第5話 その悲しみは

カザヤ様に言われた通り、仕事終わりに王宮へと向かった。

カザヤ様の部屋へ通じる通りは、衛兵たちに話がすでに通っているのか、私が現れても止められることなくスムーズに通された。

奥へ行くにつれて、警備は厚くなっている。


当然だよね。

あの夜、襲撃もあったしカザヤ様は国王になったんだから……。

カザヤ様の部屋の前まで行くと、逆に多くの警備の目が気になって早く扉が開かないかと妙な焦りが生まれたほどだ。


「ラナでございます」


そう声をかけると、扉が開いた。現れたのはバルガだ。


「バルガ様…?」


てっきりカザヤ様が出てくるのだと思っていたので、少し拍子抜けしてしまった。


「どうぞ」


バルガは体をよけて通してくれる。あまり表情の喜怒哀楽が見えないので、私はバルガが少し苦手だ。

どう会話をしていいかわからなくなる。

バルガに言葉少な気に中へ通されると、リビングの奥の書斎からカザヤ様が顔を出した。


「あぁ、もうそんな時間か。ラナ、そこで座って待っていてくれ」


カザヤ様の柔らかい笑みに、いつも布団の中から微笑みかけてくれていたカザヤ様を思い出す。しかし書類を片手に現した姿は、病弱とは思えない体格のカザヤ様。


やはり現実か……。


言われた通り、リビングのソファーに座って大人しく待つ。

バルガがお茶を入れてくれた。一口飲むと、そわそわしていた心が落ち着いた。


「陛下、私はそろそろ帰ります。先ほどの書類は押印ののち、まとめておいてください。私が明日受け取り、関係各所に戻しますので」

「わかった。よろしくな」


奥からやり取りが聞こえ、バルガが出てくると私をチラッと一瞥した。そしてそのまま部屋を出て行く。


「バルカ様は私をよく思っていないのかしら……」


歓迎されている感じもしないが、極端に嫌われている感じもしない。ただ淡々と、しかしどこか探るような目で見られている気がした。

少ししたら、カザヤ様が奥の部屋から肩を回して戻ってきた。


「いやー、やっと終わったよ。やるべきことが多すぎて目が回りそうだ」

「お疲れ様でございました。お茶入れますね」


バルカが用意しておいていった紅茶を入れる。

紅茶を一口飲んで、カザヤ様はホッと息を吐いた。


「今朝の朝議、ラナにも見せてやりたかったよ。俺が健康体だということは一部の人間しか知らなかったことだから、家臣たちのどよめきが凄かった。オウガなんて目が飛び出るほど驚いていたよ」

「そうでしたか。皆様の反応や反響はいかがでしたか?」

「おおむね歓迎だったよ。親父が俺をスムーズに就任できるように自分の家臣らにも手回ししていたらしい。オウガ派はいるだろうが、それも権力は持てないだろうからそこまで心配はいらないだろう」


苦笑しているが、カザヤ様からにじみ出る気品や圧が物を言わせなかったと薬師長が話しているのを聞いた。


カザヤ様が出てきた時、朝議の場はどよめき混乱が起こった。病弱のはずの第一王子が堂々と立派な体躯で出てきたのだから無理もない。

カザヤ様から体の心配は何一つないこと、正式に国王に就任したことなどが語られた。

家臣の一人が「本当に病気ではないのか? 王子は嘘をついて騙していたのか? 公務をこなしてこなかったあなたに何ができるのか」と質問攻めにあったらしい。

しかし、カザヤ様は真摯に答えたという。

そして最後に一言。


「俺はこの国を導くために生まれてきた。俺を信じられないものは、今与えられている任から降りてもらってもいい」


と、凛とした声で告げたらしい。

その声は堂々としており、国王としての威厳が備わっていたという。薬師長曰く「オウガ様にはあれは無理ね」だそうだ。


「もう政務に取り掛かっているんですね」

「あぁ、親父がいた頃から手伝っていたから滞りはない。戴冠式はまだ先だが、俺は正式に後を継いだし休んでいる暇はないな」


そんなに忙しいのに、どうして私を呼んだの……?


