第18話 神弓の威力

 昼食の用意をしていた錦と藤は、突然厨房に現れたモノに驚いた。

 それは、男であるようだけれど、女のようにしなやかな細くて長い四肢をもっていた。

 藤には見たこともないほど美しい容姿をしていたが、目付きがすこぶる悪く、無気味でまがまがしい気配を漂わせていて。

 一緒にいる男二人からも、その異形のものの影響か、不穏な気配がした。


「いい匂いがすると思ったら、ここで飯を作ってたのか」


 そのモノが口をひらく。口元に見える白い鋭い牙のような歯が、藤の目にずらりと見えた。

 異形の者とともにいる男の一人が藤に言った。


「おい、水虎さまに何か食事を用意しろ。って、お前、藤か?」

「……」


 藤はその男を良く知らなかったけれど、男は雫村で生贄になった藤をよく覚えていた。


「お前……葵龍神の生贄になった藤だろ。なんでこんなところにいるんだよ」


 その声は、藤を責めるような口ぶりだった。

 もう一人の男も声を荒げる。


「お前がしっかり生贄になってなかったから雨が降らなかったんだな!」


「ちがう!」


 藤は大きな声を出して否定した。


「良くここを見てよ。ここは緑に溢れている。あんなに日照りが続いたのになんでだと思う?」


 男たちは今気が付いた、というように周りを見渡した。

 ここでは、夏の木々は青々と茂っている。

 雫村では水がなくてカラカラなのに。


「確かに、ここは水不足と縁がないようだ」


「ここでは山の湧き水がでているし、下の里では湖から水を人工的に引いている。だから豊かなの。私はこの国の王に雫村に水をひく工事をしてくれるように頼みに行った! だから、きっとこの先の未来では雫村でも水不足は無くなる。ここみたいに! それまでの辛抱だよ!」


 真実を語った藤に、男二人は信じられないものを見る目で藤を見た。


「なんで藤が王に会えるんだ」

「そんなことが信じられるか!」


 怒った男二人には、何を言っても無駄なようで、ますます藤に憎しみをぶつけてくる。


「なあ、俺の飯は出ないのかい? なら、そこの娘でもいいんだけど」


 男二人と藤の会話を、水虎が耳をかきながら面倒くさそうに聞いていた。


「そうだ……長老も言ってたじゃないか……水虎さまに生贄を差し出せば、良い雨を降らせてくれるかもしれないと……」


 男の目が藤を見る。

 その視線に藤の背筋がぞっとし、全身に鳥肌がたった。

 もう一人の男もにやりと笑い、同意した。


「そうだ、もともと生贄なのだから、ならば水虎さまの生贄に差し上げればいいのだ」


「藤、逃げろ!」


 錦の声が厨房に響いた。

 その声を聞いて、弾かれるように藤は走り出す。

 それを追ってくる男二人。水虎はそれを面白そうに見て、喉を鳴らして笑っていた。


 藤は龍宮の中を駆けまわり、男二人から必死で逃げた。

 龍宮は障子に囲まれた部屋が続いて何部屋もあるので、初めて来る人はどこになんの部屋があるのか分からない。


 藤はがむしゃらに障子をあけて、逃げた。すると、いつも食事をしていた、あの神弓の飾ってある部屋へとたどり着いた。

 藤は身を守るため、咄嗟にその神弓に手を伸ばす。

 葵龍と狩りをしたときに、使い方は教えて貰った。

 矢は、床の間にある矢筒に入った白羽の矢しか、今は手元にない。

 矢筒を背負い、一本抜いてみる。


 それは、矢じりの部分が滴る水で出来ていた。


「な、なにこれ……」


 不思議な矢だ。それでも、ないよりはいい。神の矢なら、きっと何か効力があるだろう。

 バタバタと男たちの足音がしたので、神弓と白羽の矢を持って、藤はまた逃げた。


 しかし、龍宮の庭に面する長い廊下で、藤は挟み撃ちにされてしまった。


「おとなしく生贄になれよ」


 男がじりじりと近づいてくる。


 とっさに藤は弓を構えて矢をつがえた。


「来るな! 来たら、撃つ!」


 水で出来た不思議な矢が、片方の男に向いている。


 挟み撃ちにされた藤に庭にいた彩が、大声を上げた。


「藤、撃て! それは破魔矢だ! 魔を払うものだから、邪悪なこころを払ってくれる! 人間に当たっても死にはしない!」


「彩、それほんと? 撃っても死なないのね?!」

「ああ! 心おきなく撃て!」


 藤はそのねらいをつけていた男の肩を狙って破魔矢を放った。

 矢があたった男の悲鳴が響きわたる。


「がああーー!!」


 肩からじゅううっと煙が立ち上がり、男は苦しみのたうち回る。


 それを見て呆然としてしまった藤を、もう一人の男が後ろから羽交い絞めにした。


「離して!」

「こんなもの、捨てちまえ!」


 男は神弓と矢筒をむしり取り、龍宮の庭へ投げ捨てる。


 大の男と十六歳の少女では、力の差は歴然。一瞬の戸惑いが命取りになった。


 藤は思い切り暴れた。しかし、男は藤を龍宮の庭に突き飛ばし、馬乗りになって組み伏せた。


「さあ、水虎さまの生贄になるんだ……。そうすれば雨がふる……」


 濁った眼が不気味だった。

 視界の端に、一部始終をみていた水虎が、赤い舌をだして、舌なめずりをしている様子がみえる。


「美味しそうな娘だね。やっと腹いっぱい喰えるよ」


 楽しそうな水虎の声が頭上でひびき、藤の隣に座った。

 手が藤の顔に伸びて、するりと頬を撫でられる。鳥肌が立って上を見ると、尖った歯を見せながら水虎が口を三日月のように開けて笑っていた。水虎の口から垂れた涎が藤の顔につたう。


(葵龍さま……助けて!)


 ぎゅっと目をつむって、またもや死を覚悟したそのとき。


 大きな雷鳴が鳴った。

 ゴロゴロと、今まで藤が聞いたこともないほどの大きな雷鳴がなり、雷が近くに落ちた。

 木を裂くすさまじい音がして、焦げ臭いにおいが辺りに漂う。

 それと同時に、何か大きなものが、藤の上をかすめて行った。


 水虎と男はそれに弾き飛ばされて、藤からかなり離れたところに転がっていく。


「がああ――」


 声にならない声をあげて、男が気を失う。

 水虎はとっさに受け身をとった。


 藤は呆然として、半身を起こして首を巡らせてみた。


 そこには大きな銀色の龍がいた。


 さっき水虎と男を突き飛ばしたのは、葵龍だったのだ。

 神泉でも如意宝珠を使ったのを感知した葵龍は、自分が開いた神泉と龍宮を繋ぐ道に、誰かが入ったのも感じ取った。

 龍宮への侵入者は水虎だろう。そう確信した葵龍は、そこから龍の姿になって龍宮へと飛んだのだ。


「藤、無事ですか?」


 雷鳴のような声が響いた。


「は、はい、葵龍さま!」


 大雨のなか、宙でうねる龍神の迫力は、けた外れに恐ろしい。

 だが、これはあの葵龍だ。

 藤には恐ろしくない。


 生贄の食事を邪魔された水虎が、片眉をあげた。


「おやおや。ここは葵龍神の住処すみかだったのかい」


 目を細めてニヤリと笑い、自分の懐に手を入れる。

 そこから、如意宝珠を取り出した。

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