じつは兄貴の過去を知ってしまいまして…

考えたい

 有神論的実存主義の大家、キルケゴールをご存じだろうか?彼は父のキリスト教的不義の行いを感づいたときに感じた衝撃を「大地震」と呼んだ。

 それと同等の衝撃を受けた男、真嶋涼太が一人で公園のベンチで黄昏ていた。

 契機は中学校の理科の授業であった。普段は理系の学科が嫌いで、


紙が踊って球がとぶ

煙が出たり火が消える

俺らが見たらこの理化も

やはり切支丹


と歌いだしそうな程であるが、今日の授業はなぜか妙にそそった。

 授業の題目はメンデルの法則について。メンデルというキリスト教の修道士がエンドウ豆を使って遺伝の基本原理について解明した原則であるが、ここで理科の教官が人間の血液型に当てはめた話を例として板書した。

 そこで自分の血縁上の家族で当てはめてみたが、明らかな齟齬が発生した。この理論に基づいて考えると、涼太と親父は血のつながりが無いことになる。

 そこでいつにもなく理科の授業で教官に質問した。

「このメンデルの法則に例外はありますか?」

 教官は珍しそうな顔をしながら涼太の質問に応えた。がその答えは限りなく涼太の希望から外れたものだった。

「確かに例外は存在しますが、その事例は極めて少ない。」

 その時涼太の心に起きた衝撃は正に「大地震」と同等であった。


 「大地震」に苛まれながら公園のベンチで黄昏ている涼太の横に、突然一人の男が座った。

 周りのベンチに目配せするが、どれもこれも空いている。

 涼太は横の男に神経を立てた。

「大地震か。」そう徐に男は口を開いた。

 自分の内心と一致したことを男が言ったので、涼太は思わず顔を上げた。

「悪いが貴様のことは少しばかりこちらで調べさせてもらった。」

 男はこっちを見ずに淡々と話し続ける。そしてサングラスをかけており、目がどこを向いているのか察することが出来なかった。

「今日、自分と父親の血が繋がっていないと確信したんだな?」

 一瞬思考が停止した。無論このことは光惺にも言っていない。なのに何故この男がこれを知っているのか。

「おっと、そんな猜疑心に満ちた目でこっちを見ないでくれ。仕事柄慣れてはいるがやはりその目は好かん。」

「じゃあ、どうしろというんですか?」

「まあ、落ち着きなさい真嶋君。」

 なってこった、この男は自分の名前を知っている。

「貴様が母親の不倫で生まれた子であることは残念ながらとうの昔に知っている。何しろ貴様の出生届を受理した役所の人間は儂だ。戸籍謄本に編入させるときに血液型について違和感を覚えてな、なのでちょっと気になっていたんだ。」

「だからどうしたというのですか?」

「儂の職業は噓をつきながら人の信頼を得る職業だ。」

 何故この話が出てくるのか、と思う一方で、男の発言の矛盾に一層疑念を募らせる。

「確かに今言った信頼とは基本的に偽物だ。だが仲間は必ずある一定の本物の信頼で結びつけるということも実際必要だ。なのでここで一つ、本当のことを言う必要がある。」

 ひどく要領を得ない話である。疑念と混乱が頭の中で渦巻く。

「我々は陸上自衛隊運用支援情報部別班の人間である。」

 男は淡々と告げる。

「……陸上自衛隊……?」

「そうだ。そして貴様みたいな目をした人間に向いている場所だ。」

「俺の目ですか?」

「そうだ、何かをひどく憎む怒りと厭世観を孕んだ目だ。そういう人間が一番裏切りにくい。怒りをぶつけられる対象が少なすぎるからだ。」

 涼太の心をこれでもかと言い当てるからか、この男に不思議と親近感に近しい感情を自覚せずとも抱き始めた。

「有り得ない」と自問するがその度に涼太の心は涼太の言葉から逃げ出していく。

「貴様は歴史趣味なんだってな?」

 男が突然話を変えだした。

「日露戦争勝利の真の立役者は誰か知ってるか?」

「えっ、それは東郷平八郎とか乃木希典じゃないのですか?」

「彼らもそうだが、裏の功労者もいる。明石元二郎陸軍大将という陸軍軍人で、日露戦争の際にロシアの複雑な民族問題を利用して日本軍の勝利を導いた。民族独立運動を資金面で煽り、ロシア陸軍の対日動員兵力を減らすことに成功した、というカラクリだ。」

 この話は初耳であった。

「んでロシア各地の裏で暗躍していた名の無き戦士達と同じことをしているのが我々だ。」

 ここで、男は改まった口調でこう言った。

「で、入るか別班に?」

 多分この時の涼太は正気ではなかったのであろう、しばらく間を置いた後、首肯した。

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