第7話 葛藤の夜

その日。

いつも薬を届けに来る時間以外で、ラナが部屋に来るとは思っていなかった。だから返事を待たずに扉が開かれたときは、思わず言葉を失った。

バルガのフォローはあったものの、完全に見られたようだ。


しまったな……。


ガウンを羽織っていたとしても、上半身裸だ。病弱だと思っていた俺が、鍛え抜かれた体をしていたらそりゃぁ驚きで固まるよな。


ラナとバルガのやり取りにフッと笑みが浮かぶ。

なぜだろう。

ラナに見られて、ほっとしている自分がいる。

あぁ、もう偽らなくてよいのだ…と。


もっともらしい言い訳をつけて、ラナを俺の部屋に閉じ込めた。

タイミング的に、もちろん今口外されるわけにはいかないし、ラナはそういう人間ではないとこの一年でわかっていても万が一と言うこともある。


今、この時に俺の秘密が漏れるわけにはいかないのだ。

それに、ラナ自身の身を守るためにも一人にするわけにはいかなかった。


神経をとがらせれば、このピリピリした空気が分かるだろうに……。薬を忘れたことに、よほど焦っていたんだなと思う。


外は厳重警戒のはずだが、相手がラナと言うこともあって気が抜けていたのだろう。あっさりと通してしまったのだから。


これは、あとでワサトにくぎを刺さなければ。いや……、そもそも鍵をかけ忘れた俺も悪いのだから厳しいことは言えないか。


次期国王になる時が迫っている。それがどこか気持ちを浮つかせていたのかもしれない。


ラナに実は健康なのだと告げた時、大きな瞳をくりくりさせて見開いていた表情が可愛かった。

食事に誘った時も、緊張しているようだったが以外にも落ち着いている。順応が早いタイプか?


食べ方が綺麗だ。

確か、実家はカーロンス子爵家だ。なるほど、所作もちゃんと教え込まれている。普通の薬師ではあるが、貴族の娘なんだなと実感する。


「ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「なぜ今日は大切な日なのでしょう? カザヤ様は一体何に警戒されているのですか?」

「今日、国王が崩御されるからだ」

「……え?」


なんでもない事のように言うと、ラナが言葉を失った。

それはそうだろうな。動揺するラナを横目に、これが普通の反応だろうと思う。

俺自身はもう父と別れを済ませている。

気持ちは切り替えているはずだが、ラナの表情にほんの少し胸が痛んだ。


父のこと俺の病気が偽りのことを話すと、賢いラナは察しがついたようだ。


「まさか第二王子オウガ様のお母上……、第二妃のシュウ様ですか?」


俺を狙う人物についてはばかりもせずに名前を出す。

二人きりだとわかっていても、ラナのうかつさに少しだけひやりとした。


「さてな。オウガなのか第二妃なのか……。どっちにしろ、国王が崩御したら今夜俺を殺そうとするやつらがいるだろうな。病弱だから継ぐことはないと言われた俺でも目の上のたんこぶで邪魔に思うだろう。いっそのこと殺してしまえと画策するかもしれない。そんな大事な日に、お前は俺の秘密を知ってしまったんだ」


俺はニッと笑みを浮かべる。

悪い顔に見えたのか、ほんの少しラナの表情に脅えが見えた。


「就任発表までは健康体だとバレるわけにはいかないんだ」


そう、その時までは決して誰にも……。

それが父との約束である。


「私が誰にも言わないと誓ってもですか?」


まだ言うラナに、そんなに部屋に戻りたいのかと問い詰めたくなる。

そこまで俺といるのが嫌なのだろうか?


「誓ってもだ。お前が話さなくてもそぶりやぎこちなさから何か感づかれる可能性だってある。それにこんな時間に俺の部屋から出て行くのを見られたら、お前も消されるかもしれないぞ」


