<5>【運び屋アリオン】再就職

 魔物に満ちたこの世界で、人は、壁に囲まれた街でしか安全に生きられない。

 正確には、壁の中だって安全とは言い切れないのだが、一旦それはそれとする。


 街から街への輸送は、恒常的に需要のある商売だった。


「ポーターの経験、ねえ……」


 海沿いの街でもないのに『かもめ輸送』という名を掲げた、小さな輸送業者の事務所にて。


 所長のゴスマンは、腕組みして安物の葉巻を咥えたまま、新人のアリオンを無遠慮に睨め付けていた。

 これで荷物を担いで歩けるのかと、疑問に思うような細い男だ。第一、子どもかと思ったほどに小柄である。


「迷宮都市でS級パーティーに居た、っつっても、メンバーじゃなくスタッフでしょ?

 だからそれで実力がどうこうとは言えねえのよ。

 小さい仕事から実績を積んでもらうからね」

「はい」

「よろしい。では、ご安全に」


 アリオンが一礼して出て行くと、事務所にはゴスマンとあと一人、事務一般担当という名目の共同経営者である弟分・パウルだけが残された。


「それで、あいつの荷物に金貨何枚、保険を掛けたんです?」

「さてね」


 ギトギトの古い油みたいなパウルの笑みに、ゴスマンも上品とは言えない微笑みで応じた。


 街から街への荷物運びは、決して安全ではない仕事。プロでも犠牲者が出る。

 そこで同業組合ギルドの積み立てで、荷物に保険を掛ける制度があった。ゴスマンは度々それを悪用していた。


 まずは獲物を探す。なるべく頭が悪くて貧な奴が良い。そいつを臨時雇いとして使う。

 大したことのない荷物でも、高額な物品だと偽って申請し、保険を掛けて、運ばせる。

 そして、死なせる。

 保険金だけでも大儲け。表向きは荷物を喪失したことにして、裏から荷物を回収できれば丸儲けだ。


「魔物の発生情報も知らず、配達に飛び出していくような奴は、どのみち長生きできねえよ。

 だからその前に有効活用してやるのさ」

「人の悪いこった。

 だってもし、ものすげえ運が良くて魔物から逃げられたとしても……

 その時はの出番だろ」

「あたぼうよ」


 * * *


 人が街から街へ単独で移動する場合、たとえば大都市間なら街道の安全が概ね確保されていて、時間さえ掛ければ歩きでも移動できるし乗合馬車が出る場合もある。

 とは言えこれは、一部の大都市間に限った話だ。


 隊商キャラバンに同行するという手もあった。彼らはちょっと危険な道でも、用心棒を連れて通る。ただ、信頼が無くば同行させてもらえないし、都合良く同じ行き先の隊商キャラバンがそこに居るとは限らない。


 運び屋は結局、単独行を覚悟しなければならないものだ。

 歩きは流石に無謀。馬を借りて旅の供とする。


 運悪くアリオンに借りられてしまった馬は、今、泡を吹きながら全速力で走っていた。

 馬が本来最高速度を出せるのは数分に限られるが、アリオンはくつわと一体化した給水器に魔法薬ポーションのシリンダーを突っ込んで、自壊していく体組織と体力を回復させ、無理やりに馬を走らせていた。


 風がうなりを上げる山沿いの道の、石を踏み砕き跳ね飛ばしながら、馬は疾走する。

 崖上に併走する道を同じような速度で、馬に乗ったならず者たちが走っていた。


 風切り音が、アリオンの耳に響く。


 バラバラと、いしゆみの矢が射かけられた。

 狙いは適当だが、とにかく当たるまで打てばいいと考えているのだろう。アリオンはまだしも、乗っている馬はマトがデカい。

 山にへばりつくような狭い道では、ジグザグに走って避けるのも難しい。


 ついに、馬の尻に矢が突き立った。

 悲鳴を上げて動きを鈍らせた馬に、二の矢、三の矢が命中し、馬は身を投げ出すように横転した。


「くっ!」


 アリオンは馬の背を蹴って着地、すぐさま自分の足で走り出した。

 速度は落ちるが、身軽にはなった。

 フック付きの降下用ロープを足下に打ち込むと、間髪入れず、アリオンは崖に身を投げた。


「待て!」

「野郎、ちょこまかと……」


 打ち下ろしの矢は、崖際の凹凸に阻まれて届かない。

 アリオンはロープをテコに、振り子の如く崖を駆け抜け、その限界でロープを手放し跳躍した。


 崖から張り出した太い木の枝を掴み、一回転して樹上に着地。

 次のロープを枝に結ぶと、再び飛び降り、つづら折りになっている崖道を三段飛ばして一気に駆け下りた。


「チッ。流石に魔物相手とは勝手が違うな」


 ショートカットで後方の追っ手は引き離したが、前方には、まだ待ち伏せが居た。

 谷川を超える唯一の道、古びた吊り橋の入口に、アリオン二人分くらい体重のありそうな山賊が、剣を掲げて待ち受けていた。


「はっはあ! 行き止まりだぜ!」


 巨漢の山賊は、興奮して唾を飛ばす。

 確かにこの巨体なら、隙間をすりぬけて細い吊り橋に駆け込むのは無理そうだ。


 相手の装備と構えから、アリオンは相手の強さと戦い方を推測する。

 余計なアイテムも、魔法の道具も無い。武具の手入れも全くされていない……ただの量産品の安物だろうが、万が一、強力なマジックアイテムだったとしても機能不全になっているだろう。


