第15話 A very frosty Christmas

 イラストを100日練習しました——師走に入るかどうかという頃、ネット上でそんな記事が話題になっているのを見かけた。練習前と練習後の絵が最初に並べて掲載されており、上達は明らかだった。

 毎日のように動いている日本の友達五人のLINEグループがあり、そのうちの一人が自分もこれをやると言い出した。二日目だったか、彼の絵に感想をつけると、お前もやらないのかと言う。

 普段は全くやらないが、絵を描くのは嫌いではなかった。学部の頃サークル内誌の編集長をしていたとき、表紙にイラストのようなものを描いていた。その前に絵を描いていたのは中学での授業だろうか。高校では楽そうだからと音楽選択にしたが、美術を選択すればよかったと後悔した記憶もある。

 それから毎日一時間、絵を練習することになった。研究で日付が変わった後に一時間やることも多く、よく描きながら気を失っていた。継続は美徳である。

 継続するのは楽だ。何も考えなくていい。ある時点の自分の決断を信頼し、継続することを目的にしていればいいだけだ。真の目的が存在しない場合、そうやって獲得した技能は空しいものになるかもしれないが。

 絵は実際、上達していった。途中からはiPadでデジタルでのお絵描きをしていたが、自分は模写と色塗りが好きだということがわかった。といっても、自分が一枚絵に価値を見出さないことは知っていた。いつか漫画でも描けたらいいな、と思うようになっていった。


 政府は感染対策を少し緩和し、イギリスの学生たちはクリスマス休暇に自分の街に帰れることになった。トーマスとジェイクが去り、気づいたらゲーマーの彼もいなくなっていた。ベラは帰省するのよと意気込んでいたが、ギリシャ側の状況の悪化で帰れなくなって落ち込んでいた。

 あまり僕の生活は変わらなかったと思う。外で六人以内で集まることは許されていたはずだが、この状況下でわざわざ集まるほど仲の良い人はこの国にはいなかった。

 クリスマスが近づいて、僕とベラだけになってしばらくすると、彼女の歌声が耳につくようになった。キッチンで遭うと、ベラは嬉しそうに言う。

「ちょっと限界だったから先生に話してもう休みに入ることにしたの!だから最近嬉しそうに歌ってるの聞こえるでしょ」

「ああ、聞こえるね……」

 僕は割と音に敏感で、この国は騒音に寛容だ。工事の人たちはスピーカーを置いて大音量で曲を流す。

 進めていた証明がひと段落したので、僕も研究をやめて歌うことにした。


 クリスマスはここでは一大事である。感染対策も特別に緩和され、六人を超えないのであれば三世帯まで混ざっていいらしい。これは帰省して普段別のところにいる人が集まることを考えての措置だ。

 ベラは友達の部屋で過ごすと言っていた。

「サトシ、クリスマスを一人で過ごすなんて絶対にダメよ」

 たった一人の隣人を、僕は少しずつ避けるようになっていた。


 結局のところ、一人で過ごすことにはならなかった。WhatsAppグループで連絡が回ってきて、住んでいるCatz Houseに残っている数人で外でクリスマスっぽいクッキーでも食べようという話になった。

 午後四時過ぎに集まると、もうほとんど真っ暗だ。寮の敷地内だが建物の裏側のベンチとテーブルがあるところで、僕はほとんど使ったことのないスペースだ。

 集まったのは、一人か二人を除いてアジア系だったのではないかと思う。実家がヨーロッパ圏の人はほとんど帰ってしまっていた。三人残っているフロアで用意してくれたクッキーをつまみながら、世間話をした。

 僕はどの人も初対面で、全体の会話の英語についていけず半ば呆けていたのだが、途中でバラけて話しかけてくれた香港出身の男性、中国系カナダ人の女性と仲良くなった。僕が日本人だということで彼らはアニメの話を振ってきた。これは日本人が海外で期待されて困るテンプレートのような状況なのだが、僕は幸いにしてアニメには詳しかったので、話が盛り上がった。英語でアニメの名前を言われて僕がどれか推測するゲームのようになっていた。お互いが違う名前で認識しているものを、スマホで検索して出てきた画像を見せて「あ、これ知ってるわ!」となるのはどこか日本でもよくあるコミュニケーションだった。

