09:夢と現の狭間で
この世界は創生の女神レムリアが作ったと伝えられている。
世界に溢れる精霊はレムリアの愛の証。
精霊に認められた人間は精霊魔法が使えるようになる。
また、精霊がいる場所は空も水も澄み渡り、穀物も豊かに実るという。
女神の愛と精霊の加護に満ちたこの世界は、しかし、千年前に出現した邪神によってその平和を脅かされる。
侵略を目論んだ邪神は自らの暮らす魔界ごとこの世界に転移してきて、二つの世界の衝突の際に出来た『穴』から何千何万という魔物を送り込んだ。
未曽有の危機にレムリアは世界に降り立ち、清らかな心を持った乙女たちに三つの力を分け与えた。
一つは穢れや瘴気を浄化する力。
一つは魔を阻む結界を張る力。
一つは癒しの力。
奇跡を起こす乙女たちは人々から聖女と呼ばれた。
救国の大聖女マリアベルと勇者たちの奮戦により邪神は魔界へと送り返されたが、世界に空いてしまった『穴』や、衝突の際に出来た無数の『傷』は塞ぎようがなかった。
レムリア教の聖女たちは日夜国を守るための結界を張り続けているが、それでもなお、この世界には度々魔界に通じる穴――『魔穴』が開く。
半年前、ユーグレストのほぼ中央に位置するザレフの町に『魔穴』が空き、瘴気を含んだ実害のある『魔風』が吹き始めた。
『魔穴』から芽を出し、たった数時間で天を覆うほどの大木へと成長したのは『魔胎樹』と呼ばれる無数の魔族や魔物を生み出す母体。
有能なユーグレストの国王、ガレイダスは早急に手を打った。
ザレフの人々を付近の町村に避難させ、魔物たちを迎え撃つべく軍隊を派遣。
同時に周辺諸国へ救助を要請、私はメビオラ救護団の一員として駆けつけた。
かくして後に『魔胎樹討伐戦』と呼ばれる戦争が始まった。
暦の上ではまだ夏だというのに、瘴気の影響か、戦場に吹く風は凍てつくように冷たい。
対魔族戦の最前線であるザレフでは、ついさきほどまで人と魔物の激しい攻防が行われていた。
魔物を指揮する魔族たちは知能が高く、とんでもなく狡猾で、負傷者の治癒を行なっていた私は真っ先に狙われた。
ギスラン様が身を挺して庇ってくれていなければ、今頃私は土の下だ。
別働隊として突進したルーク様とフィルディス様が魔族の各個撃破に失敗していた場合、私以外にもたくさんの人が死んでいたに違いない。
「――今日の死者は?」
徐々に暗くなりつつある空の下で、私の近くにいた兵士が仲間に尋ねた。
「奇跡的にいないらしい。隣国から来てくれた大聖女様のおかげだ」
兵士たちは揃って私を見た。
「いやあ、本当に立派なものだよ。自国の聖女たちも他の聖女たちも怯えて遥か後方の救護天幕に引っ込んでるっていうのに、リーリエ様は臆することなく戦場を駆け回ってくれてる。リーリエ様が即座に回復してくれたおかげで、これまで何人の命が助かったことか」
「ありがとう、リーリエ様」
「本当にありがとう」
「いえ、それが私の責務ですから」
私ははにかむように笑った。
彼らの笑顔を見ていると、自分を誇りに思える。
今日は死者が出なくて本当に良かった。
人が死ぬところなんて見たくない。
できれば怪我自体してほしくないけれど……魔族や魔物に「襲わないでください」なんて言っても通用しないものね。
彼らと別れ、歩き出して五歩も経たないうちに、負傷兵が目についた。
胸部に血を滲ませ、仰向けに倒れている兵士の傍に跪き、両手のひらを向けて癒しの力を注ぐ。
淡い金色の光に包まれ、兵士が負った傷はみるみるうちに癒えていった。
「具合はいかがですか?」
私は白い息を吐きながら尋ねた。
「ああ、痛みが嘘のように引いたよ。ありがとう。皆の言う通り、君はまさしく天使だな、リーリエ」
負傷兵は傷口の塞がった胸に手を当てて身を起こし、笑った。
「天使だなんてそんな……傷口は塞ぎましたが、失った血液まではどうにもならないので、どうか休んでくださいね」
私は立ち上がり、辺りを見回した。
どこを見ても負傷兵だらけだが、いますぐ治癒しなければ命に関わるほどの怪我を負った人はいなさそうだ。
そこかしこに魔物の死骸があり、風に乗って強烈な血と臓物の臭いがする。
鼻が曲がってしまいそうなほど嫌な臭いだ。
聖女たちが複数待機している救護天幕へ移動しよう。
きっと、あそこは今頃負傷兵で溢れ返っている。
駆け出そうとしたそのとき、急に背後から抱きしめられた。
「!!?」
驚いて振り返れば、いつの間にそこにいたのか、赤い髪の青年が立っている。
「ル、ルーク様? どうされたんですか?」
「オレと結婚しない? 」
「………………へ?」
場違いにも程がある台詞に、思わず間の抜けた声が口から洩れた。
目に映っていた戦場の風景がぐにゃりと歪み、変わって現れたのは煌びやかな部屋。
吊り下がるシャンデリアの下、私は天鵞絨張りのソファに座っている……あれ、この状況、知ってるような、知らないような?
「リーリエ、ぼくと結婚して! 絶対幸せにするから!!」
隣に座るエミリオ様が私の右手を掴み、真剣な眼差しで訴える。
「リーリエ。おれもリーリエのことが好きだ」
今度はフィルディス様が私の左手を握って言った。
待って!! 何なのこれは!!
私は聖女としてついさっきまで彼らと戦場にいたはず――いや、あの戦いは人間側の勝利で終わったんだった。
『魔胎樹』は炎の魔法が得意なルーク様が葉っぱ一つ残さずこの世から蒸発させたし、無限のように湧いて出た魔族も魔物もそのほとんどが討伐された。
大地に空いた『魔穴』は聖女たち全員が力を合わせて結界を張ったから、もうザレフは大丈夫。
それに、私は聖女の力を失って、カイム様に婚約破棄されたはず……ということは、もう戦場で死ぬような思いをしなくてもいいし、カイム様以外の誰かと結婚しても良いのか。
……いやいや、結婚って何!?
待って待って、話が急すぎます!!
「昼間、精霊に言った言葉は嘘じゃない。リーリエを幸せにするために全力を尽くすと約束する。どうかおれの妻になってくれ」
うわあああああちょっと待ってええええ!!!?
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