カザヤ様の気持ちがわからないまま、二人でお茶を飲みながら一時間ほど世間話をした。


「あ、もうこんな時間……。カザヤ様、私そろそろ……」

「あぁ、そうだな」


立ち上がって扉に向かうと、私の腕をカザヤ様が掴んだ。


「え……?」

「また明日」


真っすぐ私を見て微笑むカザヤ様に、頬が熱くなるのを感じた。カザヤ様にこんな風に見つめられたことはない。

心の奥へと入ってきそうな視線。

ドキドキと胸が苦しくなって、目をそらした。


「失礼いたします」


部屋を出ると、逃げる様にその場を後にした。



――――


それから私はカザヤ様の約束通り、毎日仕事終わりにカザヤ様の部屋へ通った。

忙しそうにしながらも、いつも必ずその時間は部屋に居て仕事の手を休めて私と何気ない会話をする。数日通うと、それがカザヤ様の息抜きの時間になっているのだと気が付いた。


こんな私で良いのかしら。私なんかではなく、もっと他に息抜きの方法があっただろう。

せっかくの休憩なのに、私と話すことで時間が無くなってしまうのが申し訳なく感じた。


前国王陛下の葬儀が行われたこの日。

私はいつものようにカザヤ様の部屋にいる。


「すみません、着替える時間がなかったものですから……」


この日は王宮、国民共に前国王に哀悼の意を込めて黒い服を着る。

私も同じで、この日は王宮横の教会で、献花の列に並びそのままカザヤ様の元へときた。本当は、さすがにこの日はそっとしておこうと思っていたのだが、カザヤ様にちゃんと来るよう言われていたのだ。


「別にいいさ。献花してきたんだろう? ありがとう」

「いえ……」


カザヤ様も今さっき戻ったばかりなのか、礼服を着ている。それを窮屈そうに脱ぎ始めた。


「カ、カザヤ様!? あの、私出ていますから!」


慌てて背を向けると、カザヤ様がおかしそうに笑った。


「そこに居ていいのに。すぐに着替えるから」


後ろから衣擦れの音が聞こえる。私は両手で顔を覆った。恥ずかしくて耳まで真っ赤だろう。


「もういいよ」


恐る恐る振り返ると、薄い生地のラフな服に着替えを済ませていた。微笑みながらこちらを見てくるが、その表情はどこか疲れている。

それはそうだろう。

前国王の葬儀ということは、カザヤ様にとっては父親の葬儀だということなのだから。


「今日はもうお休みになられたらいかがですか?」

「……なぜ?」

「お疲れのご様子です。私なんかに会うよりも、ゆっくり眠られた方が良いですよ」


本心だ。

カザヤ様にはゆっくりと身も心も休めてほしかった。

すると、カザヤ様は深くソファーに座った。


「そうだな、今日は疲れた。国王就任してから初めて一族みんなに会ったからな。まぁ概ね好意的ではあったが、やはりオウガは油断ならない。あからさまに敵意むき出しの顔を向けてきたからな。なんだかあちらこちらに神経を使って凄く疲れたよ」

「それならば早くお休みされては……」

「でもな、そういう時だからこそ眠れなくなる」


カザヤ様はハァと息を吐いて上を見上げる。


「神経が研ぎ澄まされてしまったんだろう。そういう時は眠れないんだ。だから、お前は何も気にせずにここに居てくれればいい」

「では……、眠れるお薬をお持ちしましょうか?」


薬師室に戻って眠れる薬を調合してこようかと思った。しかし、カザヤ様は隣に座る私の右手をそっと握った。

そのぬくもりに体がビクッと反応する。

一瞬引きそうになったその手を、カザヤ様はしっかりと掴んだ。温もりが直接伝わってくる。


「いや……、少しこのままでいてくれ。そうしたら神経の高ぶりも次第に落ち着いていくだろうから……」


大きくごつごつした手が私の手を包む。温かくて優しい手だ。

ドキドキと胸がうるさいが、まずはカザヤ様の体を優先しなければ。


「ではベッドに横になってください」

「……どういう意味で?」


真剣に言った私に、カザヤ様はニヤッと笑う。

その笑みの意味に気が付き、顔を赤らめた。


「ち、違います! リラックスできる場所の方が落ち着きやすいと思って……!」

「わかっているよ」


吹き出して笑うカザヤ様は、私の手を引いて寝室へと向かった。

そこは離してもいいんじゃないかなと思うけど……。しっかりと繋がれた手を見つめる。


寝室へ入ると、カザヤ様は広いベッドに仰向けになってゴロンと横になった。カザヤ様から「はぁ」と深いため息が漏れた。

私はベッドサイドに腰かけ、寝転がるカザヤ様を見つめる。

手はもちろん、離してもらえていない。


「体を起こしているより、少しでも横になっている方がリラックスして疲れも取れるはずです。私、ここに居るので寝てしまっても大丈夫ですよ」

「一緒に横になったっていいぞ」

「いいえ、結構です。服も皴になっちゃいますし」


なんとなく、そう言われる気がしていたのでそこは過剰に反応はしなかった。

カザヤ様は疲れているところを見せないように、さっきからふざけたことばかり言っているのかもしれない。

そう思ったからこそ、手は振りほどけなかった。

疲れの中に、寂しさが見えた気がしたから。


「ラナ、何か話してくれないか?」

「話とは?」

「お前の話を聞かせてほしい。そうだな、お前はどんな子供だった?」


唐突の質問に少し驚いたが、気がまぎれるかもしれないと思った。


「そうですね……、子供の頃から本が好きな子供でした。いわゆる本の虫ってやつで、読める本は片っ端から読んでいたと思います。家にも大きな本棚がありましたから」

「ラナはカーロンス子爵家の次女だったな? ラナのお父さんは博識だから珍しい本もたくさんあっただろう?」

「ええ、ありました。その中でも、私は薬学に興味をもって本を読み漁ったんです。家は一番上の兄が継ぐし、姉は侯爵家に嫁いだので私は好きなことをやらせてもらえたんです」