 こんななんでもない会話が、とても楽しかった。人との交流に飢えていたのだ。その日はあまりにも寒く、途中で部屋に戻って靴下を二重に履き直したりもしたが、数時間してお開きになった。


 クリスマスから年始にかけては、絵こそ続けていたが研究は休止し、ほとんどの時間はNetflixなりでアニメやドラマを見ていたと思う。昔見た『とらドラ!』の英語吹き替え版が配信されていたのでそれを見たり、『スキンズ』というイギリスの爛れた高校生たちのドラマも見た。作品は作品で楽しみつつ、せめて英語で見ようという意識が働いていた。

 大晦日には孤独を癒そうとオックスフォードの日本人何人かで通話を繋いだりもしていたが、同居人のいる人がいたり日本から参加している人がいたりと、寂しさにもグラデーションがあった。

 あるとき、僕が何かを観ていると、ベラが部屋をノックしてきた。

「私今から街中まで散歩行くんだけど、一緒にどう?忙しい?」

「あー……今ちょっと忙しいかも」

「そっか、またね!」

 乗り気になれず、断ってしまった。向こうも気まずさを感じて歩み寄ってくれたのかもしれないのに。後悔した。でも、どうにかしようという気力もなかった。


 クリスマス前後の人の往来の影響か、年始ごろには感染者数が爆発的に増大し、すぐに三回目のロックダウンに突入した。クリスマスに会った人たちとはもう会ってはいけない。家を出ていいのは一日一回まで。みんな疲弊していたと思う。

 どんよりとした空気の中も論文の執筆を再開し、数日で投稿用の原稿が完成した。


 論文は書いたら学術誌に投稿する。ジャーナルと呼ぶことが多い。するとその雑誌のエディター——基本的に大学教授である——が、その論文をざっと見て精査の価値がありそうかのスクリーニングをかける。ここを通ると、論文の学術的なや妥当性をチェックするため、複数の専門家が査読にあたることになる。この査読者という役割は完全にボランティアであり、エディターが頼んでも断られる場合も多い。その場合は人数が集まるまでまた別の専門家に頼むのを繰り返すことになる。

 ジャーナルにはというものがある。指導教員によると、確率論におけるトップジャーナルは二つ。PTRF(Probability Theory and Related Fields)とAoP(Annals of Probability)という雑誌らしい。どのジャーナルに載っているかで特定の論文の評価を気にするのはあまり学術的な態度ではないのだが、でこういう良いジャーナルを目指すことになる。

 研究者は常にの目にさらされている。研究費の審査や研究者ポストへの就職において論文を細部まで読んでもらえると期待するのは性善説に生きすぎだろう。あなたのことを何も知らない人が出身大学であなたを勝手に判断してくるように、研究者は読んでもいない論文の質をそれが載っているジャーナルの格で勝手に判断する。

 ハラルドは通る可能性は三十パーセントくらいじゃないかと言っていたが、第一段階の査読が比較的早く返ってくるとされるAoPに投稿することになった。先行研究が少ない、つまり興味を持つ人が少ないのではないか、というのが不安材料だった。


 論文を完成させて投稿したのが1月18日のことだ。この頃、二月の研究集会の運営をするということでテリーの学生たち三人でのミーティングが何度かあった。あなたには運営をやってもらうから、と秘書からのメールが突然届いたのは年が変わる前だったと思う。もう決定事項だ、というような文面だった。テリーに会ったことすらないのに?

 19日にもミーティングがあった。会ったことのない二人の学生と、会うことのない人たちのトークの内容を小分野に分類してパンフレットを作る。約五十人のスケジュールを照らし合わせ、関連するトークが近くに来つつ希望日程が守れるように話し合う。僕以外の二人が高速で喋っているところを必死で聞く。なんでもないようなことを確認して、聞き返して、二人の不思議そうな顔がパソコンの画面に並ぶ。

 この日は絵を描かなかった。

 

 1月20日。論文も投稿したことだし、研究を再開しよう。次は何をしようか。パソコンを開き、読もうかと思っていた論文をスクロールする。何も頭に入ってこない。数式を見ると胸が苦しくなる。

 ベッドに寝転がる。ロックダウン中、ずっと見ている天井。

 限界だった。


 

 

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