだ。

 話したくない訳ではないのだが、タイミングを掴めずにいた。


(このままで、良い訳はない。自分のためにも、直桜とのこれからのためにも)


 腹に手を添える。

 微量の熱を帯びる魂魄の拍動を感じて、ぐっと腹に力が入った。

 突然、目の前の扉が開いて、びくりと顔を上げる。

 目の前に清人が立っていた。


「そういうことだから、あとは二人で話し合え」

「あ……」


 目を大きく見開いて護を見詰めている直桜と目が合う。


「お前でも盗み聞きなんか、するんだな。ちょっと性格変わった?」


 清人に囁かれて、ぎくりと肩が跳ねる。

 そのまま機嫌よく事務所を去った清人を恨めしく思いながら、護は直桜の前に座った。


「えっと、不躾な真似をして、すみません」


 深々と頭を下げる。

 顔を上げると、直桜の手を握った。


「たとえ君がどんな存在であろうとも、私の中の直桜は変わりません。変わらず、愛していますよ」


 直桜の顔が見る見る赤くなる。

 困った目を逸らして、少しだけ俯く顔はまるで子供のようだ。


「護がそんな風だから、……好き」


 零れた言葉に、心臓が跳ねる。

 火照る顔も潤む目も総てが自分のせいなのだと思うと、嬉しくなった。


「聞きたい話もたくさんありますが、まずは、未玖の話からしましょうか」


 愛する人と真っ直ぐに向き合って、直に話ができる。

 そんな今が堪らなく幸せだった。

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