そう脅しをかければ一瞬で青くなる。


「えっ!?」

「冗談だ」


そう言うとラナは「なんだ」と呟いて口を尖らせた。その可愛い表情に笑みが浮かぶ。

半分冗談だが半分は本気だ。しかしそれは黙っておこう。


「カザヤ様がご病気ではなくて安心しました」


不意にラナの口からそんな言葉が漏れて、俺は一瞬言葉を詰まらせた。


「騙して悪かったな」


心配していてくれたのか……。やはりラナを騙していたことにチクリと良心が痛む。

ラナは優しい。

その心に自然と笑みが浮かんだ。


ラナを風呂場へ案内すると戸惑われた。


「あの、私お風呂は別にいいですから!」


遠慮されるが、案内してしまった手前こちらも引きにくい。

ほぼ強引に風呂に入らせた。


風呂場の扉を閉めると、奥から衣擦れの音と水音が聞こえてくる。それにギクリとし、あらぬ妄想をしそうになったので慌ててその場を離れた。


風呂上がりで上気した肌に、ラフなワンピースの夜着に着替えたラナは色っぽくてどこに目をやっていいのかわからなくなった。

風呂に入らせるのはうかつだったかもしれない。

動揺を悟られないよう、紅茶を入れて意識をそらす。


こんな状況じゃなければ、今すぐにでも手に入れたいところなんだけどな……。


紅茶を飲み干す細くて白い喉に目を奪われながらそんなことを思う。つい胸の中にしまっているオスが顔を出しそうになり、慌てて引っ込めた。

ラナの前ではひょうひょうとした接しやすい俺を見せている。

その実、中身はオスオスしくラナのことを考えているなんて悟られたくはない。


するとラナから視線を感じた。

顔を向ければジッと俺を見つめてきた


「どうした? 湯あたりでもしたか?」

「いえ……。動き回るカザヤ様を見つめておりました」


素直に見つめていたと言われ、心が少しだけ踊る。


「見つめてどう思った?」

「不思議だなと……。私が知っているカザヤ様はいつも布団の中で青白い顔をしていました。こんな風に動き回るところを見たことがありません」


そういうことか……。

思わず胸の中で苦笑をする。


「あぁ、そう言われるとそうだな。病弱な俺に筋肉がついていたらおかしいだろう? バレないようにいつも布団の中にいた。ラナが来る前は騎士団に紛れて訓練に参加していて、慌てて戻って布団にもぐるから酸欠で顔が青白くなるのだろう」


