南の地へ

第11話 鳳凰宮へ向かう

 蘭鳳らんほう神―― 南の地方の神であるそのかたの元に、雨を降らすことのできる如意宝珠がある。


 ならば、返してもらって今からでも雨を降らすことは出来ないだろうか。

 今日の小雨ではまだまだ田畑は潤わない。

 もっとまとまった雨が村々には必要だ。


 でも、どうやって蘭鳳神のところまで行けばいいのか。

 藤はその晩考えた。

 

 そして、蘭鳳神と葵龍神のあいだで行き来があるのなら、きっと手段はあるのだろうと思い、泣き腫らした目を洗って、その日は就寝した。

 今日は疲れた。何事も万全の体制で挑むのがいい。

 今日はぐっすりと眠って明日、葵龍さまに蘭鳳神のもとへ行く方法を聞こう、と藤は思った。




 翌日の朝、飯の支度のときに錦が藤のことを気遣って、声を掛けてきた。


「大丈夫? 泣き声がぼくの部屋まで聞こえてきたから……」

「平気よ、錦」


 ぎこちなく笑いながら錦に返事をする。

 彩はそんな藤を見て、きまり悪そうに目をそらす。


「藤は今日も飯をたいてくれ。俺は味噌汁をつくる」

「うん」


 彩はいつも通りだ。それでも気を遣ってくれているように藤には感じられた。

 朝食をつくって部屋へと運ぶ。

 用意が出来ると、葵龍もやってきた。

 そして、いつも通りに席について朝食をかこむ。


「いただきましょう」


 葵龍の声を合図に三人の「いただきます」の声が重なってひびいた。


「藤……」


 葵龍が藤を気遣い、声を掛ける。


「はい、なんでしょう、葵龍さま」

「私に何かできることはありますか」


 そう真剣な顔で聞いてきたので、藤は昨日考えたことを提案した。


「葵龍さま、蘭鳳神さまのところへ行って、如意宝珠を返してもらいましょう」

「それで如意宝珠で雨を降らすのですね」

「そうです。でも私には蘭鳳神がどこにお住まいなのかがわかりません。一緒に連れて行ってくれませんか?」

「……」


 葵龍は考え込んだ。


 そもそも人間が行ける場所なのだろうか。

 そんなことも藤は考えた。


「分かりました。いいでしょう。蘭鳳のところへ行きましょう。しかし、行くには私が龍になってあなたを手の中に入れて空を飛ばなければなりません。大丈夫ですか?」


 意外なことを聞いて藤は少したじろいだ。


「空をとぶ?」

「ええ。高いところを飛びます。でも大丈夫。藤はしっかり私が手の中で支えていますから」

「……きっと大丈夫です。それに、何が何でも蘭鳳神さまのところに行かなくては雨が降りませんから」


 自分はきちんと飯が食べられているが、藤の家族は水さえ飲めるかどうかわからない。

 生贄を出した家ということで、村で優遇されているとは思うけれど、それでも今夏は暑い。ここにいると山の涼風で忘れそうになるのだけど。

 

