会社の美人な先輩の態度が俺にだけ厳しくなった結果

なつのさんち

その一


「ほら、こことここも抜けてるわ。しっかりしてちょうだいよね」


「はい、見直してもう一度提出します」


 はぁ、最近先輩からの風当たりがきつい。

 この会社へと転職して半年、つい先日まではそうでもなかった。何でも聞いてね、とほほ笑んでくれたあの高瀬たかせさんはどこに行ったんだろうか。そっくりさんか?

 そう思ってまじまじと高瀬さんを見つめると、「何よ、早く行きなさいよ」とでも言わんばかりに睨み付けられた。怖い怖い。


 以前勤めていた会社は50人規模の中小企業、俺はそこで営業の仕事をしていた。顧客からのニーズを聞いてオーダーメイドの開発をするという課に配属され、専門知識がないながらも勉強したり上司や設計課の同僚に助けてもらいながら、そこそこの営業成績を収めていた。


 転職のキッカケになったのは元カノとの別れ。元カノは経理課に配属されていて、会社主催の定例の飲み会で意気投合、付き合う事になったんだけど……。

 その元カノ、付き合ってから知ったんだが、社長の姪だった。付き合っている最中は逆玉の輿だ出世一直線だと言われたもんだけど、世の中そう上手く行くものでもない。元カノが浮気をし、そして別れた。


 男女の話であればよく聞く恋愛模様だけど、相手は社長の姪だ。そのまま会社に残ってもいい事はないだろう。事前に詳しい事情を直属の上司である課長に話したが、とっても渋い顔を見せられた。

 あぁ、やっぱり辞めるのが正解だったな、と確信した瞬間だ。


 その課長に連れられて、社長へと辞意表明をした。社長ももちろん自分の姪と俺が付き合っている事を知っており、別れたとだけ聞いていたらしい。俺からも詳しい事情は話さず、知り合いに事業を手伝ってほしいと言われた、と伝えた。


 奇跡的に取引先のさらに取引先、業界ではトップクラスの大企業からヘッドハンティングの打診を受けていたので、ありがたくお受けする事にした。開発案件の報告へ伺った際にエンドユーザーとして立ち会っておられた今の上司、係長が声を掛けてくれたのだ。

 誠実な人柄が気に入った、と言って下さった時は、捨てる神あれば拾う神ありだな、と思った。


 それから半年、恋愛は当分いらねぇという思いと、誠実な人柄を常に意識する事で、新しい職場で頑張っていた訳なんだけども……。


「出来た? え、まだなの!? 早くしてくれる?」


 これである。ある程度慣れて来て、そろそろ個人的な人付き合いもして行きたいなと思っていた矢先、高瀬さんからダメ出しやお小言などをちくちく言われるようになったのだ。ちなみに俺の教育係は別にいて、3ヶ月間のOJTも終えている。


「っ、すみません、もう少しで仕上げます」


 おっと、舌打ちしそうになってしまった。危ない危ない。

 最近このようなやり取りにうんざりしつつあるので、たまに腹いせとして目を合わせず返事をしたり、愛想笑いせず無表情で対応したりするようになってしまった。

 とはいえ、さすがに舌打ちはマズイな。気を付けないと。


「……、そう? 頼むわね」


 ん? 何かリアクションがおかしい気がする。俺が舌打ちしかけたのに気付いたはずなのに、何も言わないってどういう事だ? 自分のデスクに戻る歩調も、心なしかいつもより弾んでいる気がする。

 何かいい事でもあったんだろうか? 常にそんな感じでいてくれたらいいのに。美人なんだから。



 昼休憩、今日はオフィスにある社員食堂で昼食を済ませる事にする。高瀬さんからツッコまれた書類の修正という余計な仕事が増えた為、外に出る余裕がない。社食は安くて早いが、仕事中と全く同じ顔を見なければならないのが難点だ。

 俺は気分転換がしたいので、時間に余裕がある時は外へ食べに出る。


「あっ! ひらりん、おっつ~。隣取っといてね、すぐに戻るから」


 ほら来た。

 初めまして、平林ひらばやしと申します。入社時の朝礼で自己紹介した直後、あの女にひらりんというニックネームを付けられた。彼女の方が先輩であるが、俺とは同い年。今ではタメ口で話している。

 黙っていれば可愛いのに口を開けばバカっぽい。しかし与えらえた仕事はきっちりとこなす。同僚としては信頼しているが、1人の女性と見ると……、どうだろう? もうしばらく愛だの恋だのからは距離を置きたいのが本音だ。

