勇者は死なず ~殺人鬼と皇帝息女~

シンバル

第1話

 その瞬間はとても神秘的だった。ずっと感じていた紫色の靄がかかったような感覚が消え、すべてが色彩を取り戻したような、今まで感じた感情の中には比肩するものがない、と言い切れるほどに劇的な感覚であった。

 その瞬間、下野イツキが感じたことは―――


「俺は、誰だ……?」

 

 確かに名前も年齢が17歳であることも、自分がどのような性格をした人間であったかも思い出せる。小学校の修学旅行で広島に行ったことも、中学の部活で最後の県大会に出たとき、自分のミスのせいでチームが負けたときのことすら覚えている。

 そこまで覚えていてもどうしてか、自分には何かが欠落しているという感触がイツキの心を支配して離さない。

 欠落の正体を突き止めようとしているうちに、頭の右側に強烈な痛みが発生していることに気付いた。直前まで気づかなかったことが不思議なくらい強烈なため、恐る恐る側頭部を触ってみると、棒状の何かが自分の頭に突き刺さっていることを発見した。それが突き刺さっている周辺には液体的な感触もする。


「なんだよマジで…意味分かんねぇ」

 

 側頭部を触れたばかりの右手を引き戻してまじまじと見つめる。明らかに危険なレベルの量の血が付着していた。それなのにどうしてか、どんどん頭の痛みは引いていっていることがイツキを更に混乱させた。

 しかし頭に何かが突き刺さっている状態はまずい。意を決して、頭を貫かんとしている何かを引き抜くことに決めた。棒を右手で強く握りしめ、左手で頭を押さえながら一気にいく。


「ぐぁッ!」


 傷口をもう一度開くような行いだ。声を上げないように歯を食いしばっていたが声は漏れてしまった。だが、棒の正体が発覚し、イツキは更なる悲鳴を上げる。


「ナイフぅ!なんでこんなもんが…」


 イツキの頭蓋にずっと突き刺さっていたのは、小さなナイフだった。棒と思っていた部分はナイフの柄である。

 またもイツキの胸中に疑問が湧き上がってくる。


「なんで俺、こんなもん頭にぶっ刺されて生きてるんだ」

 

 気味が悪くなって安心を求めるかのようにまた側頭部を触るが、さらに気味が悪くなる。出血の痕跡は感じられるものの、どこにも傷口が見当たらないのだ。まるで「そんな事実はなかった」とでも主張するかのように、側頭部は滑らかだ。

 周りを見渡しても異常が伺える。今イツキがいる部屋に、イツキ自身全く見覚えがないのだ。ベッドの横に置かれている学校指定のカバンだけが唯一、自分のものであると胸を張って言えるだろう。

 混乱は加速するのみ。だが呆けていてもしょうがないと思い、まずイツキはカバンを漁ることにした。開けた瞬間に目に入ってきたのは、軍服。それも自衛隊とか第二次世界大戦中の軍隊のようなシンプルと実用性を追い求めたものではなく、歴史映画に出てくるナポレオンのような近世の将官が着る華美な装飾が施されたものだ。

 その装飾の中でも一際目を引くのは、胸元におびている勲章。幾何学的な意匠を凝らされたに見それについても全く身に覚えがない。今の俺は軍人になっているのか?

 だが、勲章を手に取った瞬間、断片的な記憶が蘇る。

 



「異界より来たる勇者。偉大なる血と肉の勇者、イツキよ。此度のクルシャクにおける抵抗運動、其方の献身によって早期に鎮圧することが出来た。その自己犠牲の極致にある行為を称え、ブルトエーレ勲章を授与する」

 

 玉座の横に控える王国宰相リーンハルトは声高に、されど厳かさをも内包した低い声で宣言した。式典を運営する官僚に促されてイツキは王の目前にて跪く。

 イツキの周りにいる人間は少ない。大抵の場合、勇者部隊全体が表彰されるため、勇者個人が勲章を受け取るということは初めての事象だ。しかもこの式自体が王の我儘によって強行されたと聞く。そのため、本来は王都の中央広場で大勢の関係者を同席させて開催されるべきではあるが、今回は王とその側近のみが宮殿の一室に参列する小規模な式典となった。

 見知った友人が自分の晴舞台を見ていないことに一抹の寂しさを感じつつ、イツキは誇らしい気持ちにもなっていた。

 王がわざわざ自分の為に自らの時間を割いてくださるというのだ。これ以上に光栄なことはない。


「面を上げよ」


 王の御声に従い、顔を上げる。人好きのする柔和な笑顔がそこにはあった。王の御心が今自分へと向けられていることを思うと感涙に咽びそうになる。

 

「イツキの活躍はいつも聞き及んでいる。出自こそ異界ではあっても、君は誰よりもプレンゲール人として責務を果たしているね。誇らしく思うよ」


 王が威厳を示すべき地方君主が出席していないからか、王はフランクな口調でイツキに話しかけ、勲章を手渡す。ブルトエーレ勲章、その区分の中でも名誉星章呼ばれるそれは平民が受け取れるものの中で最高位の存在。王が俺の為に、この勲章の叙勲を提案してくださったのだ。胸がいっぱいどころの話ではない。感動が胸から口を通って溢れてきそうだ。


「本当はクルシャク周辺の土地を与えたかったんだけどね…」

「王よ、段取りを無視しないでください。すでに予定された時間を超過しています」


 リーンハルト宰相は咳払いしたあと、そう言って王を諫める。王は困ったように肩を竦めたが、その親しみのもてる仕草にすら偉大さの一端を感じられる。


「俺は感動しています。これから先、誰よりも王国の発展のため尽力して参ります」

「そう言ってくれて嬉しいよ…」

「ではこれにて終了といたします!」


 王が自分の作った段取りに従う気がなく、話を広げようとしていることに気付いた宰相は、強引に式典を切り上げた。




 この出来事は、今日のことだ。ついさっきと言ってもいい。勲章をもらった後、俺はそれを胸に佩用して部屋に戻ってきた。そして式典用の儀礼服を脱いでカバンにしまった後、何を思ったかナイフを自身の頭に突き刺した。

 記憶の中にあるすべての出来事が、実感を伴っているのに全く理解できない。王国なんてものは知らないし、そんなものに忠誠を誓った覚えはない。俺は愛国心とかを心の支えに生きるような人間ではなかったはずだ。しかし記憶を整理しながら、さらに思い出したことがある。

 俺は、日本からこの世界に召喚された勇者だ。記憶の中で宰相が「血と肉の」という枕詞をつけたのは、俺に自身の肉体や血液を無限に複製する能力、ありていに言えば再生能力が備わっているからだ。

 そうだ、前の戦いで瓦礫を取り込んだまま側頭部を再生させたから、それをナイフで取り出そうとしたのだ。イツキの再生能力はどんな損傷であっても修復するが、体内に残ってしまった破片などを取り除いてはくれない。普段は排出してからの再生を心掛けているが、激戦などの余裕がないときは排出を疎かにしがちだ。記憶が不安定なのは多分、取り出す過程で脳を傷つけてしまったからだろう。


 ……イカレているな、とイツキは思う。普通は自分の体にためらいなくナイフを突き立てたりはしない。自分の中の常識はそう言っているのと同時に、全く理解できない行動原理が我が物顔で自分の意識の中に居座っている。頭がおかしくなりそうだ。

 一度明確な出来事を思い出したからか、連鎖的に記憶が蘇ってくる。次に思い出したのは、二週間ほど前の出来事、イツキが叙勲に値する功績を上げた、クルシャクのレジスタンスの鎮圧に関する記憶だった。




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