「分かりました。では朝食を食べたら出発しましょう」

「はい!」

「錦、彩。私は藤と鳳凰宮ほうおうきゅうへ行ってきます。留守を頼みましたよ」


「はい」


 はっきりした二人の子供の声が重なって、葵龍は頷いた。


「では、朝食を頂いてしまいましょう」


 葵龍の言葉で四人はまた食事を再開した。




 支度をして、葵龍と藤は龍宮の庭に出た。


「これから身体を変えるので、少しのあいだ目をつむっていてください」

「あ、はい」


 そう言われて藤は大人しく目をつむった。

 本当はどんな風に体が変わって行くのか少し見たかったけれど、好奇心は封じ込めた。

 目をつむって、すぐ、葵龍の声が聞こえた。


「もういいですよ」

「え、もう?」


 あまりの速さに驚いて目を開けると、そこには尾の長い、銀色の龍が浮かんでいた。

 藤の背丈くらい顔が大きくてたてがみに覆われた頭に鹿のような角があった。それに繋がる身体も、大きくて長い。

 空を飛ぶ為の――というよりもそれを象徴するための羽が二対あった。

 水かきのついた手を、手のひらを上にして藤の方へと差し出した。


「さあ、この手の中に乗ってください。落ちないように握り込みますから、藤はその手にしっかりとつかまっていて下さい」

「わかりました」


 間近で葵龍の本体をみた藤は、やはり迫力が違う、と思った。

 この陽明国を護る神と言われている龍神は――葵龍は人とは全く違っていた。

 葵龍はあまりに親しみやすいから、藤は少し勘違いしていたふしがあった。

 葵龍さまは人間みたいだ、と。


 葵龍は金色の丸い瞳をきらりときらめかせて藤が手のひらにのる様子を見ていた。

 銀色の爪があるそこに乗ると、ゆっくりと、大きな指を握り始める。

 

 しかし、藤はまったく怖くなかった。

 だって、この龍は、あの葵龍なのだ。

 穏やかで優しくて、少し気の弱い。

 

 だから、握りつぶされるなんてことは、ない。

 その想像の通り、絶妙の握り加減で体が固定され、藤は葵龍の水かきに手をかけて掴んだ。


「苦しくないですか」

「はい」


 ちゃんと藤が苦しくないか聞いてくれる。

 その優しさが胸に痛かった。

 藤は、大事な如意宝珠を貸してしまった葵龍を、まだ許せていなかったから。


「では、飛びますよ」

「ええ、いつでもいいです」


 その言葉と同時に、ぶわっと風圧が藤を襲った。

 目をつむってそれに耐え、再び目を開けたときに、もう雲の隙間を飛んでいた。

 下には枯れた木々が見えていて。


「以前よりも日照りで大地の様子がひどくなっていますね。空から見ると一目瞭然です」


 葵龍は藤を助けたとき、どの程度の日照りなのかを空から確かめたことがあった。 

 しかし、今日はそのときよりも被害はひどいように見えた。



「そうですね。早く雨がほしいところです」


「如意宝珠がなくても私自身に雨を降らせる力があれば……。神などとあがめられているけれど、私にできることはとても少ない。人間がいくら祈りを私にささげても、私には聞こえない」

 

 葵龍のかなし気な声が聞こえて、藤は複雑な気持ちになった。


 そもそも、葵龍は心根がやさしい。

 雨が必要なら、雨を降らせるために、きっと、もっと早く如意宝珠を返してもらいに蘭鳳神のところへと行ったはず。


 藤が生贄として滝の上から落とされるくらい村人はせっぱつまっていて、雨が必要なのはわかっていたはずだから。


 (葵龍さまは如意宝珠を使えない訳があるのでは。何か重要なことを隠していらっしゃる……?)

 

 そう思い当たって、藤は何か嫌な予感がした。


 それにしても、風圧があまり気にならないのは、やはり葵龍さまの力なのか、と藤は思った。

 

 葵龍は、自分には力がないとよく言うけれど、藤からみると神力は確かに持っている。

 迷いの森の結界も、この風圧のことも、村の神泉が龍宮とつながってることも、不思議な力が働いていると感じる。


 しかし、葵龍は神としての能力は申し分ないのに、自覚がとても足りない。

 

 藤は、以前の会話を思いだした。龍宮の湧き水を飲んだときのことだ。


 ――……龍になれるのが神なのでしょうか。私は自分自身が何者なのか、とても疑問に思います

 ――え……? えーと。神様なのだと思いますけど。それ以外の何だというのでしょうか

 ――……そうですね。そういうことにしておきましょう


 (葵龍さまは、自分が神ではないと思っていらっしゃる……?)


 でも、葵龍はなぜそう思うのだろう?

 考えても藤にはとても分からなかった。

 

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