 浮気された挙句、会社まで辞めるハメになった訳だし。


「たっだいま~。うわ、先食べてんじゃん! ヒドくない?」


「別にいいだろ、食べたらすぐ書類仕事に戻るんだよ」


 え~っ、ゆっくりしようよ~と言いながら隣の席に座るメンドくさい女、野々村ののむら。あい、というのが下の名前で、事あるごとに名前で呼べと言われるが、残念ながら元カノと同じ名前なのでお断りします。


 そんなやり取りをしてながら日替わり定食を食べていると、野々村が食堂へ入って来た高瀬さんを手招きした。そんな野々村に手で合図を返し、高瀬さんが食券を買いに行った。

 はぁ、思わずため息をついてしまった。


「ん、どしたの? お腹いっぱいになった?」


「いや、休憩中もあの人と一緒かよと思ってな」


 ここ2・3日は本当によく高瀬さんに難癖を付けられる。それも俺だけにだ。他にもミスしてる奴いるだろっ!! と心の中で叫ぶが、俺以外の者に注意する態度は優しい年上お姉さんなのだから腹立たしい。

 俺にも優しい年上お姉さんしろよ!!


「あ~、そんな事言わないの! 同じ課なんだから仲良くしよ~よ」


 うるせぇ、向こうにその気がないからだろ。言い返してやろうかと思ったら、手に日替わり定食のトレイを持った高瀬さんが来てしまった。


「何の話?」


 にこやかに笑いかける高瀬さん。笑いかける相手はもちろん野々村だけだ。俺は含まれていない。

 いや、高瀬さんが俺の事嫌いだとか、嫌いじゃないけど生理的に無理だとかであれば、例え野々村が一緒にいようが近付かないんじゃないか?

 実際高瀬さんに苦手意識を持っている俺も、何で昼飯を一緒に食わないとならねーんだと思ってる訳だし。そうだ、嫌ならここに来なければいいんだよな。


「ほら、ひらりんの前の職場から連絡があったじゃん? あれ何だったのかなぁって思ってさ~」


 チラリと目だけで俺を見る野々村。いらん事を言うんじゃないっての。

 高瀬さんは両手を合わせてから、味噌汁に手を伸ばした。良かった、食いついて来ない。


「何でもないよ」


「何でもないなら話せばいいじゃないの」


 お茶碗を左手に持ち、高瀬さんは定食の白身魚の骨を丁寧に取っていく。食いつくのかよ。


「いえ、前の会社でトラブルがあったらしくて、何か事情を知らないかって聞かれただけです。俺は全く心当たりがないんですけど」


「あの時のひらりんったら怖かったなぁ~。『知らないし知りたくもないです』とか『二度と掛けて来ないで下さい、迷惑です』とか言ってさ、冷静なんだけどとにかく冷たい声だったんだよね~。私が言われてる訳じゃないのに冷や汗かいたもん」


 思い出しただけでも腹立たしい。3日前の事だ、前の会社の社長から電話があった。それも今のこの会社に。

 内容は経理課にいた元カノ、社長からすれば姪だが、会社の金を横領していたのが発覚し、問い詰めたらさらに大きい金額を自分の口座へと移して逃げたらしい。

 警察に通報するべき案件だが、自分の姪である事と、その姪からの言い訳が気がかりで未だ出来ていないそうだ。その言い訳を聞く前に電話をブチ切りしたので、詳細は知らない。知りたくもない。

 あまりにしつこく食い下がって聞いてくるもんだから、イライラして怒鳴り散らしてやろうかという思いを押し殺し、努めて冷静に返事をしていただけだ。冷たい声と言われれば、まぁそうだったのかも知れない。


「そのトラブル、本当に心当たりはないんでしょうね?」


 これだよ、俺が本当に困ってるって分かっててさらにツッコんで来るやつ。さすがにイラッとする。


「ないです」


 なるほど、これが冷たい声ってヤツか。


「でも、前の会社の社長から電話が掛かってくるなんて、異常よ?」


 異常……? 異常ね、確かにそうだけど、それは俺のせいではないし。俺は迷惑掛けられている方だし。何だよその言い方。いい加減にしろよ。


「元カノが会社の金を持って逃げただけです。俺には関係ないんで」


 はい、ごちそう様でした。野々村と高瀬さんを残し、先に食堂を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る