訓練場からこの部屋までは距離があるのでいつもダッシュしなければならない。それもまた体を鍛える一つとなっていたが、疲れるのは本当だ。


「だからいつもうっすらと汗をかいていたのですね! じゃぁ、あの栞の花も実は……?」


聞かれてドキッとする。

あんな子供っぽいもの、嬉しくなかったのだろうか。

そんな不安がよぎった。


「あぁ、俺が摘んできて作った。大っぴらに歩けないから贈り物もしにくいから、子供のプレゼントみたいで恥ずかしいけどな」

「とんでもありません!」


ラナの大きな声に驚く。見つめ返すと、その目は真剣そのものだった。


「私、その栞がとっても嬉しかったんです! カザヤ様からいただいた大切な宝物です」


真意を測ろうとその目を探る様に見つめるが、揺れることはなく真実だろうと思えた。

あんな子供っぽいものを宝物だと言ってくれるのか……。


「そうか、良かった。喜んでもらえたならすごく嬉しい」


嬉しくて心から安堵の笑みが浮かんだ。


その後、予想外にもすぐに襲撃されて思わず舌打ちをする。

外の警備を任せていたはずだが、奴らは簡単にここまでやってきた。たぶん、内部に手引きしたやつがいるのだろうがその犯人捜しは後だ。


俺は剣を抜くとラナをバルガに任せて敵と対峙した。剣を合わせると相手の力量を測れる。相手が弱いと感じた俺は制圧も難しくはないだろうと頭の隅で考える。


しかし、隣の部屋へ逃したラナの悲鳴が聞こえた。

相手を制圧し、駆け付けるとラナの白いクビに剣が突きつけられていた。今まで敵に対して冷静に対処していたのに、一気に全身が怒りで熱くなる。

殺気だった俺に、ワサトが落ち着くようそっと背を叩いてきた。お陰で相手を問答無用で切り捨てたいところだったが、その衝動は抑えられた。

男から目を離さずに一歩近寄る。


「俺を殺すように命じたのは王妃か? それとも第二王子か?」

「どっちだっていいだろう!!」


ほんのかすかに示された男の反応を俺は見逃さなかった。


「お前、今第二王子という言葉にかすかに瞼が痙攣したぞ。命令したのは第二王子か……。結構な人数集めやがって。ここまで大人数とは思いもしなかったぞ」


俺の言葉に男は動揺する。

このくらいで動揺するなんて刺客としてどうなんだ……。

呆れてため息が出た。


「来るな! この女を殺すぞ!」

「その人は放せ。俺を殺しに来たのなら俺にナイフを突きつければいいだけの話だろう」


俺は持っていた剣を床に落として両手をあげてみせた。ほんの一瞬だけチラッとワサトに視線を送る。


「ほら、丸腰だ」


俺の言葉に、黒ずくめはニヤァァと笑う。

わかりやすい奴だ。

奴はラナを床に突き飛ばすと、ラナに突き付けていた剣を振り上げて俺に向かって走ってきた。


「死ねぇぇ!!」

「ワサト!!」


俺は動かずにワサトに声をかけると、ワサトは床に落ちていた俺の剣を素早く拾って投げてくる。男から目を離さないまま、その剣を受けとると俺はそれを大きく振りかざした。

それは一瞬の出来事だった。男は血しぶきをあげながら床に倒れ込む。

絶命はしていないだろうが、痛みにのたうち回る男を俺は冷めた目で見ながら剣に付いた血のりを振り払った。


「お見事です」


ワサトが男を拘束しながら口角を上げた。師からのお褒めの言葉に俺も頬を緩めるが、それは俺の言葉だ。

俺の一瞬の目線で、ワサトは俺の意図を完全に理解した。

やはりワサトはこの国のトップに立つほどに騎士として優れている。


「バルガ様」


不意に部屋の隅で人影が動いた。バルガの部下だろう。影のようにひっそりと動き、情報を与えてくれる一人だ。

俺自身、この影については詳しくは知らない。ただバルガの信は厚いのでバルガに任せているのだ。

その人影はバルガに何か耳打ちすると、いつの間にか消えていた。


「カザヤ様。国王陛下が崩御され、司教よりカザヤ様が次期国王陛下になられると宣言があったそうです」

「そうか……」


俺はハァァと深く息を吐く。

父が死んだ。そうか、ついに死んだのか……。

その喪失と共に、やっとすべてが終わったという安堵が押し寄せてきた。バルガとワサトはその場に膝をつき、「国王陛下、おめでとうございます」と礼をした。


「ありがとう。二人のお陰だ。それにしても予想よりも多かったな」

「申し訳ありませんでした。廊下で食い止めていたのですが、あまりの人数の多さに手を焼きまして……」

「いや、いい。俺の見積もりが甘かった」


もちろん部屋に刺客を通したのは騎士団の落ち度だが、騎士団がいるからとどこか油断していた俺自身の責任でもある。

それについての責は問うつもりはなかった。


ラナは放心したように床にへたり込んでいる。この状況はラナには刺激が強すぎるだろう。俺はラナに手を差し伸べた。


「ラナ、大丈夫か?」

「カザヤ様……、あの……」


俺を見上げる顔は真っ青で、小刻みに体も震えている。

相当怖かっただろう。

今すぐにでも強く抱きしめたい衝動に駆られるが、奥歯をかみしめてそれをこらえる。そしてラナの背中と膝裏に手を差し込むと一気に抱き上げた。


「ひゃぁぁ!! カザヤ様、降ろしてください!」

「何を言う。立ち上がれないくせに」


思った以上にその体が軽くて柔らかくてドキッとした。

他の部分はどうだろう。もっと触れたい……。

そんなよこしまな気持ちを悟られないよう、ラナを抱えたまま、素早く続き扉がある奥の部屋へと足早に向かった。

そこは戦闘場所にはなっていなかったので綺麗なままだ。


「客室だ。俺の部屋は血まみれだからな。しばらくここで休むといい」

「あ、ありがとうございます」


ラナを広いベッドにそっと降ろした。ベッド上のラナを見て、俺の中のオスが顔を出しそうになり苦笑する。

戦闘の興奮状態がまだ続いているようだ。


「カ、カザヤ様!」

「なんだ?」

「あ、あの……」


ラナが口ごもる。その顔に恐怖と不安の色が残されている。


「すぐに戻るから」


安心させるように微笑むと、俺は元の部屋に戻った。


既にそこはバルガとワサトの指示のもと、修復作業に取り掛かっていた。黒ずくめの男どもは息がある者は連行され、息がないものは布に覆われて連れていかれる。

血が付いた場所は布が交換され、床も消毒を始めていた。


「作業が早いな」


フッと笑みがこぼれる。バルガはここまで予想していたのだろう。


「思ったよりは汚れていませんのでまた引き続き使えますよ。カザヤ様はラナのことになると血が上るだろうと思ったので、あらかじめ修復作業の手配はしてありました」

「俺がラナを引き留めた時にもう予想していたのか?」

「ここまでは考えておりませんでしたが、万が一として予想したまでです」


ラナを部屋にとどめた時点で巻き込まれるかもと予想していたってわけか……。

全く、俺以上に先読みが深すぎる男だ。だからこそ、俺はこのバルガを側近として手放せないのだが。


「カザヤ様。消毒を終えたら、私たちは引き上げて外で警備を行います。今夜から警備は手厚くなりますのでご安心ください」


ワサトはそう言って敬礼すると部屋から退出した。


「私も今夜は隣の控え部屋におります。何かありましたらお声がけください。それと、わかっているとは思いますが……」


バルガはジッと俺を見つめてきた。その目線が何を言いたいかは重々承知している。


「わかっているよ。ラナには何もしない」

「本当ですか?」

「俺はそこまで鬼畜じゃないよ」


フッと笑いながらもバルガを真剣に見返すと、バルガは小さく息を吐いた。


「お願いいたしますね。あなた様はもう一国の主。今まで以上にご自分のお立場を考えて行動してくださいませ」


バルガはそう釘をさすと、隣の控え部屋へと戻って行った。


「手厳しいね、バルカは」


そう呟く。

バルガは真面目過ぎるが、間違ってはいないから何も言い返せない。立場もあるし俺は軽率に女に手を出すタイプではないが……、果たして今日は眠れるだろうか。

重いため息をついた。


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