 アリオンは走行速度を全く緩めず、正面から突っ込んだ。

 走りながらポーチから取り出した、張り子の丸薬みたいな物体を、対峙する山賊の足下へ鋭く投じる。


「おわっ!?」


 それは光の爆発を起こした。

 一瞬、世界を白黒に塗り替えるほどの大閃光が放たれ、山賊は仰け反って、思わず腕で顔を覆った。


 そこにアリオンは飛びかかる。

 山賊の巨体に抱きつくように、その肩に手を突いて、倒立。

 一回転して飛び越えながら、山賊の首を背後から蹴りつけ、勢いで前方に飛んで前転着地した。


「うごっ!」

「荷物は傷つけられねえ。悪いな」


 確実に首の骨をへし折った感覚が足裏に伝わる。

 振り返ることもなく、アリオンは細い吊り橋を駆けた。


「奴を止めろ!」

「射殺せぇ!」

「……まだ居るのかよ」


 だが、吊り橋の先の対岸に、待ち伏せの第二陣が控えていた。

 遮蔽物も無い、細長い橋の向こうに、弓を引く者が二人。


 アリオンは、相手が単独なら正面突破を選んだかも知れないが、二人相手では厳しいと判断した。

 判断は即座。

 ナタのような剣を抜き、それで吊り橋のロープを切り落とした。


「「はあ!?」」


 行く手の山賊が、矢を放つのも忘れて素っ頓狂な声を上げた。


 吊り橋が落とされたことで当然、アリオンは落下していく。

 この状況で最も高速な移動は落下だ。熟練の射手でなくば、落下中のアリオンを射貫くなど不可能だろう。そんな腕前があれば山賊などやってはおるまい。


 単に落ちたいなら飛び降りれば良いが、わざわざ橋を落としたのは、山賊たちを分断するためだ。

 谷川を渡れる地点は少ない。彼らが合流するなら、その間にアリオンは逃げ切れるし、合流せずに追ってくるなら人数が減るのだからどうとでもなる。

 この地域で大規模な山賊団が活動しているという情報は無い。ここに居る以上の増援は、もう無いだろう。


 谷川目がけて真っ逆さまに落ちていったアリオンは、ポーチから一枚の白い羽を取り出し、体を広げる態勢を取りながら、川面目がけて投げつけた。

 途端、暴風が吹き上がってアリオンを抱き留める。風を起こす、使い捨てのマジックアイテムだ。普通ならこんな無茶な用途には使わないが。


「嘘だろ!?」


 矢ではなく、仰天した声が降ってきた。


 全身で風を受けて落下の勢いを弱めたアリオンは、そのまま空中でくるりと身体を丸め、今度は矢のように真っ直ぐな飛び込み姿勢となった。

 激流渦巻く、雨で増水した谷川へ飛び込み、急角度で旋回して浮上。

 そのままアリオンは下流へ向かって、流されながら泳ぎ去った。


 * * *


 後日、『かもめ輸送』事務所にて。


「アリオン、只今戻りました。依頼完了です」

「あ、ああ、よくやった。

 次の仕事まで休んでくれ……」


 帰還の挨拶と報告書の提出に来たアリオンを、ゴスマンは形ばかり労った。

 そしてアリオンが部屋を出るなり、頭を抱えて机に突っ伏した。


「どうするんすか!」


 パウルはまるで、明日魔王が攻めてくるかのように血相を変えていた。

 実際、大騒ぎして然るべき状況ではあった。今回は綺麗なだけのクズ石を、宝石の原石と偽って保険を掛けたのだ。支払われるはずの保険金は超高額だったが、そのための掛け金も相応の高額だ。

 輸送が無事に終わってしまったことで、掛け金は運輸ギルドの取り分となる。


「クソ野郎、大損だ……!

 だが、いや、これは考えようによってはチャンスだぞ」


 半ば現実逃避で、ゴスマンは無理やりポジティブな方向に考えた。


「エース配達員が一人居れば、良い仕事が取れる。

 高い荷物ってのは、お貴族様の手紙とか宝石なんかだしな」

「な、なるほど」

「損した分はあいつをこき使って、取り戻してやんよ」


 既に『兄貴たち』から顛末は聞いていた。

 話の三割ほどが「スゲエ」と「ヤベエ」で占められていたのでよく分からない部分もあったが、とにかく、アリオンが超一流冒険者でもできるかどうかという大活躍で、単身、待ち伏せを食い破ったのだ。


 アリオンが迷宮都市のS級パーティーでスタッフをしていたなんて大嘘だろうとゴスマンは睨んでいた。人でも殺したか貴族に睨まれて、どこからか逃げてきた、の冒険者だろう。

 もし、そんな凄い奴を自分の道具として使えるなら……大儲けだ。いくら儲かるか分からないが、とにかく、つまり、大儲けだ。


 だんだんと、それで全部上手くいく気がしてきて、ゴスマンは口が耳まで裂けそうな、歪んだ笑みを浮かべていた。


 丁度その時、事務所の玄関のベルが鳴った。


「はい、どうぞ! お入りください!」

「運輸ギルド監査部だ。

 常習的な保険金詐欺の疑いで、衛兵隊立ち会いの下で監査を行う」


 胸甲と短鎗の群れが『かもめ輸送』最後の客だった。

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