「だから薬師に? ラナは賢いんだな。王宮薬師室なんてどんなコネがあってもそうそう受かるものじゃない」


そうなのだ。

王宮全部の人間の薬を調合する王宮薬師室は、とても慎重に人間を選んでいる。

どんなに薬師としての経験や腕があろうとも、少しでも変な疑いや危険だと感じられれば受かることはまずない。

徹底的にも元を調べ上げられる。


かくいう私も、国のトップと言われる王立大学で薬学を学んできたが、王宮薬師の試験は二度目の挑戦で受かった。

ディア薬師長曰く、最年少での合格らしいが、私自身とてつもなく努力をしてきたのだ。


「どうして王宮の薬師室に? 務めるなら病院や研究室など他にも選択肢はあっただろう?」

「父の条件でした。好きに薬師の仕事をしてもいいが、働くならば王宮薬師室で、と。一応、子爵家として、一般のところへ行かせたくはなかったようです」

「なるほどな。まぁここなら薬師をしながらもっと学んでいけるし、研究もできる。薬師を追求したいならうってつけの場所だ」


カザヤ様は目を閉じてフフっと笑った。私の何でもない話に、少し落ち着いてきたのだろうか。目が先ほどよりもトロンとして、険しさがなくなってきている。


「カザヤ様はどんなお子様でしたか?」


ふと口から洩れた。

目を開けたカザヤ様と視線が合う。聞かない方が良かったかなと妙な焦りがわいてきた。


「あ、いえ……。ちょっと言ってみただけなので……」

「俺は……、幼い頃に母上がなくなってから身を守るため、ずっと病弱を装って来たから活発に遊べなかったな。親父がそれを配慮して、王宮騎士団の訓練に時々紛れさせてくれるようになった」


親父というワードの時に、カザヤ様は懐かしそうに目を細める。


「ラナが部屋に薬を届けに来るときはいつも、直前まで訓練に参加していたんだ。王宮警備隊隊長のワサトは俺が王子だと知っていても容赦なかった。俺に身を守るすべを叩き込んでくれた。お陰で怪我が絶えなかったけどな」

「あぁ、それで痛み止めと湿布薬なんですね」


訓練でしごかれた体はあちこちに傷を伴って痛みが強い。さらに腫れることもあるだろうから、湿布薬が必要になるのだろう。

私はそれを届けていたのだ。


「王帝学を学びながら、親父が政治を教えてくれた。お陰でこうして国王に就任しても滞りはない」

「前陛下は熱心に教えてくださったのですね。カザヤ様が次期国王になることを見越して」

「いや……、違う」


苦笑したカザヤ様に首をかしげる。

違うとはどういうことだろう。


「親父は俺とオウガとどちらがふさわしいか、力量をずっと確かめていたんだ。結果、俺が選ばれただけ」

「カザヤ様……」


どこか自嘲気味に笑う。

その顔がとても寂しげに見えた。かける言葉が見つからなくて、黙り込んでしまう。

カザヤ様は私に視線を向けて、小さく微笑んだ。


「まぁ比べなくても力量は一目瞭然だがな」


どこか自信ありなので、私もつい微笑んでしまった。


「前陛下は、カザヤ様をお褒めにはならなかったんですか?」

「え……」

「政治や公務を教えてくださったときとか、なにかお声がけは?」


そう問いかけると、カザヤ様は黙った。

視線が上を向き、記憶を辿っている様子が見られる。


「あった……な」


どこか懐かしそうな目をした後、そっと閉じられる。


「親父は俺をよく褒めてくれた」

「そうですか」


それなら良かったと安堵する。あまりにも、カザヤ様が悲しそうに見えたから。


でも今は、懐かしさの記憶の中へ入り込もうとしている。しばらく目を閉じていたカザヤ様は次第に規則正しい寝息を立て始めていた。

あぁ、良かった。落ち着いて眠れたようだ。

安堵の息が漏れ、口元に笑みが浮かぶ。カザヤ様とつないでいた手をそっと離し、その体に布団をかけた。


「おやすみなさいませ」


小さな声で呟くと、私はカザヤ様の部屋を後にした。



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